安倍首相真珠湾訪問の軌跡

皇紀2676年(平成28年)12月28日

 映画『スターウォーズ/エピソード4~6、フォースの覚醒』のレイア姫こと女優のキャリー・フィッシャーさんが二十七日午前八時五十五分(現地時間)、米ロス・アンジェルス市内の病院で亡くなりました。六十歳でした。衷心よりお悔やみを申し上げます。

 http://www.sankei.com/politics/news/161228/plt161228……
 ▲産經新聞:【安倍首相真珠湾訪問】安倍晋三首相とオバマ米大統領が最後の首脳会談 日米同盟のさらなる深化で一致

 さて、日米地位協定に於ける軍属の対象範囲を縮小する補足協定に日米両政府が実質合意したことで、わが国側の裁判対象が拡大することになりました。

 本年六月に米軍属が沖縄県民の女性を殺害したような痛ましい事件の再発防止が目的で、軍属の適格性も定期的に見直されることになります。このような取り組みは、現行憲法(占領憲法)下政府にあっても、果敢に進めなければなりません。

 それでも中共福建省福州市名誉市民の翁長雄志沖縄県知事は、在日米軍基地関連施設の過半が返還されても式典を欠席し、画期的な協定の補足合意にも無関心です。

 安倍晋三首相が米ハワイ州オアフ島の真珠湾を訪問したことに対し、中共北京政府内の過疎地と申せる外交部が「主にわが国に向けたパフォーマンス」などと意味不明の発言に及ぶも、その姿勢はどこか翁長知事の目標不明の態度と被ります。

 忘れてならないのは、安倍首相が平成十三年二月十日にオアフ島沖で米海軍原子力潜水艦グリーンビルに衝突されて沈没した愛媛県立宇和島水産高等学校の四代目練習船「えひめ丸」事故の慰霊碑も訪れ、献花したことです。

 また、日系人初の連邦議員だった故ダニエル・イノウエ上院議員の墓碑や、ホノルル市内マキキ地区にある日本人墓地、真珠湾攻撃で戦死した飯田房太中佐記念碑、ご遺骨収集を進めている米国防総省捕虜・行方不明者調査局なども訪れており、決して米国立太平洋記念墓地(パンチボウル)やアリゾナ記念館だけを訪問して演説したわけではありません。

 大東亜戦争の日米開戦以前から、米政府によって日系米国人が迫害され始めていました。独ナチス党がユダヤ人に対して行なったように、日系人の財産を没収して強制収容所送りにしたり、米国への忠誠を試そうと軍に入隊させて激戦地送りにしたりと、わが軍による真珠湾攻撃(むろん米兵から多くの死者が出た)がその最中に起きたことであるのもまた、私たちが忘れてはならないのです。

 それを乗り越えた「和解の力」が、安倍首相の繰り返した言葉の意味でしょう。しかし日米の真の和解は、現行典範(占領典範)によって皇室をも制御しようとする「占領憲法政治の呪縛」からわが国を解放することで、初めて達成されます。

 次に安倍首相が目指すべきは、占領憲法の始末です。

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『安倍首相真珠湾訪問の軌跡』に2件のコメント

  1. 一般ピープル:

    毎度のことながら、今回のエントリーもことに格調高いです。

  2. 心配性:

    沖縄に基地が集中する現実、騒音被害が無視できないレベルである事、米兵の犯罪の多発等々、全国レベルで真剣に「負担軽減」について考えなければならない問題はあり、しかし長年「負担軽減」が遅々として進まなかった為に、沖縄が危ない極左活動家の巣窟になってしまったという現実はあります。

    とはいえ、無理やり「差別」を煽ったり、中共とつるんで独立を煽る一部活動家の動きは、さすがにやり過ぎです。

    活動家以外にも、マスコミや、一部政治家、教育者の中にも「沖縄はやはり日本ではない」と考えている人がけっこういるのではないでしょうか?

    私が以前働いていた職場もそうで、「先生」と呼ばれる研究職の方々が、沖縄の存在を完全に無視して、朝鮮半島の方ばかり見ていました。
    もう殆ど、意固地になって、日本人と朝鮮民族をべったりくっつけようと、‟青筋”を立てて頑張っておられ、傍から見ると少々気味が悪かったです。
    案の定、彼の個人的な朝鮮半島への思い入れや、イデオロギーによるところが非常に大きかったのですが、こういう危ない人々が日本の「歴史」を書いているかと思うと背筋が凍ります。

    私は当時、言葉や文化などあらゆる点で本土に一番近いのは沖縄じゃないの?と思っていましたので、彼の「なんでも朝鮮起源」には違和感を覚えました。
    恐らく、遺伝子を詳しく調べてみても、近隣諸国の人々とは少し離れた場所に、本土人と沖縄人の集団が割とくっついて位置しているはずです。
    細かい点は無視してざっくりと乱暴に言ってしまえば、本土も沖縄も、縄文系と弥生系の混血でできており、より縄文寄りか弥生寄りか、といった些細な違いでしかないからです。
    だから、言葉も文化も近いのでしょう。
    沖縄を無視すべきではないですね。