悠仁殿下の中学に侵入の男

皇紀2679年(平成31年)4月30日

50代男を逮捕 悠仁さまの中学に侵入 容疑認める

 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、悠仁さまの机の上に刃物が置かれているのが見つかった事件で、警視庁捜査1課は29日、事件に関与した疑いが強まったとして、建造物侵入容疑で住居・職業不詳の50代の男を逮捕した。捜査関係者によると、容疑を認めており…

(産經新聞社)

 現行憲法(占領憲法)も現行典範(占領典範)もほったらかしの立法にあくまで従われた今上陛下は、徹底してそうなさることで「これはおかしい」「このままではまずい」と私たち国民に気づかせようとなさったのではないか、と思うほどでした。

 しかし、対米軍依存の護憲政治は変わることなく、とうとう本日も雨の中、実は雨に始まった平成が強制終了になります。明日も東京都内の天気予報では太陽がお隠れのままであり、それが何かを物語るのでしょう。

 物語ると申せば産經新聞社記事にある事件の発生です。既に多くの国民が心配と不安、犯人に対する怒りを禁じえないことでしょう。記事中にはありませんが、警視庁捜査一課(凶悪事件などの担当)の発表で逮捕されたのが京都市在住の自称・長谷川薫容疑者(逮捕されたのは、滞在先の東横イン湘南平塚駅北口1)だと分かりました。

 事件の焦点は、なぜ長谷川容疑者が秋篠宮の悠仁親王殿下を恐怖に陥れようとしたのかに尽きます。お茶の水女子大学付属中学校(文京区大塚)の警備体制も決して緩くはなかったのですが、入構者の(水道工事で人を呼んだか否かなどの)確認が甘かったため、御入学になったばかりの悠仁殿下が御不在の教室と机(机上に貼られた氏名シール)をいとも簡単に、或いは何らかの内部情報を事前に得て発見されてしまったのは、痛恨の極みと断じざるをえません。

 これが学習院中等科(豊島区目白)であれば、そもそも警備のことを考えて校舎が建てられ、長年の経験と信頼関係もあり、その体制は万全ですが、東宮の愛子内親王殿下をめぐる小和田家の介入によって学習院がかつてとは違う「皇族を腫れもののように扱う」態度をとったため、秋篠宮の文仁親王殿下の強い不信を買ったことが、悠仁殿下を他校へ御通わせになる結果につながりました。

 とはいえこのような事情を知らない人のうち、皇室を「天皇制」などと存在しない言葉で否定したがる頭のおかしな連中(俗称=左翼)と、国を想うあまりのいわゆる「右翼」のどちらにも犯行動機があったと申せましょう。

 しかしながら本当に国想う人は、決して皇族を脅したりはしません。犯行の様子から、一個人によるというより組織的な、極左暴力的な、京都的な臭い匂いが漂っています。

 これまでインターネット上では、まるで東宮批判と秋篠宮批判が対決しているような様相を呈し、そうして皇室が貶められていくのを対日ヘイトスピーチ(日本差別)にまい進する頭のおかしな連中がほくそ笑む、という一種の「様式美」がありました。

 小室家をわざと調べもせずに秋篠宮に接触させたのは、今や小和田家傘下の宮内庁(ほとんどの官僚たちが出向を嫌がる中、外務省から大量投入中)であり、また、そうすることで皇太子徳仁親王殿下と雅子殿下を批判の矢面に立たせて苦しめています。批判されるようなことを両殿下にさせてきたのは、すべて小和田家です。

 そして、令和もきっと雨に始まるのでしょう。

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『悠仁殿下の中学に侵入の男』に3件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    平成のうちに犯人が捕まってよかったです。
    それにしても、京都在住の男が、よく迷わずに目的の教室に辿りつけたものです。
    神奈川に潜伏していたそうですが、都内にも仲間がいたのでしょうか?

    一部のメディアは、さっそく「悠仁様と愛子様、天皇にするならどちらがいい?」などとやっています。
    そんな事ばかり言っているから、変な事件が起こってしまうのではないでしょうかね。

    関東の人々は、古来皇室と共に過ごして来たわけではありません。
    「天皇」や「皇室」を初めて身近に感じるようになったのは、明治以降と言っても過言ではありません。
    何分「伝統」がないのです。
    ですから、もっぱら近代化以降に培われたイメージで皇室を見る傾向が強く、浅薄で危ういのですが、京都にも過激な人々がいて安全ではないようですね。

  2. 一般ピープル:

    しばらくぶりです。

    小和田家の実態というか本性や狙いについて遠藤先生のご存知のことがあれば教えてくれれば有り難いです。

    小和田家のことについては他でもよくない話を聞きますが、噂のレベルと思っていたので。

    遠藤先生ならきちっと裏打ちのあるお話がいただけると思いましたもので。もし可能でしたらお願いいたします。

  3. きよしこ:

    不敬極まる「政令による一方的な退位命令」に複雑な思いを抱いていたので迷っていたのですが、夕刻より皇居桜田門に向かいました。それまでは小雨だったのですが驚いたことに退位礼正殿の儀が始まった午後五時頃から急激に雨脚が強くなり、さらに驚いたことに終わりを迎えた頃に再び雨脚が弱まったのです。それを涙雨と捉えるか平成という混沌とした世の膿を洗い流す「恵みの雨」と捉えるかは人それぞれですが、いずれにせよ占領憲法の矛盾と不条理に真正面から立ち向かい、全てを捧げられた天皇皇后両陛下には心よりの感謝と尊崇を禁じえません。もう日付を跨いでしまったため上皇・上皇后になられたわけですが・・・

    先生はじめ皆様には平成の御代に本当に御世話になりました。令和においても極めて未熟な私ですが引き続き御指導ならびに御鞭撻お願い申し上げます。どうか令和の時代が穏やかで温かく毅然としたものでありますよう。