この高校生たちに敵うか?

皇紀2678年(平成30年)7月12日

土砂の袋を運ぶ高校生:時事ドットコム

道路に流れ出た土砂を詰めた袋を自衛隊のトラックに載せる地元の高校生ら=11日午後、広島市安芸区

(時事ドットコム)

 平成三十年七月豪雨(西日本大水害)対策をだしに与党を叩くことしか考えていない野党議員や、これを自公連立政権支持に利用することしか考えない与党議員は、被災地で自衛隊員たちと汗をかく地元の高校生たちの姿をよく見るがいい。

 私を含め、いかに「理屈・論争よりも実践」かを思い知ります。

 ここでさまざまなことを申してきましたが、私は彼らに敵いません。会社を休めない、まだ病気が治っていない、といった理由ももはやただの言い訳に思えてきました。

 とはいえ人にはそれぞれの人の身の丈があり、たとえ被災地に駆けつけられなくてもできることはあります。自治体や企業が食べ物や夏用の服など救援物資を被災された方がたに届け始めました。一方、現状で最も信頼できる日本赤十字社の義援金募集を再掲しておきます。

日本赤十字社 平成30年7月豪雨災害義援金

 自宅の一階が浸水してしまった場合、そのままでは次は地震に怯えて暮らすことになります。当然床を剥がし、一部で壁も剥がし、水に浸かった柱などをどうにかしなければなりませんが、そこで目の前が真っ暗になるとしたらお金の問題なのです。これも理屈ではなく、私の活動でさえこの問題にこれまで何度もぶつかってきました。

 お金の目処さえ立てば、ほんの少しは気持ちを前に進められるはずです。先人たちから受け継いだこの日本列島を、次の世代ががんばって守ろうとしています。四の五のいっていないで私たち日本国民同士が相和、相信じ、博愛を彼らのためにも及ぼそうではありませんか。

 特に放送報道各社は、先に北海道の石狩川が氾濫し、旭川市などで住宅浸水の被害が出ていることをほとんど取り上げていません。昨日記事で申したように政治家だけではない報道権力の出鱈目ぶりは深刻で、被災地の高校生たちさえも彼らの「視聴率(=カネ)の道具」にされかねません。

 そして、最も国民の安全を捨てる行為を票とカネにかえようとした出鱈目な連中が旧民主党(現在の立憲民主党国民民主党ら)です。

 日を置いて発生した広島県安芸郡府中町の災害を見ても分かる通り、もし上流に複数設置されていた砂防ダムがなかったらさらにどうなっていたかということであり、岡山県倉敷市真備町の大惨事に至っては、高梁川と小田川の合流地点をつけ替える治水工事が旧民主党の「事業仕分け」で捨てられ、既に四年前着工予定だったものが遅れたことによる人災と申して過言ではありません。

 すなわち蓮舫現立憲民主党副代表らは、「コンクリートから人殺しへ」をやって称賛を浴びようとし、またこれを称賛した莫迦がいたという話です。自然を甘く見て、備えることをしない「現世個人の理性至上主義(津波なんぞ走って逃げれば助かる、百年に一度なんぞいつ来るか分からない)という左翼思想」が災害を拡大させます。

 敢えて申せば、その辺の者が左翼に染まって勝手に被災死するのは自由と権利の行使でしょうが、政治家や報道記者がこれに染まる、或いは染まった者がそれらの職に就くというのは、私たち国民に向かって「走って逃げろ。おまえらに回すカネはない。逃げきれなかったら死ねば?」「百年に一度が来たら、ま、その時は死になさいよ。あたしゃ権力の中枢で守られて生き残るがね」と吐き捨てることにほかならないのです。

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『この高校生たちに敵うか?』に3件のコメント

  1. 中島三郎助:

    昨日、夕方に何げなくラジオを聴いていたら、某教授が出演していて、下記のようなことを話していました。
    最初は、お悔みとお見舞いです!
    政府・自民党はこの機会に大規模な公共事業をするべく、大幅な予算を組むことを考えているが、今回は千年に一度の災害なので、其れは控えるべきだ。其れよりもソフト面を考えて、危険地帯に住むことを避けて、安全地帯に住民を引っ越しさせるべきとの意見です!
    今回大規模な公共工事をしても、千年後に耐えることが出来るのかと、疑問を投げかけていました。
    ま~、驚きました!
    無駄な公共事業は、するなとの意見です!
    千年に一度と言っても、必ずしも千年後と限りませんし、来年にまた被害が発生するかもしれませんよ?
    数年前に西日本に大雨があり、犠牲者が出ています。
    此の教授は言葉を選びながら、人々を惑わして、犠牲者を出ることを願っているとしか思えません!
    反日人士は、自分自身が被害者・犠牲者に為らなければ分からないのでしょうか?
    函館より!

  2. 心配性@我は蛮夷なり:

    募金をさせていただきます。
    全く土地勘のない者が遠方から「渋滞」に巻き込まれながら現地入りしても、足を引っ張るだけかも知れないので、僅かな額ではありますが、どうぞお役立て下さい。

    「オウム」の方ですが、酷く揉めているようです。
    「散骨」には賛成ですが、「どこの海」に撒くかは明らかにしない方がよいと思います。
    仮に太平洋に撒き、その後地震や津波が発生した場合、「尊師の怒りだ!」などと言い出すと腹ただしいからです。
    我々の先祖は、何百年、何千年、何万年とこの日本列島で暮らし、幾度もの津波を経験し、また乗り越えて来ました。
    たった一人のおっさんの為に、大海原が津波を起こす事などありません。

    また、個人が「何千人もの人が巻き添えになり、大勢の人が負傷し、命を落とし、今もなお後遺症に苦しんでいるが、私は関心が無い。」というのは勝手ですが、某氏のような著名人が、テロに共感し、絶賛し、「私もオウム入りたくなりました。」と言うのは大問題です。
    今後は、天下国家について論じないでいただきたいと思います。

    「遺骨は太平洋に」 麻原元死刑囚の四女側が意向 国に要請支援
    https://www.sankei.com/affairs/news/180711/afr1807110042-n1.html

    江川紹子の「事件ウオッチ」第105回
    http://biz-journal.jp/2018/06/post_23659_3.html
    >地下鉄サリン事件が起きて3年後に、雨宮氏は「オウムへのシンパシー」を問われて、「ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。『地下鉄サリン、万歳!』とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。『やってくれたぞ!』って」と答えたという(ニュースサイト「TABLO」内の吉田豪氏による連載『ボクがこれをRTした理由』より)。今は、さすがに「地下鉄サリン、万歳」とは言わないだろうが、それでも捜査機関を出し抜き、社会を混乱させたオウムに、何かしらの「シンパシー」が残っているのではないか。

  3. きよしこ:

    こんなことを申せばとてつもない天罰が下りそうですが、あえて「平成」という時代を一言で表現するならば、絶えず自然災害に見舞われ続けた30年でありました。私が記憶する限り最も鮮明なのは奥尻島の大地震と津波で、当時住んでいた神奈川と北海道との距離がどれほど遠いものかも知らず、多くの建物が倒壊したり津波に巻き込まれたりする様子に尋常ではない恐怖を覚えたのを昨日のことのように思い出します。ところが、時を同じくして公共事業悪玉論のようなものが世間を覆い尽くし、備えることが蔑ろにされ、阪神大震災の教訓を生かすことも無く、事業仕分けという名の殺人ショーに突き進んでいったのはもはや永遠に消えない我が国の歴史における最大の汚点です。

    今の高校生は阪神大震災のことなど知らないはずですし、中国地方在住であれば恐らく東日本大震災の記憶も我々ほど強烈なものではないと思います。にも関わらず文句ひとつ言わず復旧作業に尽力してくれるのは「負けてなるものか」という「ただでは起きない精神」と、それぞれが育った環境の中で自然と身についた共助の精神の賜物に他なりません。もちろん若さゆえのエネルギーというものもあるでしょうが、彼らを見て「豊かで平和な日本を遺してあげよう」「いつか彼らに恩返しをしよう」と考えるのが人間の本能として当然であり、この機に乗じて足の引っ張り合いをする政治家やメディアなど、被災者にとって邪魔でしかないのです。

    おそらくこれが平成最後になるであろう(というよりなってほしい)大規模自然災害で、私たちがどのような心構えで日々を過ごし、どのように助け合っていくべきかをきちんと学ぶのは、これが最後のチャンスなのだろうと思います。