残念だが「逃げたらダメ」

皇紀2678年(平成30年)9月1日

 八月十五日記事で言及した事件に関連し、大阪府警察が樋田淳也容疑者に似た男の目撃情報に基づきオートバイを追跡したところ、大阪市港区弁天の路上でバス停留所に突っ込み、その後亡くなりました。逃走したのは、十七歳の高校生だったということです。

 驚いたのは、一部かもしれませんが「大阪府警が間違って追跡して高校生を殺した」或いは「必死だったのだろうがそもそも富田林警察署が容疑者を逃がさなければ起きなかった悲劇」といった意見が出たことです。

 重要なのは、この高校生が無免許で且つオートバイは港区内で盗まれたものだったことであり、よってこの高校生は警察の追跡から逃れ続けたのでしょう。単に「人違い」案件であれば、運転者はすぐに停車して件の容疑者でないことを警察が確認できました。

 確かに亡くなったことは残念であり(望みとして更生の余地があったに違いなく)お悔やみを申し上げますが、まるで大阪府警が悪いようにいうのは間違っています。樋田容疑者の事件とは別に、追跡されて当然の別の事件でした。

 東京発信の報道では、もうほとんど伝えられなくなりましたが、実に計画的に留置施設から逃げ出した樋田容疑者を大阪府警は必死に捜しています。私たちにも情報は行き渡っており、変装を想定した顔写真もあちこちに配布されました。逃げられたことは確かに痛恨のミスでしたが、今一度警察を取り巻く厳しい環境について、私たち国民も政治課題として考えたいと思います。

池谷幸雄氏、生放送で号泣…速見コーチの暴力を協会に報告したのが「千恵子先生にしか思えないことが残念」

31日放送のフジテレビ系「バイキング」(月〜金曜・前11時55分)で体操女子で16年リオ五輪代表の宮川紗江(18)が、日本体操協会の塚原千恵子・強化本部長(71)からパワハラを受けたと告発した問題を特集した。生出演した体操のバルセロナ五輪銀メダリストの池谷幸雄氏(47)が号泣する場面があった…

(スポーツ報知)

 さて、もう一件。八月三十日記事本能と体罰の問題に言及しましたが、どうしても教育を目的とした有形力の行使を暴力にしたがる風潮の中で、勇気をもって告発した宮川紗江選手も「暴力」という言葉を使わざるをえませんでしたし、教育した側の速見佑斗コーチも「暴力」という言葉を用いて身を引きました。

 私は仕事でこの放送を見られませんが、速見コーチが処分に対する異議申し立てを取り下げ、謝罪文まで出したと聞いて、恐らく池谷幸雄氏と同じと思われる感想を抱きました。すべてはこの風潮にあって、宮川選手のことだけを考えた決断を、涙を呑んでしたのだろう、と。

 本来は徹底的に「暴力ではない」といって闘ってほしかったのですが、彼は最初からそこは引いて日本体操協会と争う決意だったようですから、この問題は子供の教育に携わるすべての国民で議論するしかありません。

 暴力の被害者とされた宮川選手の速見コーチに対する今なお変わらぬ想いを指して「『暴力を振るわれるのは自分が悪い』と思い込まされているだけ」といった指摘が大半を占めているようですが、まさか拉致・監禁などの犯罪被害者がかかるとされるストックホルム症候群のことをいっているのではあるまいな、と。

 あれは犯人と被害者という何の信頼関係もない間柄に発生する現象であり、教育者と生徒の間に信頼関係が構築されていれば、過度な連帯感や好意が生じるのとは違います。

 人と人との信頼関係というものを、その程度にしか論じられない心の貧しい人たちにはうんざりさせられます。どうしても速見コーチのした体罰を「暴力」にしたくて持ち出された無理筋としか考えられないのです。

 一連の報道の中で、一貫して体罰の問題が簡単に片づけられていきますが、どうか皆さんは大いに引っかかってください。

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『残念だが「逃げたらダメ」』に2件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    「体操問題」の一方で、日本人選手たちがひっそりと大活躍を続けていましたね。
    どちらもライバル中国を下しての快進撃です。

    男子400メートルリレー、20年ぶり優勝 2年後、東京で「もう1回、金メダル」
    https://www.sankei.com/sports/news/180831/spo1808310001-n1.html

    なでしこジャパン、2大会ぶり2度目のアジア大会制覇! 終了間際の菅澤弾で中国下す
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180831-00823375-soccerk-socc

  2. やす:

    本能の退化により本能と体罰の違いが分からなくなっている人が増えているということでしょうね
    何でも理屈づけたがるのは西洋的なやり方ですが、本能によって自然に理解できることは理屈じゃないんですよね
    今は西洋的な考え方にすっかり毒されてしまっているので、理屈に合わないことを押し付けだとか分かりやすい形にはめて本能を置き去りにしてしまって、結果理性がどんどん肥大化し、それが犯罪という狂気に変わっていくのではないかと私は考えています
    本能が置き去りにされてしまうと物の見方に深みがなくなり、白か黒かだけで判断するようになり、どんどん弱肉強食という名の二極化が進むと私は見ています
    速見佑斗コーチも本当は暴力なんて微塵も思ってないと思いますが、それを体操協会が分かってくれる訳はないと知っているから泣く泣く暴力と言うしかなかったと私は思っていますし、暴力でなかったことは宮川選手が一番分かっていたはずです
    暴力は怨みと怒りしか買いませんが、体罰はちゃんと思いが伝わることは子供でも分かりますし、それが本能というものです
    私も学生時代教師に叩かれたことは何度もありますのでそれぐらい分かります
    明治以降150年の間に回った西洋的な考えの毒を抜くには根本的な教育の見直ししかないと思います