占領憲法下の橋下全体主義

皇紀2672年(平成24年)3月18日

 大阪市の橋下徹市長が提案した国歌起立条例が二月末に施行されました。すでにこれに違反した市立中学校教諭がおり、市の教育委員会は処分の検討に入りましたが、果たしてこれは正しいことなのでしょうか。日教組のいわゆる「反日」活動家(教育公務員にして破壊活動家)の不正と戦ってきた私は、大いなる別の危機感を禁じえないのです。

 わが国が大日本帝國を名乗っていたころ、私たちはこの大東亜戦争に敗れる以前の自分たちの国家が、個人のあらゆる自由や権利を迫害されたものであったと学校などで教わるわけですが、端的に申せば、それが特に昭和十六年以降のわずか四年間の強烈な記憶に過ぎないことを知りません。

 これまで三度も映画化された谷崎潤一郎の『細雪』を読んでも、豊かなる「阪神間モダニズム」の美しい描写は時代に忠実であり、また、昭和十年に製作された伊丹万作監督の映画『戦国奇譚 気まぐれ冠者』は、主人公たちが民衆の戦意を喪失させることに奔走し、片岡千恵蔵演じる気まぐれ冠者が「この世でいらぬものは戦じゃ」と語って終わります。

 伊丹監督はのちに、戦時下のことを「ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だった」(『伊丹万作全集1 戦争責任者の問題』筑摩書房より)と述べていたことは、これまで私が何度も引用してきた通りです。

 すなわち、大日本帝國憲法下においても、内務省が言論弾圧に関する法律を次々と作ってしまうまで経済的事由を別にしても個人は自由でした。ところが、そのような政府や官庁に付き従う国民という姿が全体を覆い、今度は自分たちで個人を束縛し始め、敗戦後の占領統治期になって「お国に騙された」と言い出したのです。それが私たちの知る「占領統治によって生み出された日本史(国史ではない)」に過ぎません。

 ましてわが国の本筋から外れている占領憲法(日本国憲法)下では、ポツダム宣言からの流れを受けた特別永住者が発生、法務省が「人権」の名のもとに言論弾圧を仕掛けようとし、圧倒的な「人気」という得体の知れないもの(民主主義)を背景に、橋下市長ら大阪維新の会は国歌斉唱時の起立を「強制すること」にしました。

 私は何度も申してきましたように、平成十一年施行のいわゆる「国旗国歌法」しかり、天皇陛下の祭祀を知らざる者に、国旗の掲揚と国歌の斉唱を「強制」しても何ら意味がないのです。この強制と、強制を熱狂的に支持する者たちの存在は、明治以来自由だった共産主義の研究に溺れていた者たちはともかく、わが皇國を守り抜かんとした先人たちの抵抗がむなしく無視された時代の再来にほかなりません。国旗と国歌をその道具にした野中広務官房長官(当時)や橋下市長らの罪はあまりに重いのです。

 民主党が熱狂的に迎え入れられようとしていたころ、大阪市内の街頭で民主党政権への交代に抗せよと訴えた私に罵声を浴びせかけてきた聴衆たちは、まさしく「全体主義」の一片だったのであり、あの当時政権交代を否定した私は「自民党の回し者」とまで侮辱されました。しかし、今になって「民主に騙された」と言って平気でいられる人は、伊丹監督の言葉を引用するに「現在でもすでに別の嘘によって騙され始めているに違いない」のです。

 いえ、私たちは間違いなく昭和二十年以降の占領統治期より別の嘘に騙されてきました。その象徴が占領憲法であり、大日本帝國の正統な皇室典範と憲法を否定しておいてなお「天皇陛下万歳」などと言っていられる人は、知識の不足どころか「信念或いは意思が薄弱」なのです。

 もう一度申します。神聖にして、そのもとではすべて臣民が大和(平和)でいられる国旗と国歌を、全体を煽る道具に利用する昨今の傾向は絶対に許せません。むしろ掲揚と斉唱に関して法や条例で強制なんぞするのではなく、結果としてこれらを否定することは破壊活動(テロリズム)なのですから、事件としてただ逮捕、または国外追放にすればよいのです。

 私たちは、日本皇國の臣民たることを「夢中になって互いを騙しあう者たち」に強制されるいわれはありません。

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『占領憲法下の橋下全体主義』に3件のコメント

  1. 一読者:

    橋下の政策については、天皇元首化を云いながら道州制を唱えるなどもう滅茶苦茶では無いでしょうか。
    何より公明党と平然と手を組んだことで自ら正体を現したと思っています。
    ちなみに先月、創価学会の大幹部が天皇陛下の手術室を平然と仕切っていた一件ですが、これは全国民、そしてすべての保守派に対する(これ以上無いと言うほどの)恫喝だと思っています。週刊新潮が大見出しにすることを計算に入れた上でこの挙に出たのでしょう。つまり
    「我々は天皇を人質に取った」と。
    効果は絶大でした。ほとんど全ての保守派がこの一件に沈黙しています。
    創価は国内、いや世界で最大の親中団体ですが先日ぺマ・ギャルポ氏の書いた本が
    「(中国共産党の対日戦略の)最終目的は天皇の処刑」
    というタイトルでした。(この一行を書くのがどうしてもはばかられました)
    一本の線が繋がって見えてきます。中共ー創価ー威信の会・・・と。
    何を目論んでいるのか創造しただけでも恐ろしいのですが、また後日失礼いたします。
    追伸:三島由紀夫氏は生前
    「公明党が与党になれば、必ずや皇室に『手をつける』であろう」
    と予見しておられたそうです。

  2. 素浪人:

    遠藤様、先の記事では丁寧なご説明、ありがとうございました。結局、台湾の主権問題では、日本にその資格が無いのは当然ですが、当事国そのものである台湾が関与出来ない、というのが何とも歯がゆい限りです。日本が旧宗主国として何らかの働きかけをすべきと痛感します。

    さて、本題に入りますと、国旗とか国歌というものは、遠藤様が仰る様に強制ではなく、制度として定めつつも、子供達には教育の中で自然に覚えさせ、敬う様にせしめるのが至当かと思います。天皇陛下・ご皇室を敬うなどということは、個人が親を敬い労わるが如く、自然な、人間としての感情の発露であるべきです。

    その対象が教職員であれば、採用時にその誓約書を取り、その誓約が出来ないのであれば採用しないこととし、誓約に署名した場合でもその後の在職期間中に国旗・国歌に対し問題行動を起こした場合に処罰すれば良いと思います。具体的には、やはり懲戒退職が望ましいでしょう。そのまま在職させては子供達への示しも付きません(目下がそういう状況だと思いますが…情けない!)。

    何より、日本中に巣食い続ける『偽装日本人』こそ、戦後教育・戦後体制の申し子と言えましょう。こんな連中が大手を振い、国旗・国歌を強制される事態に陥るとは、何と情けない国でしょうか。一刻も早く、日本は先人の残した法治国家を取り戻さねばなりません。

  3. sheltem:

    小沢と創価が解散させない理由は簡単。

    それは小沢と創価が黒幕だからです。

    事実、野田のマズイ政策は
    すべて小沢の利権と結びついています。

    詳細はこちら↓

    ht■tp://blog.livedoor.j■p/sheltem2/