人生100年という絶望感
以前申した通りカルロス・ゴーン被告は既に、多国籍金融にも見放されています。仏国の調査でも不透明な支出があったと公表され、彼の有罪はわが国の裁判に於いてもほぼ確定です。だからこそ日本五輪大会委員会の竹田恆和前委員長は退任しただけで助かったのです。
そもそも社員を大量リストラし、看板工場を閉鎖しただけの経営者が「カリスマ」なわけなどないのです。
さて本日は、三日記事の関連になります。現行の年金制度をそのままにするのであれば、当然「年金だけでは足りません。老後に備えて各自蓄えておいてください」といわねばならなかったところを、今の今まで誰も怖くていえなかったのです。
ナントカ民主党の辻元清美国会対策委員長は、こんな凡庸な政権批判をしている暇があるなら、或いは本当に「正直な政治」をいうのであれば「すべて国民に死ぬ権利を保障しましょう」といわねばなりません。しかし、いえないでしょう? 怖くて決していえません。
川崎市で起こされた無差別殺傷事件と元農林水産事務次官が息子を刺殺した事件に共通しているのは、扶養していた親が高齢化し、失われた三十年の影響を受け続けた無職の子供までもが高齢化した途端、その子供は「いつまでこの生活を続けられるだろうか」「いくら長寿化したといっても親は先に死ぬ。なのに自分も長寿化でなかなか死なない」となれば、最悪且つ極端な事例として、他者を巻き込んで(自身の境遇を恨んで)自殺するしかなくなるのです。
私自身がかねてより長寿を華とは思わない(命の継承により世代が変わっていくことに意味があると思う)性質だからか、医療というより医術の無尽蔵な発達によって私たち日本人の平均寿命が軽く百年に到達しそうであることは、政治的にも家族や個人の幸福度評価に於いても実は「まずいことになった」としか思いません。
若者の体の不調を解消する医術の発達を、或る程度の年齢を超えた人間にまでえんえんとひけらかし続けた結果、腰が曲がり目は見えづらく、耳も遠いのになかなか死ねない人間を増やしました。いや、ここまでお読みになって「何てことをいうんだ」と思われた方は、何も間違っていません。例えば親の長寿を願うのが子の幸せであり、現行憲法(占領憲法)下で旧大蔵省による前代未聞の売国行政さえ行われていなければ、前出の二つの事件は、いわば(特に川崎の件について禁じえない怒りを抑えて申しますと)「よくある異常な人格が生んだ悲劇」で済みました。
ところが、このような事件も、高齢者が若者を乗用車でひき殺してしまう事故も、これからますます増えるのです。間違いなく増えます。就職氷河期を過ごし、リストラされ、私たち日本人が絶対的としてきた価値観から外れざるをえなかった人たちの高齢化は、生き地獄でしかないのです。
祭祀によって生命の継承に感謝し、市場原理主義的資本主義に溺れてさえいなければ乗り越えられたはずの苦境さえ、ことのほか占領統治期以降、全く耐えられない民族に堕ちました。極端な事件がもう極端ではないのです。
現在の政府には、その生き地獄が見えていません。ましてナントカ民主党の連中になど見えているはずがないのです。この「寝とぼけた」辻元発言からも、そのことがよく分かります。こんな連中に「国民の暮らし」は絶対に語れません。断言します。
私たちはいよいよ、百年という長寿に絶望しているのです。いただいた命に感謝の念がなくなった日本人に、明るい未来などあろうはずがありません。旧大蔵省の所業に加え、自分たちでも整理がつかなくなった厚生労働省所管の各種社会保障制度は、間違いなく出鱈目です。
特に年金制度については、納付された全額を一旦国民に返却して新制度を発足させるぐらいのことを覚悟しなければなりません。そんなことも怖くてできなかった長妻昭元厚労省が居座るナントカ民主党になんぞ「まっとうな政治」はできないのです。
皇紀2679年(令和元年)6月6日 11:21 AM
平成時代は、家業の継続を諦めて廃業した人も多かったと思います。
先日の美味しい麺料理のお店の他に、老舗のうなぎ屋さんも閉店したのですが、絶滅が危惧されるの何のと言いながら、相変らず、スーパーや牛丼屋で安くて単調な味のウナギが沢山売られていますね。(こんなクソ不味いウナギに負けてしまったのか、と悲しくなります。)
先日、マスコミによる「一部を切り取った報道」だけでは、経済にせよ、金融にせよ、環境問題にせよ、それが何であれ、専門性の高い話題を理解する事は不可能なので、「一億総勘違い」に陥らぬよう、英語で書かれた公式文書や、声明文や、研究機関のプレスリリースや論文まで丹念に読まねば、国民は正確な判断ができないかも知れない、、と申しました。
とはいえ、著名な研究者の中には、「誇大広告」や「炎上商法的」な手法によって多額のお金を集めている強かな方もおられます。
「詐欺」とまでは申しませんし、苦しい台所事情をお察しし、目下静観するのみですが、今後更に暴走されるようなことがあれば、「証拠となるもの」(文章)が手元にありますし、関係者の実名を挙げて批判させていただきたいと思います。
「黙れペテン師、からくりはこうだ。」と。
その際には、国益や関係者の前途を考慮せず、敢えて空気を読まずにやってやろうと思います。