対日ヘイト映画の作り方
【日曜放談】
世間は黄金週間(ゴールデンウイーク)ですね。毎年普通に仕事が続くものですから、ついピンときません。そもそもの黄金週間は、春休みと夏休みに挟まれた閑散期を盛り立てようと映画興業界が始めたものですから「映画館が賑わってこそ」という想いがあります。
近年特にポリティカル・コレクトネス(綺麗事莫迦)に運営が支配されている米映画芸術科学アカデミー主催のアカデミー賞授賞式で、本年第九十四回は、或る主演男優賞受賞者の暴力沙汰が話題になったばかりですが、それに対する日米国民の反応の違いは、やはりそのまま日米の文化の違いが露見しました。
私たち日本人とおおよその米国民では、いわば「犯罪事案の認知以前に、絶対に許せないこと」が違うのです。
ただ、映画界に「性加害」の暗雲が垂れ込め始めたことへの反応は、共通しているようです。映画監督が役者を徹底して虐めることで、迫真の場面を撮り上げようとする一種の加害は、昔からよくありました。また、新人を性的に弄んで、映画への出演を約束したりしなかったり、といったこともよくあったようです。
私個人は、もともと平成二十一年公開の約四時間にも及ぶ大作『愛のむきだし』などの園子温監督が嫌いでした(ただ本作主演の満島ひかりさんは凄いと思った)から、性加害に関する報道が出た際、つい「政権批判で綺麗事を発してきたくせに、よくも卑怯な」と思ったものです。
一方で、性加害の話が出た米国の役者で、演技を高く評価していただけに残念な想いをした場合もあり、彼らの日頃の行ないに、受け手のこちらは悲喜こもごもといったところでしょうか。
真実がどうなのかは、わが国でもジャーナリストにまつわる某性加害報道に見られるように、本人にしか分かりません。もしひたすら女性優位に話が「創られる」ならば、それは綺麗事莫迦を増長するので、やめていただきたいものです。
映画にもいろいろな種類がありますが、その綺麗事を主観に製作される記録映画(ドキュメンタリーフィルム)を、そのまま真実だと勘違いするのもやめねばなりません。
娯楽映画とされる創作劇と同様、そこには映画監督、脚本家や製作者(プロデューサー)の意図というものがあり、まさに彼らの主観で創られるものですから、全くの真実どころか事実かどうかも疑わしいのです。
映画『牛久』の場合は、まさにわが国の出入国在留管理庁を非難するという主たる目的によって創られており、その意図に反する言動や現象の一切は、編集で切り取られてしまいます。
そのようにして、これまで数多の対日ヘイトスピーチ映画(日本憎悪差別扇動映画)が創られてきました。抗議すれば「表現の自由」を叫ぶ集団がわめき、わが国を賞賛するような映画には、その彼らが抗議、公開を妨害するといった有り様で、綺麗事莫迦のむきだしを大いに嘲笑うものです。
皇紀2682年(令和4年)5月1日 11:33 AM
偶然にも先ほど某映画館の前を通り掛かりましたが、これまでの(そもそも必要のなかった)自粛の鬱憤を晴らすかのように大勢の客で賑わっていました。しかし、すっかり我が国にも蔓延しきった綺麗事莫迦(というより普通に犯罪者)の面々が想起され、映画を観るという選択肢が休日の過ごし方から無くなってしまいました。あのハリウッドのビンタ騒動における米国世論にも酷く失望しています。過日のマイク·タイソン氏による旅客機内での暴行騒動の顛末も見るに耐えません。近ごろ多くの芸能人(特に女優)が休養を発表していますが、相次ぐ映画界での性加害事件が彼らの心身を蝕んだに違いありません。
相も変わらずテレビは有害な情報ばかり流すし、もう芸能人はある程度知名度を得たらYouTuberに転向するのが主流となるでしょう。たかが映画の監督になったくらいでまるで神にでもなったかのように横暴を極める「莫迦の剥き出し」と関わっていいことなんてただの一つもないのですから。