韓国が作ったダムの決壊

皇紀2678年(平成30年)7月28日

 台風十二号が奇妙な進路を辿ってわざわざ大阪北部地震と平成三十年七月豪雨(西日本大水害)被災地に向かってくるようです。皆さん、どうかお気をつけください。

 かつての記事に読者の方がお寄せになったコメント通り、平成の御代は自然災害続きでした。そんな中にあって私たちの間違った選択による旧民主党政権は、自然への畏怖の念を欠いた政策でわが国を翻弄し、ここまでくれば私たち国民が気づくべきなのに気づいていないことがあるように思います。

 それは、二千四百年以上にも及ぶ皇紀のうち自立した法(さまざまなものを参考に自分たちで作った憲法など)に基づかない初めての時代が、この平成だということです。天皇陛下に、現行典範(占領典範)のままで御即位いただくという大間違いを犯しました。私たちが犯した罪です。

 にもかかわらず、おかしなことを全て天皇陛下のせいにしようという言論が「自称保守派」の間にまで蔓延しつつあることは、これもまた私たちの犯罪行為ということになるでしょう。いわゆる「祭祀王」であれば災害を防げるはずだと考える人の、何と祭祀の欠片もない言動でしょうか。

 いわば平成の大災害続きは、私たち「臣民」の体たらくに対する自然と生命の怒りのようなものの表れかもしれません。現代に限らず、自然への感謝と畏れを忘れ、生命をいただいた先祖代代に恥じぬ生き方も忘れた時、災害が起きる周期にあるのではないか、と。

 もちろんこれは地球という大いなる生命の営みであり、理性的に申せば地球物理学や気象・地震などの研究によって答えが出ると考えられますが、統計などからはじき出される予想はまるで当たらず、実は私たちもまだ地球の営みについてよく分からないことだらけなのです。

 それよりも本能的に危機を感じた時こそ、そこには何かがあるのではないでしょうか。私たちが「平成は散散だった」と思うなら、振り返って何か過ちに気づくはずです。理性でこねくり回した言い訳は不要で、現在であれば本能が「私たちの国じゃないまま天皇陛下に御即位賜った」ともしも感じないならば、むしろ本能が劣化し、危機を正しく認知できない人になってしまったと気づくべきでしょう。

 しかもその権化のような人たちだけが被災するのでありません。気づいていた人たちを巻き込むように自然災害はやって来ます。これまでも、これからもそうでしょう。だから先人たちは、災害ののちにさまざまな教訓を遺しました。

ラオス・ダム決壊、韓国企業に「責任問題」浮上 韓国職員は全員無事避難

ラオス南部で23日夜に建設中のダムが決壊し、数百人が行方不明となった事故で、建設にあたっていた韓国企業の「責任論」が浮上している。20日の時点でダムの異変を確認…

(zakzak)

 セウォル号沈没事故で、真っ先に逃げた船長がいましたが、お隣りの国の韓民族(朝鮮民族)は、ご先祖に申し訳が立たないような所業を繰り返すべきではありません。

 かつてパラオ(帛国)を恐怖と混乱に陥れた韓国製の落橋事故は、国内でも聖水大橋(ソウル特別市城東区・江南区)の崩落を起こした企業によるもので、建設直後から橋の中央部がへこみ始めるほどの手抜き工事を平然としてしまいました。

 わが国企業の施工にも恥ずかしい例はまれにありますが、諸外国の信用を致命的に失うような事後態度はいただけません。ラオス(老国)で被災された全ての方がたに衷心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。

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『韓国が作ったダムの決壊』に1件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    ラオスで被災された方々にお見舞いを申し上げます。
    やはり「手抜き工事」は駄目なのだと思います。
    安く上げたつもりが、甚大な被害をもたらし、人命を奪い、結局巨額のお金が必要になってしまいます。

    日本人は、戦後は「アメリカに追いつけ追い越せ」と、それが「持続可能」なやり方か否かはさておいて、ひたすらがむしゃらに国を発展させ、バブル崩壊後は一転、すっかり意気消沈して「国民一人当たりの借金がー!コンクリートから人へー!」とそればかり唱えて来ました。

    メディアの影響力が非常に大きく、自分の頭で考える事もできない、というか、そんな時間も余裕もない国民が多い中、いつの間にか巨大な「ひずみ」が蓄積してしまったという印象です。

    某杉田議員の「生産性」発言は置いておきますが、東京は全国で最も少子化が進んでいる地域と言えます。
    山手線などに乗ると、中高年だらけで、思わず「若者は、いったいどこに?」と探してしまうぐらいです。

    ありとあらゆるものの値段が高く、思わず発狂したくなるほど教育にお金がかかるため、いかに子供好きのご夫婦といえども、安心して子供を産めない、育てられないという現実があると思います。
    これも、溜まり続けた「ひずみ」の一つでありましょう。