乗車拒否騒動の何が問題か

皇紀2681年(令和3年)4月11日

なぜ彼女は「JRに乗車拒否された」と訴えたのか 波紋ブログの真意、伊是名夏子さんに聞いた

静岡県内の無人駅「来宮駅」で車イスの階段移動を巡ってトラブルになったことについて、コラムニストの伊是名夏子さん(38)がJ-CASTニュースの取材に応じ、当日の状況などを改めて説明した。 JR東日本横浜支社では、「乗車拒否とは認識していない」としたが、伊是名さんはこれに反論した。駅員の意識が十分ではなく体制に問題があるとして、障害者への合理的配慮が「努力義務」とされる障害者差別解消法にしっかりと対応すべきだとも訴えた…

(J-CAST)

 この一週間の話題といえばこれでしょう。福島瑞穂参議院議員しかいなくなった社会民主党の伊是名夏子全国連合常任幹事が東日本旅客鉄道(JR東日本)に「乗車拒否された」と騒いだ話は、賛否両論どころか多くの批判を浴びました。

 ご本人は「誹謗中傷された」と感じているようですが、彼女のとった行動の問題点は、どこかへ出かける際に健常者でも障害者でも自身に何らかの達成したい課題がある場合にはまず事前に下調べをする、問い合わせる、必要なら予約をするのに対し、ろくに調べもせずに無人駅へ行こうとし、突然にもかかわらず対応した駅員の提案にことごとく反対を唱えて無人駅へ駅員四人を派遣させ、重さ八十kgを超える電動車椅子を運ばせたことにほぼ集約されています。

 彼女のいう「障害者だから」というのは全く通用しません。健常者でも事前の問い合わせ・予約なしに、例えばホテルや旅館へ行って「泊めて」と頼んでも、場合によっては「本日は満室です」といわれれば諦めるほかなく、親切にも「近隣にこのようなホテルもあります」と提案されて「どうしても自分はここに泊まりたい」とごねたところで、どうにもならないものはどうにもならないのです。それを「宿泊拒否された」と騒いでも、誰もそのホテルに対して何らの問題意識ももちません。

 「いや、普通に駅を利用したかっただけで、障害者は電車に乗って駅で降りることもできないのか」と問われたとしても、自身の達成したい課題は多様なもので、障害者は障害を認知しているのならそれ相応の事前準備は必要なはずです。もう一度申しますが、それは健常者でも同じことであり、まして自分が車椅子で移動している自覚があるのなら、それ相応の準備をした上で気持ちよく外出を楽しまれるべきでした。

 彼女が事前に見たというJR東日本のアプリケーションには、来宮駅に階段があることは記載されています。よく見なかった自身の落ち度を棚に上げて駅員に喰ってかかり、挙げ句に「乗車拒否された」と騒いだのでは(嫌いな表現ですが)典型的なカスタマー・ハラスメントでしかないのです。

 彼女のいう「合理的配慮」は、極めて個人的な課題の解決のために他者に重い犠牲を強いることでしかなく、国家として障害者の立場に立った街づくりを求めることにはなりません。

 よって、彼女が既に「こういうことを何回も繰り返す」と予告していることは、もはやテロ予告か何かに等しく、迷惑行為も度が過ぎれば威力業務妨害などの犯罪を構成します。私たちのこの世界に、彼女の行動は何ら問題提起としての役目を果たしません。

 わが国は、諸外国に比べていわゆる「バリアフリー」がかなり進んでいます。欧州各国の名勝地には、手すりも案内板すらもなく、健常者でも自分の身は自分で守らなければならない場合がほとんどです。わが国は、電車内のアナウンスといい「甘やかし」「子供の国だ」と揶揄されたこともあるほどでした。

 私は、それでもわが国がバリアフリー化を進めてきたのはよいことだと思っています。健常者が次の日には車椅子生活になることだってあるのですから、互いに声を掛け合える国家でありたいものです。

 そうした国家的目標の達成は、彼女のような暴力によって成しえるものではありません。彼女の行動は、いよいよ健常者を跳ね飛ばし、世間の障害者に対する誤解を拡大させ、目標の達成を遠ざけたのです。

 彼女は二月二十一日の社民党全国代表者会議で、かの沖縄平和運動センターの山城博治議長と共に常任幹事に選出されたばかりで、これが福島一人党首の方針なのかと思うと、ますます暴力肯定政党に未来はないと感じます。

 一方で、未曽有の内需委縮が招いた致命的な少子化により、今後は鉄道駅の無人駅がさらに増えていくでしょう。障害者対応の職務が無人駅の管理駅(今回の場合は熱海駅)にある限り、やはり事前の問い合わせは必須になります。

 それを彼女のような振る舞いを繰り返されるのであれば、鉄道事業者としてはその無人駅を廃止するほかなくなるのです。これは高齢者の公共交通機関利用の促進という課題と重なり、重大な問題を拡大させてしまいます。

 だからこそ互いに声を掛け合う世の中にしていくのが政策的課題なのではないのですか? それすら分からない者が「世の中のために声を上げる」なんぞと大層な言い訳をしてはいけないのです。

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『乗車拒否騒動の何が問題か』に3件のコメント

  1. 波那:

    まあ、あの人達が企んでいるのは日本をアメリカみたいなポリコレ社会にして日本人の言論を封殺して日本古来の伝統、文化を破壊して行くことですけど、普通の素養のある日本人なら持っている障害者に対する思いやりの気遣いさえ、警戒して遠ざけてしまうようにする暴挙な行為はやめた方がいいですね。障害者や弱者を殊更、全面に押し出して差別が〜人権が〜に利用する意地汚い、頭の悪い福島(趙春花)や、山本太郎なんかが日本に居るのが本当に迷惑。

  2. ひかりちょういち:

    照屋寛徳代議士の事も思い出してあげて下さい。
    http://www5.sdp.or.jp/member/member.htm

  3. 山田太郎:

    始めてコメントします!
    私は、この日本国に福祉予算のない時代を知っています。
    勿論、僅かですがありましたが、ほんとに微々たるものです。
    そして、国も地方自治体も公共事業をしたくても、予算がない時代も知っています。
    地方自治体は、その地方の素封家に対して、寄付をお願いして住民の公共サービスを賄っていました。勿論、地方公務員の給料は安かった時代です。
    私は、子供の時に仏壇に前にある「太鼓」(日蓮宗なので)を見て、不思議に思いました。
    なぜなら、太鼓には遠い親戚の人の名前が書かれていたのです。
    そして、お寺に寄進したとも書かれていました。
    とっさに、これは、母には聞かれないと感じたのです。大きくなり、姉に問いただしたところ、驚きの返答を聞かされたのです。
    姉が言うには、親は先に死に、残された子供は誰が育てるのかといわれて、私は福祉が殆どない時代は、秘密裡に行われていたことも知りました。産婆さんの隠れた一番の仕事だともいわれました。
    今は、福祉に予算を回せれますが、また昔のように貧乏な国になったら、障碍者には予算が回されず、健常者が優先されます。
    だからこそ、日本国を二度と貧乏な国にせず、経済を発展させて行くべきです。
    もう、みんな旅立ちました!(生々しいはなしなので掲載しなくてもいいですよ)