石破茂と小池百合子の違い
http://www.sankei.com/premium/news/160820/prm160820……
▲産經新聞:【スクリーン雑記帖・予告編つき】夏休み映画の主役は“異星人”や“お化け”ではなく中国? ハリウッドの「媚中」に日本の観客もあきれ気味!
かつてはわが国の市場が米ハリウッド映画界にとってのいわゆる「ドル箱」でしたが、いまや中共にとって代わられました。しかも本国から安全な投資先へと逃避した資本が流れ、世に言う「チャイナ・マネー」で製作される米映画も少なくありません。
以前に申した政界へ、そして「反日」活動へとお金が流れたように、中共人による「カネを出せば必ず口を出す」汚染が海外を駆け巡っています。
独国出身のローランド・エメリッヒ監督作品『インディペンデンス・デイ』(20世紀フォックス配給)では、地球侵略を意図して襲来した異星人を撃退すべく全世界が一つになる過程で、米軍の作戦開始に呼応する自衛隊の短い描写がありました。ところが、あれから二十年目の続編(公開中)では、産經新聞社記事の指摘通り鑑賞した人から聞いた限りあまりにも「中共尽くめ」であり、かなり均衡を欠いています。
そこで産經は、わが国の『シン・ゴジラ』(東宝配給)のほうを映画作品として褒めているわけですが……。
http://blogos.com/article/187599/
▲BLOGOS:お初盆ご挨拶など 石破茂
自民党の石破茂元防衛相は、自身のブログ記事の中で『シン・ゴジラ』を批判しました。自衛隊に関する描写に於いて、害獣駆除として災害派遣で対処するところを、劇中では防衛出動になっている点が法的におかしいというのです。
これが現職の自衛官や官僚諸氏による評論、或いは仮想分析ならば結構だったでしょう。しかし、石破元防衛相は現職の国会議員であり、その結論に終わって政治家としての判断を全く論じられないというところに、この人が決して首相になってはいけない理由を自らさらけ出しています。
もしもゴジラが表れた場合に自衛隊は、鳥獣保護法の準用で対応を迫られる可能性があり、戦争またはテロリズムを目的に放たれた巨大不明生物でない限り内閣は、防衛出動を閣議決定できません。
しかし私たち国民が知りたいのは、多くの同胞がゴジラの吐く放射火炎(東宝の説明に基づく)やゴジラ自体の移動によって殺されていく中、政府の政治決断があるのかないのかであり、現行憲法(占領憲法)下で交戦権を否定された中での法整備に基づく限界など説明されなくてもほぼ誰もが知っています。
したり顔で「どうにも理解できませんでした」としか言えない政治家になど用はありません。それに本作は、前の自民党総裁選挙で安倍晋三首相を裏切ってまで石破元防衛相を応援した小池百合子東京都知事(元防衛相)が該当する描写の協力をしています。
恐らく小池都知事は、政治家としての判断を加味し、防衛出動の場合を庵野秀明総監督らに説明したのでしょう。そこがトップになれる人となれない人の決定的な違いなのです。
皇紀2676年(平成28年)8月21日 11:02 AM
昨日NHKスペシャルで、戦後沖縄が「米軍基地だらけ」になってしまった経緯を、終戦直後の1年間に焦点を当てて見つめ直す番組を放送していました。
マッカーサーの「日本人はアメリカによる沖縄占領に反対しない。なぜなら、沖縄人は日本人ではないからだ。」といった衝撃的な言葉で番組は締めくくられました。
実際、復帰前の沖縄では、米軍によるそうした「反日工作」が行なわれていました。
例えば、「沖縄人と本土の日本人は縁もゆかりも無い。少なくとも、歴史的に非常に関係が薄いのだから、本土を意識してはいけない」といったプロパガンダであり、「沖縄の独自性」を強調する工作が展開されました。
一時期そうしたプロパガンダは激しさを増し、現地沖縄の知識人たちを辟易させる程だったそうです。
こうした工作の目的は、沖縄住民の親日感情の高まりを抑え、同時に反米感情の高まりも抑え、「復帰」への期待を殺ぐ事にあったと思われます。
日本列島の人類の歴史から見て、さほど遠くない過去に分岐した事が明白な、日本語と同系統の「姉妹語」を話す人々が、‶本土の日本人と縁もゆかりも無い”はずはないし、交流もそれなりに活発だったと思うのですが。
韓国語を「パッと見だけは似ているインチキ姉妹語」だとすると、琉球語は「実の姉妹語」です。
最近、アメリカなど北米に拠点を置いた「琉球独立運動」や「反基地運動」が活発化しているので心配しています。
間接的直接的に中共が絡んでいる事は当然として、特に気になるのは「基地問題は差別が原因」とか「琉球人は先住民」といったプロパガンダが、一部ではありますが欧米人に受け入れられている事です。
根本的に好きなんでしょうね、欧米人はこういうのが。
皇紀2676年(平成28年)8月21日 12:11 PM
私が思うに石破氏はどんな形であれ、戦わないことが平和であると考えていているような気がしてならないんですよね
戦い=悪みたいに考えていて、それをやると何かの均衡が破れて世界のパワーバランスが乱れるみたいに思われているのではないのでしょうか
以前田母神さんが彼を東京裁判史観に毒されていると指摘していましたが、その通りだと思います
元防衛大臣ですから戦いのことはよく知っているでしょうし、そのための準備はできるのでしょうが、実際の戦いで最も重要なのはそこから一歩踏み出して立ち向かっていけるかどうかの覚悟だと思いますし、行動できなくてはいくら装備が充実しようが、核を持とうが何の役にも立ちません
実際ゴジラが出現したら話し合いも何もありませんから、行動できなければ国民が次々死んでいくだけです
平和とは戦わなくていいということではないと思いますし、戦うということは平和を守るための努力の一つであると考えることができない結果が支那の尖閣問題へと発展したんです