表現の不自由、敵は誰?

皇紀2679年(令和元年)10月8日

 撮影監督の川又昂氏が五日午後、亡くなりました。衷心よりお悔やみを申し上げます。川又氏は、松竹大船撮影所のご出身で、かつて英国映画協会の機関紙が「世界一の映画」に選出した『東京物語』などの小津安二郎監督作品での撮影助手を経て、のちに同じ松竹の野村芳太郎監督作品『砂の器』や今村昌平監督作品『黒い雨』などで撮影監督を務め、国際映画祭でも高い評価を得ました。

 特に私が思い出深いのは、映画『砂の器』ディジタル・リマスター版特別上映に、今はなき梅田松竹ピカデリー(大阪市北区)へ駆けつけた際、ハンセン病患者でいらした方がたとご一緒に鑑賞できたことです。彼らは殊に、本浦親子の放浪の場面(これはぜひご覧ください)で激しく嗚咽し、映画館でなければ体験しえない感情の爆発を目前にしました。あの場面構成は実に見事でした。

表現の不自由展、8日午後から再開へ 大村知事が方針:朝日新聞デジタル

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)で、中止となっていた企画展「表現の不自由展・その後」について、芸術祭実行委会長の大村秀章・愛知県知事は8日午後から企画展…

(조일신문(朝日新闻)日本語版)

 ハンセン病患者に対するかつての非医学的な根拠なき差別は、まず「ごく普通の人びと」から起きたものであり、それを受けて国家権力側が隔離を決めてしまいました。そこが現在に至るまで国家側に問われてきた責任なのですが、当時の政府も「国民の皆さん、何をしているのですか」といえるだけの医学的知識が追いついていませんでした。まさに時代の不幸です。

 さて、この表現の不自由展について、無責任極まりない芸術監督やその取り巻き連中の騒ぎ方に対し、私は先月二十九日記事でその頓珍漢ぶりを指摘しました。彼らの主張は、いちいち的外れなのです。

 しかし、最も的外れなのは、彼らが「表現の不自由」を一方的に国家権力側から受けたものと思い込んでいることであり、伊丹万作監督の宣言文『戦争責任者の問題』(伊丹万作全集第一巻収蔵)にもあるように、問題は「お国」ではなく「自分たち」にあったことに他なりません。これが伊丹十三監督の一貫した「日本人論」へと繋がり、数かずの映画が作られました。

 つまり、表現の不自由は、自分たち「ごく普通の人びと」によって起きたことであり、私たち国民の多くが忌避したものたちだったのです。そうすれば当然いわゆる「エログロ」なども含まれていなければなりませんが、ところが会場には特定の政治活動的なものばかりが並んでいるだけであり、だからこそこのような展示に文化庁の補助金(公金)を出されては困るのです。

 表現の不自由を謳った割には、非常に質の低い認識による単なる特定の政治活動に終わったものを、そう有難がる人びともまた、表現の不自由を大いに煽っています。愛知県という自治体に巣食う対日ヘイトスピーチ(日本憎悪差別)集団に、表現の自由を語る資格があるでしょうか。

 表現の自由を懸けて名古屋市の河村たかし市長が県庁前で座り込んででも抗議するというのですから、ヘイト側にくっついて表現の自由を脅かした大村秀章知事ぐらいは責任を取るべきです。
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第十一回 救国の提言講演会<東京>が令和元年10月27日(日曜日)午後18時より、文京区シビックセンターでの開催と決まりました。詳細は後日、お知らせします。

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『表現の不自由、敵は誰?』に1件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    「慰安婦像」って、こういうやつですよね?
    韓国国内外の公的な場所に無理やり設置して回り各地で軋轢を生じさせている、「芸術運動」ではなくて、一種の「政治活動」だと思うのですが。

    在韓日本大使館の新築許可が取り消し 日本側、慰安婦像で工事未着手か
    https://mainichi.jp/articles/20190410/k00/00m/030/178000c

    ところで、右翼活動家らが‶過激”な反中反北朝鮮的な展示を企画したとしても、ちゃんと展覧会は開催されるのでしょうかね?
    その場合は、恐らく「ヘイト」の一言で片付けると思いますよ。

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