屈辱の日

皇紀2672年(平成24年)5月3日

 本日は、占領憲法(日本国憲法)が昭和二十二年に施行された日です。つまり、私たちにとって何ら目出度くもない「屈辱の日」と申して過言ではありません。

 どうにも仕事で極めて腹の立つことがあったからか、昨日から本日にかけて私は機嫌が悪い。毎年のように本日も仕事だ。目出度くもないわけだから休む義理はない。気がつけば文体まで変わっている。

 真の憲法(大日本帝国憲法)を取り戻しても、もし皆が望むなら五月三日は何かの祝日にすればよかろう。「憲法復原で祝日を減らされたらかなわん」なんぞと言われることがかなわん。

 どんな仕事でも、或る一定の責任者ともなれば担当者に代わって顧客が吐き出した暴言に対処しなければならないのは、皆もご経験がおありだろう。近頃はつまらぬことですぐに「金を払っとんのや」「客やぞ」と言い出す輩が多くなった。そんな親に育てられた子供は大抵ぼんやりしている。内心「また親が怒鳴ってる」くらいに思っているのだろうが、次第に何も感じなくなっていく。だから大人になってもぼんやりしているのだ。

 塾の先生だろうが食堂の店員だろうが、この手の場面に遭遇して思うのは、怒鳴り散らしたら終わりだということ。こちら側の話ではない。客のほうだ。怒鳴り散らす客に対してこちらはまず静かにさせよう、或いはもう帰らせようとしかしない。つまり、その客の怒りの原因を取り除くことはもはやどうでもよくなる。それが分からぬまま怒鳴っている輩を見ると「哀れだな」といつも思う。

 提供者ないしは共有者に直して欲しいことは、冷静に順序だてて説明しない限り相手に伝わらないどころか、結局思い通りにならないものである。政治活動も同じだろう。

 皆がぼんやりしているうちに、占領憲法の無効を確認する機からそうしないまま六十年が経ってしまった。互いを思いやることも忘れ、一人前に文句だけは言うくせに皆が自分は何もしなかった顛末だ。

 今一度一億の民族が教育勅語に目を通してはいかがか。それが世に聞く「軍国主義の権化」なのか、自分の目で確かめてみるべきである。

 百貨店の開店時刻に、買うか買わぬかまだ分からぬ客に向かって玄関で二列に並んだ従業員が深々とお辞儀をする国の「お客様は神様です」という訓示の類いは、まさしく占領憲法の根幹を成す「国民主権」や「日本以外の国は平和を求めている」といった間違いに相通ずる。

 だから仏国でよく買い物をする私の親しい墺国人は、気味悪がって日本の百貨店には二度と入らないのだ。

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『屈辱の日』に3件のコメント

  1. matu:

    占領憲法にいう「基本的人権」というのは、際限がないですね。
    国籍も問いません。
    それを、国民すべてが持っているとして「国民主権」。

    すでにここで矛盾があるのですが、日本人はありもしない基本的人権を
    あると信じ込まされ、際限なく主張し獲得するように仕向けられている。

    同時に、道徳道義などは公的に語られることを否定されていますから
    簡単に言ってしまえば、
    「わがまま放題、勝手気ままに利己的になりなさい」と、そうすれば
    「バラバラで敵対的な不安定な社会になり
    何もできない国になるだろう」というわけです。
    実際その通りになっています。

    支配層からすると、とても扱いやすい奴隷が増産されていくんですね。
    国民一般は、不自由で不安で不幸・・になっていきます。

    これが「憲法改正」なんぞで改正できるわけがありません。
    開いた滅亡の扉をさらに広げるだけです。

  2. 一読者:

    こんにちは。
    やりきれなさはお察し申し上げます。
    小生も以前最低ランクの私立学校に臨時職員として勤務していました。
    「生徒も保護者も『お客様』である」と訓示されていましたが、
    生徒らは日本国憲法の精神そのままに無法の限りを尽くし、器物の損壊も教師への暴力も「野放し」でした。ちなみにその学校は仏教系でしたが、かつての廃仏へのしこりからか柔道場・剣道場にも神棚は無く、日の丸・君が代は教員組合が断じて認めないというすばらしい「解放区」
    でした。
    その経験から思います。
    「日本国憲法の理想を最も体現したのは誰か?」と問われれば即答できます。
    「麻原・宅間・加藤智大そして連合赤軍と全共闘の狂人」と。
    現行憲法の精神である「人間解放」を徹底すると彼らの世界に行き着くのでしょうね・・・。
    改正ではなく「無効宣言」でなければなりません。

  3. 安倍正行:

    正しく歴史を知れば、これはまさに屈辱です。

    大東亜の停戰を以て屈辱だといふ人も居るやうですが、戰に勝敗は付き物であり時の運もあるでせう。
    太平記に拠れば彼の楠木正成公も後醍醐天皇の御前にて「合戰の習ひに候へば、一亘の勝負をば必ずしも御覧ぜらるべからず。正成一人いまだ生きてありと聞召され候はば、聖運遂に開かるべしと思召され候へ。」と仰ってをります。

    しかしこの占領憲法の施行とは、これ以後の我國において楠公精神を生かしておかない、繼承させないといふ悪辣非道な占領法であり、これを記念するとは屈辱以外の何者でも有りません。

    正成公は湊川にて破れましたが、その精神は正行公に受け繼がれました。
    ですから、今の我々は正行公を範とせねばなりませんね。

    帰らじと 兼ねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞ留むる ~楠木正行~