被災者が招魂されていない

皇紀2671年(平成23年)12月26日

 http://www.news-postseven.com/archives/20111224_77797.html
 ▲NEWSポストセブン:被災地で幽霊騒動 ゼネコン社員「彼らは冗談で言っていない」

 私はここで心霊現象を解説するだけの知識を持ち合わせておりませんし、よって自身の不思議な体験を論理的に説明することも出来ませんから、宗教学的、或いは精神医学的に東日本大震災被災地の「幽霊騒動」を論評するつもりはありません。

 恐らく取材に答えた建設会社社員が「最初は、冗談にしても程があると怒りました」というのは、被災して亡くなられた約2万人の御霊を話のネタにするような不謹慎を叱ったのでしょうし、いたずらに「幽霊騒動」を起こして、被災地を窃盗団の巣窟にしてはならないという想いもおありだったでしょう。

 かつて被災県下の神社がいくつも無傷のまま残っている不思議を取り上げましたが、これは先人たちが自然祭祀によって後世に遺した想いがこれらの神社だったのであり、私たちが先祖代々からの相続人として初めて自由と権利を行使しうるというのは、このような先人たちの築かれた皇土に現世の私たちが暮らしているからなのです。

 いわゆる「幽霊」の不思議は、なぜこれまで何億と亡くなった者の魂がすべて現れるわけではないのかというところにあるのですが、これはひょっとすると、現れる側というよりも見たと言うこちら側の想念の問題なのかもしれない、と。「被災者の霊だ」と言って彼らが恐れるのはなぜか、という問題です。

 東京都内でこれまで亡くなった方の数こそ計り知れませんが、ではなぜ例えば昭和20年の東京大空襲の特定の印象だけが現れたりするのか、これまた不思議な話です。私には、彼らの招魂が十分に果たされず、私たちがすっかり忘れたままその地を汚したからなのではないかと思えてなりません。

 被災地もこれとまったく同じでしょう。天皇陛下が被災地をまわられたのは、突如地震に襲われ、津波に呑み込まれて亡くなられた方の招魂のためであらせられたに違いないのですが、私たちの多くがその意味を理解していなければならないのです。

 連合軍と戦って死んだのに、いまだ連合国の占領統治にまかせたままの日本では、心の平安は取り戻せません。地震と津波で死んだのに、生き残った者、すなわち死んだ者が心残りに感じたかもしれない人々のための復興も出来ないのでは、かつての先人たちがしてくれたようなことを、私たちは子孫にしてあげられないのです。この漠然たる不安こそが「被災者の霊だ」と言って恐れる騒動の正体ではないか、と。

 現世個人さえ楽しければ何でもよいのでしょうか。そうであるはずがありません。祭祀と皇室を理解することがどれほど大切なことか、上記配信記事とは内容がかけ離れましたが、被災者を想う時、どうしても避けて通ることは出来ないのです。

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