自民の派閥解散で飛んだ話

皇紀2684年(令和6年)1月20日

自民安倍・二階派が解散へ 裏金事件、残る3派の対応焦点

 自民党派閥の政治資金パーティー収入を巡る裏金化事件を受け、最大派閥・安倍派と第5派閥・二階派は19日、それぞれ解散する方針を決めた。岸田文雄首相(党総裁)が岸田派の解散を表明した…

(時事通信社)

 何かと批判の対象にされた、いや正確に申せば、ただ報道権力の「ネタ」にされてきた自民党内の政策集団(派閥)ですが、かつて中選挙区制だからこそ党内でも政策論争が「命懸け」だったことから、長らく政権を担当してきた「責任政党」だからこそ派閥ができたのです。

 それを岸田文雄首相が壊してしまいます。旧年中の内閣総辞職を回避したかと思えば、或る読者のご指摘通り内閣延命のためのさらなる「権力欲を剥き出し」にしました。

 と申しますのも、岸田首相があっさり「解散を検討する」と言ってのけた宏池会の現状は、未だ古賀派です。少し古い話ですが、自民党の「売国奴三人衆」こと山崎拓、故・加藤紘一古賀誠(新YKK)各氏のうち宏池会は、今なお古賀氏が派閥事務の一切を支配しています。

 岸田首相は、これが鬱陶しかっただけでしょう。早く斬り捨ててしまいたかったに違いありません。安倍晋三元首相が暗殺されてしまい、古賀氏も払いのけられれば、文字通り「やりたい放題」が可能になります。

 皮肉なことに、清和政策研究会(清和会)と志帥会がその煽りを食った形です。何もかも東京地方検察庁特別捜査部(旧隠匿退蔵物資事件捜査部)という検察官僚が招いた「政治破壊」でした。

 ただ、恐らく自民党は、また新しい政策集団を作ります。多くの議員が選ばれ、在籍し、それぞれに得意分野の政策(抱える利権)があって、作るというより自然に形成されないはずがありません。

 延延と政権を担ってきた自民党は、圧倒的保守派から中道右派、利権に目がない中道左派、見下げ果てた売国左翼まで幅広く議員が存在することで、政策の均衡を保ち、国民的信頼を勝ち取ってきた政党だからです。ゆえに自民党は、結局中途半端な政党でもあり続けました。

 そのような自民党の「まさかの派閥解散までいった」話で、二十三年間にも及ぶ独裁を解消した日本共産党の志位和夫委員長の退任、とりあえず選ばれた田村智子新委員長の報が吹き飛んでしまったのです。

 田村氏に代わっても共産党は、この独裁を批判しただけの党員を除名処分にまでした「民主集中制という名の独裁」をやめません。「民主」とは、一民(一個人)が主人という意味であり、つまり独裁のことです。

 私たち国民は、民意を政治に反映するという意味で「民主主義」を理解してきましたが、これが(国の主人が私たち一個人という)とんでもない大間違いであることを、奇しくも共産党が教えてくれています。天皇陛下を「引きずり降ろす」という危険思想が「民主」という言葉にほかなりません。

 この際ですから自民党(自由民主党)も、鳩山一郎元首相の系譜である「民主」を取り除き、立憲民主党のような腐り果てた政党との違いをはっきりさせるべく、吉田茂元首相の系譜である「自由党」にでも党名変更してはどうでしょう。

 そう言えば麻生太郎元首相は、志公会を解散したくないでしょうね。今はまだ。

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『自民の派閥解散で飛んだ話』に2件のコメント

  1. sana:

    自民党に、右から左まで全部そろっているんだから、野党はいらないですよね。
    派閥は解消しないほうがいいと思う。
    しばらくたてば、どうせまたもとどおり。

  2. きよしこ:

    自民党の政党別支持率も大幅に低下し15%ほどになったとはいえ立憲や維新といった「ただ大きいだけの野党」も4%しかなく、誰も本気で自民党が下野なんて思っていないでしょう。いい加減な報道権力が「人一倍宏池会に思い入れのある岸田首相」などと嘯いていますが、少し考えればあっさりと会長を辞め解散も決めたところを見れば思い入れどころかあるどころか目の上のタンコブだったことくらい想像がつきます。「やりたい放題」の状況を生んだのも検察の暴走とそれを正当化する某パワハラ元市長をはじめとした無責任コメンテーターの面々です。既に多くの方が言及されていますが、もう自民党を右派と左派で割ってしまったほうが早いでしょう。熱狂的な信者を相手にパフォーマンスに走り政権など取るつもりもないクセに国政要件を満たすことだけは怠らない野党なんぞ存在そのものが税金の無駄です。