これこそイジメ、パラハラ
台北駐日經濟文化代表處(在日台湾大使館)の謝長廷前代表(大使)の後任に九日、李逸洋前総統府資政(蔡英文前政権上級顧問)が着任しました。衷心より歓迎申し上げます。
■動画提言-遠藤健太郎公式チャンネル(YouTube)チャンネル登録お願いします!
李新代表は、わが国での勤務は初めてですが、頼清徳総統ともすぐに話せる関係にあり、無法を極める中共・共産党の脅威と、米民主党政権に対する「台湾有事を誘発しておいて日台を助けないのではないか」という不信が続く中、注目人事の一つでした。
台湾政界では目下、野党・台湾民衆党の柯文哲主席が前回の総統選挙時の政治献金会計報告書虚偽記載の発覚で活動休止後、台北市長時代の京華城事件(商業施設の建て替えをめぐる不正)で逮捕、一時は保釈されたものの五日、収監されるという疑獄事件に揺れています。
実は、与党・民主進歩党内でも鄭文燦前行政院副院長(副首相)が七月、対中交渉窓口に当たる海峡交流基金会の理事長に就くやいなや収賄などの容疑で逮捕されました。鄭氏は、民進党内でも中共との太い人脈を持ち、頼総統とは対立していた、と伝えられています。
しかし、最大の懸案である野党・国民党の弱体化はまるで進まず、民進党にとって立法院(国会)運営は苦しいままです。かつて共産党軍と闘って台湾へ逃げ込んだ保守派の国民党が今や完全に「中共の犬」と化した以上、リベラル派の民進党が台湾を守り抜くしかありません。
さて、どうやら皆さんに極めて不評な私の「紅い兵庫県庁批判」ですが、報道権力による集団虐めという点では、斎藤元彦知事に対するよりこちらのほうが遥かに悪質と申せましょう。
既に四月十八日記事で小林製薬(大阪市中央区)を唐突に「悪」と決めつけた一連の紅麹をめぐる報道に疑問を呈しましたが、ここまできますと、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)狂乱で露呈したわが国の医師という医師の出鱈目を再確認するほかありません。
日本歯科医師会は、小林製薬の「糸ようじ」「やわらか歯間ブラシ」「ピースクリン」という商品が優れているから推薦したのではないのですか、と。
これらの商品とは全く関係がない紅麹問題を持ち出し、企業の印象だけで推薦を取り消すほど付和雷同の莫迦団体であることを、私たち国民に自ら知らせてくれたのですね、と。
よかろう、莫迦・阿呆の類いに認定して差し上げましょう。そもそも日本医師会だの日本歯科医師会だの、どうしようもない地方のゴロつきみたいな医師まがいの老害が、定めし武見敬三厚生労働相と共に利権を貪るほか能がない集団です。
その利権の輪の外にいて厚労官僚の天下りも受けていない小林製薬は、徹底して虐められ、これこそ歯科医師会によるパワーハラスメント(権力を利用した暴力)でしょう。
別に小林製薬を擁護する義理はありませんが、おかしなものは「おかしい」と指摘しておかないと、ますますこの種のおかしなことがまかり通っていきます。
特に糸ようじは、優良な商品でしょう。阿呆・莫迦に認定された集団の推薦が外れたのは、かえって「おめでとうございます」。
皇紀2684年(令和6年)9月14日 7:04 PM
240914-4 兵庫県知事のパワハラの件、裏側が良く分かりました
今晩は ソロです
亦、往年の極左集団とマスコミが攣るんで仕掛けた話だったんですね。 何故斎藤君はそんなに彼らに嫌われたのかな?と、考えたのだけど、彼の由格好なら、学生運動全盛期の話は、仄聞情報程度しか知らないダロウ、だから、怪文書を撒いて、転覆を仕掛けたと言うのなら、正式な手続きを執って、告発すれば良かったのが、先に自殺されて終った・
こうなると、真明日子身に錦の御旗を採られてしまったようなもので、一点知事側が悪者に仕立て上げられて、辞職寸前まで追い詰められていると言う事の様ですね。 西播磨ch句と言えば、確かにそう言った地域が多い所ではありますが、私が神戸に来てから5-0年千翔愛ですが、悪い噂は殆ど聞いていません。
なので、亦、第二のパワハラ明石市長なのかと思っていました。亡くなった渡瀬さんのグ出身は若しかすれば淡路島なのではないですかね。渡瀬と言う苗字は私の郷里の鹿児島では多い名前ですが、此方ではあまり効かないので、淡路島を足せばあの渡哲也・渡瀬恒彦兄弟の顔が浮かんだものですから。
兎も角、ロートル極左は、行き場が無いのかもしれないが、沖縄や地方の盧赤い地域に棲み着いている様ですね、其れを昔の誼で、ネタを提供する勿論相応の寄付をして戴くく、何せ、ロートル集団だから、資金面が細いので金になれば何でも良い。
唯、前にも言ったように、斎藤君は解任動議が通ろうがとおるまいが、辞職して再選挙を勝ち抜かねば此処迄ケチを付けられたら、出直さなければスッキリしないし、維新や自民党の支持の浅さも解ったのは、寧ろ良い事だと気持ちを切り替えたらどうだ有ろうか?
折角通ったのですから、納得のゆかない理由で辞めるのは我慢できない部分がおおいだろうが、流れと言う物は作られたら、消すのは非常に難しいんですよ。
皇紀2684年(令和6年)9月14日 7:32 PM
先日のコメントで、引用したリルケの詩 「 秋 」の後半
わたしたちはみんな落ちる
この手も落ちる。
そして よくごらん
ほかの人たちを。
落下はすべての人の中にある。
しかしひとりの方があって
この落下を かぎりなく優しく
その両手で 支えてくださる。
さて、リルケは言及しなかったけれど、
私の以下の指摘に対しては、
リルケもきっと賛同してくれるでしょう。
「支えの手は、常に同時に、導きの手でもあるのだ」
「人にとって、根底と超越は 常に同時に経験されるものなのだ」。
根底からの支えも 超越からの導きも、
無償の だから恩恵にほかなりません。
支えと導きを感得する時、「極楽浄土」も「神の国」も、
人が死後に往く 現世とは隔絶した世界 ではなくなって、
今 ここが 新たな しかし同時に 本来の 人が生きている次元である事に
気づかされます。往くべき地は 同時に 帰るべき故郷でもあったのだという事に。
これが、新生の始まりです。
人が 尊い者と結ばれている事 その本来の関係を新たに成就して、
それによって、真の自分自身を だから真の自由を 得る事に成るのです。
限りない幸いと言うべきでありましょう。拝。