書籍破損の犯人を捕まえろ

皇紀2674年(平成26年)3月2日

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014022600818
 ▲時事通信:杉原千畝名でアンネの本寄贈=破損被害で支援の輪-東京

 東京都内の図書館や書店で『アンネの日記』などが大量に破られていた事件は、表現と言論の自由に対する許しがたい暴力です。この書籍に関する否定的な評価は関係ありません。特定の個人や団体が、仮に該当する書籍の内容に疑問を持ったからといって、暴力的に排除してよいことにはならないのです。

 そのことは、島根県松江市教育委員会が『はだしのゲン』の閲覧を制限しようとしたことにも通じますが、多くの保守派がこれに賛同した際、私は真っ向から反対しました。

 国家権力側が表現や言論の自由に介入することを、原則としてその思想の左右を問わず、決して許してはなりません。集英社発刊の漫画雑誌掲載から外れた物語の後半へ進むにつれ、作風が左翼化しているという個別の評価と、私たちが自由に閲覧出来るか否かを行政が判断するということは、全く繋がらない問題です。

 ここを混同する思考の混乱が、今回の事件に対する中韓両国の報道にもよく表れています。『アンネの日記』が破かれた背景には、日本の右傾化が色濃く影響している、というのです。(産經新聞「中韓メディア、日本の右傾化が背景と報道」を参照

 私たちの多くがその行為を誇りに感じてきた杉原千畝元在リトアニア領事館副領事に関する書籍まで破損の対象にされたことから、中韓の報道は見当違いも甚だしく、そもそもユダヤ人に対するいわゆる「命のヴィザ」発給は、大日本帝國の外交方針(日独伊軍事同盟をもってしても対ユダヤ人政策には同調しない)に沿ったものでした。

 図書館の蔵書に破壊工作が仕掛けられる問題では、目下韓国の学生組織が日本海明記の地図などに新たな「東海」呼称のシールを作成して勝手に貼りつけて回る運動を呼びかけています。このようなことも許されてはなりません。

 私たちは、思想の左右によって何を言ってもやっても、或いは何を言わせてもやらせても許される、と思い込むことをまずやめましょう。

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『書籍破損の犯人を捕まえろ』に3件のコメント

  1. YURI:

    アンネの日記を破る事件は日本をおとしめるための工作かもですよ。だから杉原千畝さんや松岡洋右外務大臣と小辻節三さんやハルビンの特務機関長だった樋口季一郎さんらのことを改めて掲げたほうがよいですね。遠藤さんの文章からもそれがにじみでてるように思いました。

  2. ちびた:

    「はだしのゲン」は思想の問題以前に、過激で残虐な性的描写を子供に見せるべきではないという観点から閲覧制限は必要です。
    左翼はそういうものを日本の子供に見せて喜んでいるのではないですか?
    子供にポルノを見せますか?

  3. 北河内の日本人:

    本当に早く犯人が捕まって欲しいものです。それも冤罪ではないことを祈ります。

    おおよそ遠藤さんの仰る通りだと思いますが、「はだしのゲン」に関してこの問題を絡めるのは少し違和感を感じます。お忙しいので仕方が無いとは思いますが、いささか言葉足らずかなと思います。

    上記コメのちびた様も仰る通り、そもそもはだしのゲンはその描写が問題視されたものです。

    で、はだしのゲンは図書館のみならず学校によって「学級文庫」にもなっています。

    首を撥ねたり女性が強姦される描写ですが、例えばこれは映画などでしたらR指定されるでしょう。

    そういった物が教科書に匹敵するほど子供たちの身近にあるものならば、結論がどうであれそれは「制限するかどうか検討」という議題で上がっても不思議ではありません。

    (ただ、島根県の場合は教育長が会議に諮ることなく口頭で校長に指示した事が適切では無かったとの指摘も別問題としてありますが。)

    ここからは私見が強くなりますが、そもそも「旧日本軍兵士が亜細亜の人々の首を撥ねる」だとか「旧日本軍兵士が亜細亜女性を強姦しまくった」、「天皇は戦争犯罪者」などという事実ではない、もしくは事実かどうかも分からない、はたまた論争がある、諸説有るなどの事柄があたかも事実かのように描写された物が子供たちのごく身近にあることはどうかと思います。

    つまり、政治的表現が多分に含まれていますので、教育の現場に近い場所に有る場合は遠藤さんが常日頃仰る「両論併記」するべきとの提言に従って、最低限別の説を含めた文庫も公平に配置するべきだと私は思います。

    それこそ「命のヴィザ」などの書物もはだしのゲンと同様に積極的に図書館のみならず学校や学級文庫など子供たちの近くに置いて欲しいと思います。

    我々側は、はだしのゲンをこの世から「すべて無くせ」と言っているのではなく、あくまで公共施設においての「見せ方」を検討してはどうかと言っているのですが、サヨクの人たちはこういう事例を持ち出して、はだしのゲンを「見せるか」か「見せない」かのデジタルな極論で論調を扇動し、「言論弾圧だ!」と攻撃してきます。

    「はだしのゲンを問題視してはならない」などという予定調和では、問題提起した我々側が「言論弾圧」されてる側になってしまいます。

    我々などは個々もしくは団体で直接学校や図書館に意見や問題提起をした所で取り合ってももらえず何も変わらないため、やむを得ずしかるべき国家機関、選挙や議員、委員会などを通じて訴えて行くしか方法がありません。それすらも「国家権力の介入」だと遠藤さんは仰ってはいないと私は分かっていますが、この記事の内容ですとそのように誤解をされる方がいるのではないかと思った次第です。

    話がすこしそれますが、それほど「義務教育の学校」というものは我々と隔離された言論空間に閉ざされているのだなと改めて思いますね。

    愚見を長々を申し訳ありません。
    お気を悪くすることが目的はございませんので何卒ご容赦下さい。