小沢一郎は逮捕しなかった

皇紀2684年(令和6年)1月8日

中国、仮想通貨使い選挙介入か 台湾当局が候補者拘束

台湾当局は5日、仮想通貨を通じて中国側から資金提供を受け選挙活動を行ったなどとして反浸透法違反の疑いで、立法委員(国会議員)選の無所属の女性候補を拘束した。台…

(産經新聞社)

 とうとう東京地方検察庁特別捜査部(旧隠匿退蔵物資事件捜査部)が「手を出し」てしまいました。自民党の池田佳隆衆議院議員(愛知三区落選→比例東海)と政策秘書を逮捕したのです。

 司法権力の不公正な暴力を「朝日新聞社らに煽られるがまま求めた」国民の声は、果たして正しかったのでしょうか。ほとんどの国民は今、特捜の行動を「当然正しい」と判断するでしょうが、ならば旧年十二月十八日記事で申したように、たった一人で六億一千万円を隠蔽した旧民主党の小沢一郎幹事長(当時)を逮捕しなかったこととの法的整合性(法治の原則)が取れなくなったのは構わないのでしょうか。

 これを「恣意的捜査」「官僚の政治介入」というのです。国民は今、自らそれを求めてしまっている危険性に気づいているでしょうか。

 確かに池田氏の「雲隠れ」はまずかったです。いや、彼が「まずい(逮捕されそう)」と思ったから雲隠れしたのではなく、雲隠れしたこと自体が特捜を「逮捕」へと突き動かしてしまいました。

 つまり、捜査の過程で小渕優子選挙対策委員長が「ドリル優子」と呼ばれるに至った政治資金規正法違反に同じく、池田氏が証拠隠滅をはたらいたことが特捜の逮捕理由です。ところが、この時も小渕氏本人は逮捕されず、関わった元秘書も在宅起訴(のちに有罪判決)に終わっています。

 選挙に弱い池田氏(立憲民主党の近藤昭一氏みたいなとんでもない「売国奴」に、左翼・極左の組織票に勝てない)に、特に清和政策研究会が五年間で四千万円程度の余剰配分をもって目をかけた結果、公金の横流し・不正蓄財でもないのに逮捕までされてしまいました。

 何度も申しますが、政治資金収支報告書の不記載そのものは、修正して総務省に再提出しなければならない違反事案です。しかし、パーティー券の購入者ならともかく大多数の私たち国民にとって何ら関係のないことに、文字通り「キレ散らかし」て特捜を応援する気になど全くなれません。

 官僚の暴走を国民が応援してしまった以上、今後ますます財務省は増税、厚生労働省も保険料等徴収強化、外務省は国益無視など、もう公平で公正な行政も望めないでしょう。そちらこそ遥かに大問題です。

 そのような中、三日記事で申した通り今月十三日に迫る台湾総統選挙と同時に投開票される立法委員選挙で、国民党と同じく中共工作員だらけの民衆党にも「さすがに公認できない」とされた馬治薇候補が中共の対台湾工作指導小組から四百七十万円相当の暗号資産を受け取った容疑で逮捕されました。

 選挙はおろか日常的公金投下(地方に至るまで議員の裁量で使えるお金が莫大)で知られる台湾政界に於いて、わずか百万元のことで逮捕されたのは、外国(主として中共)の対台湾工作を防止する反浸透法に違反したからです。

 もし仮に、池田氏が立民の近藤氏のように在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)から違法にカネを受け取った挙げ句の政治資金規正法違反なら、私は厳しく断罪したでしょう。党派が集めたお金のことで特捜が動くなら、本来はこうした政治工作事件でこそ動くべきです。

 それをしないから売国奴は、何度でも私たち国民を裏切って売国します。自分の金銭感覚で政治を語る「スケール」でしか国を見ることができないようでは、わが国がこの種の犯罪を今後も防ぐことなどできません。

 それが私たち国民の最大課題なのに。

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『小沢一郎は逮捕しなかった』に2件のコメント

  1. 日本を守りたい:

     以下は 「宮崎正弘の国際情勢解題」令和六年(2024)1月8日(月曜日)
    通巻第8084号 よりの引用です。どうかご覧ください。 

     書評 中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した浅はかな日本
      移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか
    佐々木類『移民侵略  死に急ぐ日本』(ハート出版)
    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
     中国の「静かなる日本侵略」の現場に飛んで、積極的な取材を重ねる『突撃隊長』の佐々木類(前産経新聞論説副委員長)がシリーズの第六弾に挑んだ。
     日本支配を狙う中国共産党の尖兵が在日中国人、あるいは既に帰化した中国人工作員。その数、帰化人をのぞき76万人!
     すでに日本列島のあちこちに「中国人居住区」がある。もちろん、全員がスパイではなく、ごく少数だが日本に溶け込もうと汗を流す中国人も、佐々木氏はちゃんとインタビューして公平を期している。
    偏見をもって中国人を見ているのではなく客観的に彼らを観察し、その背後にある中国の対日戦略を読み取ろうとする。
     沖縄の離島を購入した中国人女性がいた。
    国家の研究機関に巣くう学術スパイがいる。日本国内に中国公安の闇警察がある。栃木県小山市には「中国農場」があって、横浜中華街には中国人経営の激安八百屋、埼玉県川口にチャイナ団地、列挙すればキリがないが、いまどうなっているか。スパイ中国人らはいま、いかなる陰謀を展開しているのか。
     また日本政府が推進してきた移民政策の間違い、外国人土地所有法改正、改正入管法の問題点などホットな問題のすべてを簡潔に要領よく解説される。
     それにしても、中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した日本人、中国からの移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか? 
     いま日本が相手にしているのは「共産党の意向がすべてに優先する国家レベルの反社会勢力」なのである。
     そうだ、かれらは「反社」である。
     賃金が安いからと行って深く考えることもなく中国と合弁を組んだら、当てが外れ、撤退しようにも税金だとか、労働条件とかの難癖をつけられ、「官僚主義的な小役人に窓口レベルで小突き回され、賄賂を要求された挙げ句に『身ぐるみ脱いで全部置いていけ』となる」のが落ち。
     無国籍におちいり、国家利益は顧みないメディアがグローバリズムを煽り、それを真に受けた軽佻浮薄の政治家は、なんと中国企業系列にパーティ券を買って貰っていた。チャイナの買弁政治家が目立つのは、こうしたカラクリがあった。
     外国人の土地所有規制は、大正時代に制定された「外国人土地法」の活用で切り抜けられる筈だったのだ。
    しかし結果は「仏作って魂入れず」。
    実効性を高める政令を制定せずに戦後のドサクサで廃止された。
     「ところがどっこい。これを補うかのような法律が戦後日本に存在している。昭和二十四年に制定された「外国人の財産取得に関する政令51号」では「外国人や外国資本による財産取得に関して制限をかけることが出来たのである」(65p)
     当該財産とは「土地、建物、工場、事業所、財産の賃借権、使用貸借の基づく借り主の権利、地上権、著作権」だった。
    ところが、これも国会で審議されないまま昭和五十四年に廃止されていた。 

     移民については欧米の悲鳴を聞いた方が良い。
    人道的見地から無制限に受け入れた結果、ドイツではゲルマン精神は破却され、婦女子が強姦されてもメディアは報道しない。フランスはフランス語の国ではなくなろうとしており、米国は犯罪が急増し、治安が極度に悪化した。移民反対が多数派の聲となった。
     移民促進派がリベラル、人道主義であり、移民に反対もしくは規制強化けを唱えると、排外主義、レイシストと批判されてきた。脳幹が左翼ウィルスの侵された結果である
     「客人を自宅に招くとする。土足で家に上がるのを許すのか。冷蔵庫を勝手に開けて中の食べ物を食べるのを許すのか。家のルールを守って貰うのは当たり前のことだ」(222p)
     しかし「中国系移民は、移住先で出身地や宗族単位で強い絆で結ばれた共同体をつくる。自分たちが住んだ場所が「中国である」とばかりに受けいれ国の慣習に関心を持たず、聞く耳を持とうとしない例もある」
     このまま日本は自死するのか、目覚めるのか、日本はその瀬戸際にあると佐々木氏は訴えるのである。
     そろそろトランプのように、あるいはオルバンのように、「移民を追い返せ」と主張する政治家がでてきてもよいのではないか。
     日本の深刻な状況をえぐったルポである。引用終わり。

  2. 日本を守りたい:

    私は以前、判定していました。世界を牛耳っている金融大資本・軍産複合資本の白人支配層に対しての そしてまた シナ共産党に対しての 日本人の戦いは、日本人にとって「人間性を守るための戦い」であると。しかし、ここ数十年間の、ハニートラップによって、汚い利権によって たやすく篭絡されて恥じる事さえ無い あまりにも弱くて愚かな日本の官僚・議員どもを見るにつけ、日本人は既に 守るべき人間性を喪失しているのだと 判定せざるを得ないのではないか だから、戦う以前に、まず何よりも 守るべき尊いものへの感受性を 魂を 回復するための「精神の復興」に尽力すべしと 考えるようになりました。

     尊いものとは何か。それは、それを失ってしまったら、「人が人でなくなってしまう」
    そういうものなのである。私は以前、書きました。
    「神の関与によってこそ、人は、人間性を追求するのだ」と。そして 以前も今も、
    人への 宗教的真理の関与すなわち神の関与を 確信しています。決して断ち切られてはいないのだと。私の住む過疎の町の 自治会活動で御一緒する 隣人たちの顔には、愛すべき人間性が表れているのを 私は感じているのです。トーマス・マンが「魔の山」で「人の顔を愛する事は、その人の魂を愛する事だ」と語った その同じ思いを強く感じているのです。日本人は神と共に生きる事を望み喜ぶ民族であると 私は今も信じる事が出来る。この幸いを原点として 日本人の「精神の復興」が成るように 持病が悪化すればあっけなく死ぬ身ではあるけれど 私に出来る事が如何にささやかであっても、続けたいと念じています。拝。