非現実が現実だった一年

皇紀2672年(平成24年)3月11日

 本日で東日本大震災の発生から一年が経ってしまいました。多くの皆様が平成二十三年三月十一日のあの日を振り返っておられると思います。

 http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93……
 ▲日本経済新聞:菅氏「見えない敵との戦争」 震災1年で米誌に寄稿

 当時首相だった菅直人衆議院議員は、特に東京電力福島第一原子力発電所の事故対応について、「見えない敵を相手にした戦争だった。最悪の場合には日本だけでなく、隣国にも甚大な被害を与えかねなかった」と語っていますが、私たちはまさに「自国の権力者が目に見える敵」という時間を過ごすよう強要されたのです。

 現在、各地で避難生活を送っている同胞は三十四万三千九百三十五人に上り、うち十一万六千七百八十七人は応急仮設住宅にいます。自然災害としては大東亜戦後の占領統治期以降最悪となる一万五千八百五十四人の死去が確認され、三千百五十五人の行方はいまだ分からないままです。

 私は「今夏まで避難所生活が続くことは、被災者にとって非現実的にすぎる」と指摘し、阪神淡路大震災ののち地方にも権限が移った応急仮設住宅の建設に関して、国土交通省と総務省に問いただしたりしましたが、なんら停滞した状況を変えることはできませんでした。

 結果として、今でも非現実が現実であり、東京都知事や霞ヶ関官僚との関係だけで鹿島建設によって進むだけの瓦礫処理は、まったく進んでいません。岩手、宮城、福島三県で推計約二千二百五十三万トンにいたる瓦礫の処理は、たったの六%にとどまっています。

 私たちはつい、現世価値観だけで生きていけると思いがちですが、実は先人たちから何代にも渡って伝えられた地震や津波のことを知っていた人たちは助かり、教えられていなかった人たちから多くの死者を出してしまったのです。これからの街づくりにも先人たちの知恵が生かされるよう、切に希望します。

 そして、私たちも後世にこの経験を伝えていかなければなりません。

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『非現実が現実だった一年』に3件のコメント

  1. 台湾one:

    (スレッドの趣旨とは、少しそれるかもしれませんが、失礼します。)

    【東日本大震災 福島原発 関連】

      (顔出し、多分 韓国男、日本語)
    ▼ 私は人を殺すことを想像し?、その存在が 日本人でした。
      死んでください、日本人の皆さん。

    【YOUTUBE 動画】  (YOUTUBE 公開情報 「Country South Korea」)
    http://www.youtube.com/watch?v=0X8Uo4rKoVk

    2012年 3月7日
    (日本語 ― 動画でしゃべってる内容 ― 韓国語・原文もあり)

    > ハ~イ 日本人たちよ、こんばんは。
    > あなたは既に、被爆されているんですか? え~ ホントに 怖いねえ。
            
    > もう直ぐ 東京にも 大地震が発生して、もう 死んでしまうのですか?(小笑)
    > あ~ それだと 良かったです。       

    > 私は 人を殺すことを想像し?、頻繁にすれば? その存在が 日本人でした。
    > 私は実際に 日本人を殺すことは ないと思った。自分で 自滅してくれるんだな、
    > この?民族は。 あ~気持ちいい。

    > それでは これから 日本の復興をずっと見守りながら、楽しんでまいります。
    > 一瞬で?死んでください、日本人の皆さん。  

  2. yuki:

    遠藤様、

    御意にございます。
    本日政府主催で行われました東日本大震災追悼式典を拝見しましたが、ご臨席された天皇皇后両陛下より賜った哀悼のお言葉にも、
    「・・ そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います」
    ・・とあり、この部分がちょうど遠藤さんの本日記事の主旨と重なっていて、とても胸に響きました。

    陛下の仰るように、国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくよう、努力し続けなければなりませんね。

  3. 素浪人:

    津波の教訓と言えば、戦前の尋常小学校で使われた国定教科書に収録されていた、『稲むらの火』の話が思い浮かびました。戦後の教科書では無い話だったと思います。小生が調べた所、この話は和歌山県有田郡広川町(現在の地名)という所で、安政年間に起きた南海地震による津波が迫っていた時、濱口儀兵衛という人が、収穫したばかりの稲むら(稲わら)で作った大きなタイマツで人々にそれを知らせた、というものです。お陰で村人は皆助かったということです。

    何故こんな有益な話を除外してしまったのでしょうね。戦後教育は理解出来ません。知れば知る程、戦前の教育は真っ当だし、軍国主義とやらを煽る様な記述は無いし(小生の見聞の範囲ですが…)、今の教育の方がどれだけ駄目なのかが鮮明に分かる優れた教材ばかりだと思います。例えば修身などを見ると、親や先生を敬いましょうとか、芝生に入ってはいけませんとか、常識的なことばかりなので、却ってびっくりしてしまいました。これを警戒・有害視する連中の方が、よっぽど有害な気がします。

    さて、記事内容とずれてしまいましたが、小生が民主政権で一番許せないのが、日韓スワップ協定ですね。あの5兆円があれば、本当にどれだけの被災者や被災企業が救えたでしょうか。怒りがこみ上げて来ます。南鮮は敵国であり、それを助ける輩は国賊である、という当り前の認識を、真っ当な日本人なら常識として持つべきです。