キラキラネームさようなら

皇紀2679年(平成31年)3月10日

あかいけ @akaike_hardtype

ハァァーイ!!!!!
名前変更の許可が下りましたァー!!!!!!!!

(Twitter)

 ツイッター上で、赤池王子様さんが改名できたことを報告し、話題になっています。彼のツイートによりますと、このいわゆる「キラキラネーム」は母親につけられたものだそうで、十八年間この名によって苦労してきた彼は、父親の快諾を得て改名に踏みきり、「これから親になる人は本当によく考えて子供に名前をつけてあげてください」とつぶやきました。

 一時大変な問題となったキラキラネームですが、やはりその名のせいで「初対面の人に笑われてしまったり不必要に有名になって知らない人からバカにされたりする」そうで、当時多くの人びとの懸念は決して杞憂(或いは余計なお世話)ではなかったのです。

 このことを扱おうか否か迷ったのですが、赤池さん自身が「目立つのが嫌で改名したんじゃなくて悪目立ちするのが嫌で改名したので広まることは全然問題ないです」とツイートしているので、むしろキラキラネームに苦しんでいるほかの子たちのためにもと思い、ここで取り上げました。

 確かに「親からもらった名」ではあるのですが、その親の行為自体に問題があれば、是正することは可能なはずです。概して保守層がこのキラキラネームを批判し、ただの対日ヘイトスピーチ(反日)活動家にすぎない革新系の偉そうな連中は、まるで「これも権利」といわんばかりに問題視しない態度を多く表明していたように記憶していますが、本当に人間のことを考えていたのはどちらか、改めて申すまでもないでしょう。

 親の体罰に関する議論も同じです。教育を目的とした有形力の行使か否かを論じず、ただ叩いたか否かだけを見て「かわいそう」だの何だのと騒いで見せるのは、そんな彼らの大好きな「理性的」議論でも何でもありません。

 親が子を叩いて叱るのは本能であり、子のことを思えばこその行為なのですが、理性の領域に入るとむしろ暴力になります。その証拠に、理性ある人類だけが捕食を目的としない殺生をするのです。「犬畜生に劣る」といいますが、そもそも人間はそのような存在なのかもしれません。

 東京都が条例化しようとしている体罰の禁止は、敢えて申せば親から子を叱る権利を剥奪するものであり、憲法違反です。しかしながら理性的世論に抗しえない都議会議員たちは、与党から野党に至るまでこれに賛成して可決してしまうでしょう。

 国会でも、安倍晋三首相が何のためらいもなく体罰禁止の流れに同意してしまう有り様で、誰も真剣に「体罰」が何であるかを論じられません。

 「おかしな教育を受けた」と断るのは少し乱暴な申し方ではありますが、おかしな教育を受けた親が子におかしな名前をつけて喜び、甘やかしたかと思うと親の理性と劇的な心情によって子を殴り倒してしまう、と。そこに「教育」など存在しません。あるのは親の利己的な「理性と意志と心情」だけです。

 私も安倍首相も、そのおかしな教育だけを受けた占領統治世代ですが、恐らくこれを読んでおられる皆さんも、日教組(日本教職員組合)のような「理性礼賛組織」が生み落とされてからもう七十年以上(昭和二十二年設立)経ちましたから、ほとんど同じではないでしょうか。それでも本能のもつ力を知っている人は、特に占領統治以降の教育がどんどんおかしくなっていったと気づいているのです。

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『キラキラネームさようなら』に5件のコメント

  1. やす:

    我が国の様々な問題は結局教育問題に行き着くと私は何度も言ってきたことですが、特に戦後の異常な教育の実態の土台となったのは間違いなく明治から始まった官軍教育=薩摩長州史観であると私は強く思います
    官軍教育=薩摩長州史観とは簡単に言えば歴史の連続性の否定であり、江戸時代を徹底的に否定した流れが今度は戦後に戦前の否定へと繋がり、GHQの影響はもちろんあるでしょうが、そうした流れを既に明治の時点で作ってしまったことが根本にあり、何だかんだいって一番悪いのは我が国なんですよ
    官軍教育=薩摩長州史観こそ今はやりのグローバル思想の始まりだと思っていて、今の理性肥大化の教育のキッカケとなったと私は思ってますし、本来教育とは歴史の連続性抜きにしてはならないですし、歴史の積み重ねを次世代につなげていくことが本当の意味での教育で、いくら自由に新しいものを生み出そうとしたって、歴史の積み重ねによる知恵や知識にかなうわけはありません
    明治以降失われた道徳教育の復活 真実の近現代史 国語教育の強化 この辺りをやっていかないと安倍総理が言っている日本を取り戻すことはできないと思います

  2. 心配性@我は蛮夷なり:

    キラキラネームもそうですが、市町村の名前を「ひらなが」にするのも馬鹿っぽくて嫌です。
    「難しい漢字が『多文化共生』の時代にそぐわない」「外国人にも分かり易く、グローバルな感じがして良い」という意見も耳にしますが、「多文化共生」の時代だからこそ、歴史ある地名を大切にした方がよいと思います。

    それから、「お尻ぺんぺん禁止法」よりも、児相改革や警察との連携を進めた方が、『虐待死防止』の為にはよいと思います。

    柏や沖縄の児相が頼りない対応だったのは、「虐待」の他、「障害」、「非行」、「不登校」等にまで対応し、大忙しだったからだと思います。

  3. きよしこ:

    こういう話題を目にする度に「自分の親がまともで良かった」と安堵してしまいます。自分の周囲には酷い「キラキラネーム(この呼び方やめろ)」は居ませんが、いざ世間に目を向ければ思わず「ハァ?」と言いたくなるような名前があちこちに存在します。名付け親に怒りが沸くのは、「漢字で遊ぶ」という無神経さと子供や周りの人の迷惑を一切考えない自己満足つまり子供ではなく自分が可愛いという目も当てられない醜さです。単刀直入に申して子に対する精神的虐待であり、学校の教員や役所で書類などを作る人たちに対する業務妨害行為です。もうこういうケースでは子が親を訴えられるようにしたほうがよいでしょう。政府も体罰禁止の法制化などという馬鹿げたことより、こういった人間として当然の権利を後押しすべきではないでしょうか。

  4. 翠子:

    キラキラネームを推進したのは、反日出版社ベネッセです。
    幼児、小学生の通信教育でハングルを教えたりしています。
    朝・鮮・人の名前を目立たせなくする為に、キラキラネームを広めたのだと睨んでいます。

  5. ハイビスカス:

    最近、とみに目に付くのは、虐待死をとげたお子さんたちは、おしなべて読みにくいきらきらネームだということです。
    むごい死に方と、美しい漢字の名前の取り合わせが哀れであり、貧困で、教養の無い親が、背伸びして格好をつけて派手な名前をつけて、飽きて虐待したであろうと思います。
    名は体をあらわすといいます。奇抜な名前は奇抜な運命を引き寄せるのかなあ、と思います。
    心を「ここ」と読ませるのは良くないです。