「民主的」の怖~い勘違い

皇紀2674年(平成26年)4月20日

 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140415/waf……
 ▲産經新聞:校内人事選挙規定の全容判明 校長権限を形骸化 生野区の中学校 選管の設置や日程を記載

 事故を起こした伊国の旅客船「コスタ・コンコルディア」も韓国の「セウォル」も、乗客より先に逃げた船長は逮捕されました。かつて英国の「タイタニック」の船長は船と運命を共にしましたが、死ぬことがよいと申しているのではなく、与えられた職責とその自覚は、何らかの人間関係の中で私たちに大なり小なり存在するものです。

 その責任者が絶対権力者のごとく全てを統治するのではなく、できるだけ多くの意見を集約しようとする作業の一つが「選挙」であり、いわゆる「民主主義」の根幹を成しています。学校に於いては、教員たちの意見集約の責任者が校長ということになりましょう。

 先日、或る教員が自身の子供の入学式に出席するため、勤務する学校の入学式当日に欠勤したことが一部で批判されましたが、この教員は校長に事情を説明し、事前に有給休暇をとっていました。

 それを認めたのは校長であり、当然の権限です。それを「○○先生が休みたいと言っているので、皆さんでよいかどうか決めてください」というのはありえません。そのようなことを言う校長は職責の自覚が欠落しているのであり、何かあったときには、乗客より先に逃げた船長のように、児童・生徒と教員に対して一切の責任を負わないでしょう。

 大阪市生野区の中学校で、校長の人事権が教員たちによって事実上剥奪されていたことは、日本教職員組合(日教組)が各地で主導してきた教頭推薦の仕組みとよく似ており、「民主的」という言葉を借りた独善的行為、且つ秩序破壊です。

 確かにその秩序こそ勝手に作られたものかもしれませんが、例えば自身の子供の入学式に出席したいという教員を、あらかじめ新入学年担当から外しておくという判断の責任は、やはり校長がとるものではないでしょうか。

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