「昔はよかった」のウソ

皇紀2674年(平成26年)4月13日

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 ▲週刊大衆 4月14日号:ウリジナルが寿司にまでおよぶ

 いわゆる「韓国起源説(ウリジナル)」について、ここでは殆ど取り上げませんが、あまりにも歴史修正主義的で愚かしい主張でありながら、油断すればそれが事実に置き換えられてしまうため、政府は在外公館も活用してわが国の歴史と文化を整理・解説する必要があります。

 そこで、折角ですから私たちにとって意味のあることを申しましょう。韓国人を非難するだけの話であれば、どこか他所でお読みください。

 連合国(俗称=国際連合)教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にも登録された和食の代表格である寿司は、むしろ東南亜の魚肉保存食に広義での起源があり、わが国でも奈良時代にその存在が確認されています。和歌山県民の私がよく知る「なれずし(鯖の発酵寿司)」などがそうです。

 韓国人が自分たちのものにしたがる、つまり今や世界中に知られた江戸前寿司(握り寿司)は、江戸時代の文政年間に誕生したもので、浮世絵にも描かれています。それが明治時代に入って次第に生鮮魚介を生のまま扱えるようになり、限りなく現在の形に近づきました。

 で、私たちが知っておくべきことは何かと申しますと、江戸の昔から東京は、「二十四時間都市」だったことが多くの文献によって判明しており、寿司や蕎麦などの屋台が早朝まで営業していたというのです。

 概して日本保守論壇からよく聞こえてくるのは、とにかく「昔の日本人の道徳観は素晴らしかった」という前提の根拠不明な話であり、実は文部科学省も道徳教育の審議でそのようなことを言うのですが、これは日本極左論壇の「戦前暗黒説」を助長するようなもので、江戸時代の頃から人が自由に深夜まで飲食に興じる場所があったことを、私たちはあまりにも知りません。

 「昔の人は規則正しかった」とか「昔の人は深夜まで遊んだりしなかった」なんて真っ赤なウソであり、明治に汽車が開通した頃も、車内の通路は乗客に打ち捨てられたゴミだらけだったそうです。かつて仏国のパリが、現在呼ばれる「花の都」とはかけ離れた糞尿まみれの街だったのに似ています。

 すなわち、私たち人類の道徳・倫理観は進化してきたのであり、翻って申せば、徳川幕府という軍事政権下の江戸時代でも、人は自由に遊び、町年寄を町民の投票で選挙していたのです。

 よって韓国起源説を耳にしますと、「韓国人の倫理観だけは退化しているのか」と哀しくなります。私たちも、わが国の文化を誇るのであれば、それを正しく認識すべきなのです。

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『「昔はよかった」のウソ』に1件のコメント

  1. :

    何を以って「昔は良かった」と思うかは主観によって変わるでしょう。
    昔の人が勤勉だったのは、そうしないと生活できないからであって、今のように生活のあらゆるものが
    便利になり、労せず手に入るものばかりならば、最初は罪悪感を感じながらもやがては手っ取り早い
    手段を選んでいたかもしれません。
    人間の本質というのは、あまり変わらないものではないかと思います。

    道徳、倫理観が進化するというより、色々な時代によって形を変えているだけではないでしょうか。
    現代人の倫理観を見ると、昔より進化しているとは到底思えないこともあります。

    教育勅語が作成された背景は、西洋文化を受け入れ始めた日本で日本文化蔑視観が蔓延し、
    倫理観教育が軽んじられていくことを明治天皇が憂慮されて作成を指示されたということですから、
    同様に、いつの世も放っておいたら暴走したり荒廃しそうになる社会を、賢人や有識者が諭したり、
    軌道修正していくということを何度となく繰り返してきたのだと思います。

    つまり、自らを律することを忘れた国は道徳観や倫理観を失っていくということですね。