日露交渉を頓挫させた戦犯
十日記事でも申しましたが、河井克行衆議院議員(広島三区)みたいな「米政府に全く相手にされていないのに無駄な訪米を血税で重ね、ないはずの手柄をうるさく主張する役立たず」を自民党総裁外交特別補佐にしてから安倍政権は外交までうまくいかなくなり始めました。
この役立たずは、いわば「百害あって一利なし」です。露国のウラジーミル・プーチン大統領が安倍晋三首相の何を疑い始めたのか、この男はまるで分かっていません。
何度も申してきた通り、そして露国側が最近とうとうはっきり口に出し始めたように、千島列島全島と南樺太の国際法上有効な領土帰属を有するわが国が、大東亜戦争の講和を目指して択捉・国後・歯舞・色丹のみの領有を主張しているのはともかく、露国の懸念は、そこに日米安全保障条約に基づく在日米軍基地の設置を容認、或いは(米国に)強要されるのではないかということに尽き、河井氏のような者を重用する安倍首相がその払拭に失敗したのが目下の顛末なのです。
そこに要らぬ燃料を投下したような河井氏の発言は、現行憲法(占領憲法)を有効とする護憲政治の継続を示唆したと露国側に受け取られるだけで、日露交渉の発展を止めたも同然です。これでは、ますます安倍首相の対露外交が行き詰ります。そのくせ米政府にこの男の言葉は一切響いていません。ただ話をややこしくしただけです。
まずは、一刻も早く河井氏を役から外して交渉を仕切りなおしてください。自民党よ、聞いていますか?
ついでにもう一発。やることなすこと「莫迦丸出し」でなぜかここまできた旧民進党の細野豪志衆議院議員(静岡五区)を、よもや自民党に入れる気ではないでしょうね。二階俊博幹事長は、頼まれれば(政治思想に関係なく)情で処理する昔気質の政治家ですから、それをいいことに細野氏は(想像しただけで気持ち悪いが)二階幹事長に可愛く泣きついたらしいのです。
菅義偉官房長官にまで泣きついたとの情報もあり、日露交渉が頓挫し始めた最中、この男を自民党入りさせれば余計にうまくいかなると申しておきます。
皇紀2679年(平成31年)1月16日 11:12 AM
いずれにせよ、「外国人参政権運動」が下火になってよかったと思います。
何年か前には、「留学生にも参政権を・・」と主張する活動家もいて、一部保守派の怒りを買っていたように思いますが。
新宿の新成人、半数が外国人 日本語学校の留学生多く
https://www.asahi.com/articles/ASM1G5QBXM1GUQIP00B.html
北方領土返還に際しては、ロシア系住民をどう扱うか、参政権を付与するのか、といったことも話し合わなければなりませんね。
皇紀2679年(平成31年)1月16日 12:44 PM
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中川八洋著
「歴史を偽造する韓国」
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第七章 迷走から逆走へーーー攪乱された対露外交②
※なお、①は、昨日の遠藤健太郎オフィシャルブログ「韓国こそ歴史を直視したら」の私のコメントをご参照ください。
一、伊藤博文の「親露」症 P159~161
伊藤博文は国内政治にあっては第一級の政治家であったが、国際政治においてはそれを理解する力をほとんど欠く極端な「外交音痴」であった。日露戦争後に、小村寿太郎が駐・英国大使となって日本を去り、この伊藤博文が対露外交の主導権を握ったことは日本の不幸であった。伊藤は、朝鮮問題に対するロシアの立場と状況とについて、重大な瑕疵のある、とてつもない誤認をなしていた。プチャーチンに手玉に取られた川路聖謨の二の舞を演じたのである。
伊藤が「併合」の基本路線を政府部内で了承したのは、1909年4月であった。桂太郎と小村寿太郎が同月、伊藤博文の邸を訪ねて、対韓方針として「適当な時期において韓国の併合を断行すること」を説明したところ、あまりにもあっさりと伊藤が同意し、桂と小村が「やや意外の感に打たれた」(注1 『小村外交史』、原書房、836頁)、とあるように、伊藤はそれまで併合反対論者と見なされていた。
しかし伊藤は、それより2年前の1907年春には、内心では併合を決意していたのではないか、とも考えられる。なぜなら、1907年7月の日露協約の秘密協定で、日本はロシアに韓国併合をこの協定の条文にて認めてもらう代償として、外蒙古(モンゴル)をロシアの勢力圏とすることを認めるという、不必要かつ過剰な大譲歩までしたからである。この1907年当時、外蒙古をロシアの勢力圏とする譲歩をしてまで韓国併合の諒解をロシアからとりつけるなどという案を支持するものは、陸軍の寺内正穀らを除けば、皆無であった。小村寿太郎(駐英大使)や山本権兵衛は、猛然と反対していた(注2 森山茂徳『近代日韓関係史研究』、東京大学出版会、212頁)
チベットと同様に、外蒙古は、英国とロシアの間の緩衝地帯とすべきである。また、日本の長期的な満州・蒙古政策からしても外蒙古をロシアの勢力圏にするのは日本の国益を害するものである。しかし、伊藤博文にはそのような国際情勢を観る眼はなかった。1907年6月11日、ソウルからの西園寺首相への伊藤博文の電文は、次のように蒙古問題での対ロ無条件譲歩論であった。ロシアの言いなりになれ、というのである。
「韓国問題に関する日露間の解決は、我(=日本)にとりて目下の急
務なりとす。しかるに・・・・・・間接の利害関係ある(=しかない)蒙
古問題に重きを置くに至ては、首肯する能はざる所なり」(注3
『日本外交史』第八巻、鹿島研究所出版会、186頁)
伊藤とは、韓国併合を絶対視しそれに拘泥するあまりに、視野狭窄に陥ったのだろうか。それとも、「東洋のビスマルク」を日頃から自認する、親露一辺倒であった伊藤は、ロシアに「モンゴルを貢ぐ」ために、このときに限っては韓国併合論者になったのだろうか。後者の方が真相に近いのかも知れない。
ともあれ、すでにポーツマス条約で定まっている以上、日本からロシアに新たな譲歩をするなど全く不要であった。だのに、前述の日露秘密協約第三条において「(日本は)外蒙古におけるロシア国の特殊利益を承認し」たのである。なお、韓国併合についての第二条は、「ロシア国は・・・・・・(日韓)関係の益々発展(=韓国併合)をきたすに当りこれを妨礙(ぼうがい)しまたはこれに干渉せざることを約す」であった。続く。
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投資家・予言者・神野勝彦 筆
皇紀2679年(平成31年)1月16日 2:40 PM
自民党は細野氏を受け入れると思いますよ。ついでに前原氏あたりも入ってくると思います。「よもや」どころか「こともあろうに」を繰り返してばかりの政治屋集団ですから。
皇紀2679年(平成31年)1月17日 1:40 PM
◎東京大学工学部卒・スタンフォード大学大学院修了
【筑波大学名誉教授】
現在、日本を代表する国際政治学者・中川八洋著
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第七章 迷走から逆走へーーー撹乱された対露外交③
一、伊藤博文の「親露」症 P160~163
1907年の英露協約は、日露戦争に敗北した機をとらえて、英国がロシアを封じ込めてその南下・膨張を阻止するためのものであった。ペルシャは北半まで、アフガニスタンから全面的に撤退、チベットは緩衝地帯としてここに進出しない、の三点をロシアに誓約させたのである。
つまりロシアの最南端を、アフガニスタンとの国境からチベット国境を結ぶラインの北側にすることで、インド(現在のインドとパキスタンとバングラディシュ三ヶ国)へのロシアの進出を全く不可能にすることであった。ペルシャ(イラン)の南半への進出を禁じることで、ペルシャ湾(アラビア海)への進出も不可とした。要は、インド洋を求めるロシアの南下を完全に阻止するものであった。
しかし、蒙古・樺太を結ぶ最北端のラインでロシアの「東進」を阻止する役割を負うはずの日本は、この日露秘密協約でロシアを外蒙古へ招き入れ、満州北半のロシアの権益を保証してあげる、転倒した外交をなした。すべてが伊藤博文の独断によるもので、日清戦争・日露戦争まで敢えてした明治維新以来の日本の対外政策の根本を逆走させたのである。
韓国併合とは、日本外交を狂わせる麻薬であった。樽井藤吉の『大東合邦論』など、日韓合邦がロシア南下阻止に貢献すると描いた、当時の日本人の転倒の虚妄性は、かくも明白であった。韓国併合がロシアの膨張に資するものであり、実際にこの二十一世紀にあっても、共産ロシア(スターリンのソ連)のつくったあの中共と北朝鮮は化石のように健在であるし、日本の固有の領土である【樺太】は1983年10月から「サハリン」と呼ばれて、今でも国際法上は日本の固有の領土であることすら若い世代は知らない。
1910年の韓国併合、それは日本の「北進」をストップさせ、1937年からの「南進」への転換点となった。また、それ以来、日本の外交は外交でなく内政そのものへと変質してしまった。韓国併合は、日本外交をメルト・ダウンさせた猛毒のガス兵器のようなものだった。
1907年7月の日露協約/秘密協約が不要不急であることについて、あの血と涙の日露戦争の成果たるポーツマス条約第二条(1905年9月)
を改めて日本人は思い出すべきであろう。この条約の、この条項一つで朝鮮半島問題は充分すぎるほど解決していたのである。
「第二条 ロシア帝国政府は日本国が韓国において政事上及び経済上の卓絶なる利益を有することを承認し、日本帝国政府が韓国において必要と認むる指導、保護および監理の措置をとるにあたり、これを阻礙(そがい)しまたはこれに干渉せざることを約す」※終り
二、萌芽した「南進」論、つまり「反米」※へと後日に続く。
★★★憂國の精神力ある、中川八洋 YouTube 動画が2件があります。「侵略の皇帝プーチンに領土を貢ぐ安倍総理」である。◎◎◎日本国民は今、全力で日・露平和条約締結に反対するべきだ!
※日本国民の血税3千億円を、事前(全北方領土の返還前)に、ロシア側に贈与して、インフラ整備などロシアの軍事基地を増強させて、痴呆国家・日本へと再侵略させる悪影響しか考えられない日本破滅政策なのが、【日露経済協力】である。ロシア軍事力・基地増強につながり、日本側の油断を生む最凶悪な、日露平和条約締結で、再度、ロシア側の条約違反(契約違反)を誘発して、20年後には、クリミア半島と同じく北海道までは、確実にロシア領になる亡國の絵画を描く、【外患】の種を外交?と称して蒔き続ける、安倍首相である。
日本国民・指導者は、日露間の歴史や国際法も良く理解できる、中川八洋 YouTube 動画14分を再度視聴してください。が、次期首相は、ロシアとの【日本領返還交渉】【日露経済協力】【日露平和条約交渉】は、100%破棄するべき凶悪策である。
投資家・予言者・神野勝彦 筆