存在しない名と伝統を叫ぶ

皇紀2679年(令和元年)5月30日

「近代以降、元号変われば半年で総理交代」枝野氏が遊説

 立憲民主党の枝野幸男代表は26日、夏の参院選に向けた全国遊説を始めた。甲府市での街頭演説で「近代以降、元号が変わると約半年で総理大臣も代わっている。その歴史と伝統をしっかりと守っていきたい」と述べ、…

(조일신문(朝日新闻)日本語版)

 ナントカ民主党の枝野幸男代表は、もう本当におしまいでしょう。嬉しそうにこんな記事を配信した中朝の対日工作機関紙も甚だみっともないのですが、せいぜい近代以降の議院内閣制で起きた偶然の現象を「歴史と伝統」と語る危険は、この連中がさんざん罵ってきた安倍晋三首相のいう「歴史と伝統」と一体何が違うのですか? 自分の主張に都合のよい「伝統」を持ち出すあたりは、もはや同じです。

 もう本格的にこのような莫迦・阿呆の類いに、二度と政権を任せることはできませんし、そればかりか二度と議員バッヂをつけてもらいたくありません。こんな連中が語る「立憲主義」がいかに出鱈目か、或いは「私たちこそ保守主義」などと突如いい出したのがいかに日和見で浅はか極まりない認識のものだったか、これでもういい逃れの余地もなくはっきりしました。

 そして、安倍内閣が長期化している原因も、間違いなくこんな阿呆が対抗野党の代表だからだとはっきりしたのです。大変申し訳ないことでございますが、我慢できませんので「直ちに死んでしまえばいいのに」といわせてください。

 来日した米国のドナルド・トランプ大統領が在日米軍基地所属の軍人・軍属に対して行った演説で「日本海」と当たり前に発言したことに、韓国外交部の金仁澈報道官が難癖をつけたのと同程度の莫迦さ加減を伺い知るわけで、聞いたこともない海の呼称と存在しない伝統を叫ぶ阿呆は、共に民主党(文政権与党の名称)だったわけです。

村上世彰氏、堀江氏めぐる発言で陳謝 「傷つけた点については、深くお詫び申し上げます」…活動を「非常に尊敬」

投資家の村上世彰(よしあき)氏(59)が、高校生への授業で行った実業家の堀江貴文氏(46)への言及をめぐり、「堀江さんを傷つけた点については、深くお詫び申し上げます」「堀江さんの活動については、私は非常に尊敬しております」とするコメントを…

(J-CASTニュース)

 さて、最後にもう一件。投資家の村上世彰氏は、華僑貿易商だった村上勇氏(台湾人と印国人のハーフ)の次男ですが、わが国での不正取引事件で逮捕後にシンガポール(星国)へ逃げ込めたのは、同国第二といわれる華僑財閥のホンリョン・インターナショナルが勇氏との旧知の仲から彼を助けたせいです。

 私がこの人を全く評価しないのは、かつての事件で「みんな(私たち日本人)が僕を嫌いな理由は、僕が無茶苦茶儲けたからでしょ」などといい張り、その認識が最近になってもまるで変っていなかったからにほかなりません。ああ、この人はただの阿呆なんだ、と。

 多くの日本人が村上氏を嫌ったのは、ほかならぬ「濡れ手で粟」の「偉そうなやつ」だったからでしょう。自分が努めて成しえたのではない、多くの他人が努めて稼いだお金を、わが国の企業経営陣の脇の甘さもさることながら、子供のころからの机上の空論(学校行事には掃除に至るまで「時間の無駄」と断じて参加しないまま灘中学・高等学校を経て東京大学法学部から旧通商産業省へ入省したような人物にありがちな理屈だけは立派なさま)をひけらかして掠め取っていったことに対する著しい嫌悪感です。

 それが未だに変わっていないというのですから、もう死ななければ治らないのでしょう。このような輩が数多いるから株取引なんぞ出鱈目な資本主義の産物(ただの賭博)だというのです。東京都の事業をめぐって疑惑のある角川ドワンゴが始めたN高等学校の村上氏の授業というのも、生徒たちにとって何の意味もありません。株の買い方を学ぶくらいなら経営学そのものを学んだほうがまだマシです。

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『存在しない名と伝統を叫ぶ』に1件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    誤解を招くタイトルですが、さすがの共同通信も、こうした世論調査は実際には行っていないと思うのですが。

    「愛子天皇」支持80%に見る秋篠宮家への国民の風当たり
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190520-00561895-shincho-soci

    最近関東地方で大きめの地震が相次いでおり、「首都直下型地震」が心配されます。
    以前も申しましたが、皇室と縁の方々は、京都へお帰りになられた方がよいのかも知れません。
    皇室関連の報道も、日に日に変なものばかりなってきています。

    京都など近畿地方には、皇室に関係する古くからの史跡が沢山ありますね。
    東京や関東には、皇室に関する歴史と伝統がありません。
    自分で言うのもなんですが、住民の皇室や天皇に関するイメージも、多くの場合、明治や戦後に創られた「近代的なイメージ」しかなく、近代以前の皇室の歴史に関しては、全くと言ってよいほど「身近」に感じる機会がなく、知識の多くは歴史の教科書や歴史の本を読んで妄想したものが殆どで、それも『大昔の、終わった時代の話』とドライな捉え方をしています。
    そして、皇室のお手本となるのは、「進んだ欧州の王室」だと思って疑いません。