アフガン作戦批判の確信犯

皇紀2681年(令和3年)9月1日

 八月二十五日記事二十七日記事で扱ったアフガニスタンの件ですが、米軍の完全撤退(敗戦)から一夜にしてカブール空港がターリバーンの武装勢力に掌握されてしまい、自衛隊は撤収せざるを得なくなりました。

 日本大使館勤務の日本人職員は真っ先に退避していたものの、国民一人と米国から要請されたアフガン人十四人を退避させて作戦は終了し、大使館勤務のアフガン人職員とその家族約五百人を救出できませんでした。

 これに対し、自衛隊派遣の判断が「遅かった」という批判がありますが、派遣を決めたのはむしろ早かったのです。問題は、この派遣を批判した連中が展開してきた「自衛隊への縛り」、すなわち自衛隊法(第八十四条)の運用限界なのです。

 どうしても現行憲法(占領憲法)という金魚鉢の中でしか法律を作ったり直したりできないため、私が安倍前政権下の安全保障関連諸法案論議で断った通り相変わらず制約が多いまま、空港にたどり着くのも命がけという危険な状況下でも自衛官を退避支援目的で空港外に出すことができませんでした。

 そして、退避支援目的の武器使用規定の適用は、政治的判断で見送られたのです。これでは自衛官が退避しようとする人びとを保護できません。

 立法がこのような法律しか作れないことと行政がどうしても武器使用に躊躇するのは、全て占領憲法を「護憲」する(或る意味で)ターリバーンより悪質な勢力の存在が原因であり、自分たちでこの状況を作っておきながら退避作戦を批判するのは、文字通り「放火犯が焼け跡で消防を批判するようなもの」です。

 韓国が退避作戦を完遂できたことと比較してわが国を辱めるような声も散見されますが、韓国戦争(朝鮮戦争)休戦中で法的にも軍を保有する国と同列に並べて自衛隊を揶揄するというのなら、わが国も法的に軍を保有しなければならないと証明したに過ぎません。

 現行の中途半端な状態では、最も大切な自衛官の命を守り切れないのです。

 たとえ面倒に思えても、私たち国民は占領憲法問題から逃れられません。立法権力(国会)から護憲勢力を叩き出さない限り、私たちは何度でも自衛官に屈辱を味わわせ、助かる命も助からないのです。

 今秋十月予定の衆議院議員総選挙で、私たちの意思を示さなくてはなりません。

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