宮内庁と内閣が皇族いじり

皇紀2671年(平成23年)11月26日

 17日記事と20日記事で取り上げた「デヴィ・スカルノさんによる徳仁親王殿下の廃嫡(廃太子)を訴える署名活動」に対する私の見解に、多くのご意見を頂戴している件につきまして、この場で改めて私の行動方針を申し上げます。

 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111125-OYT1T0……
 ▲讀賣新聞:「女性宮家」創設検討を…宮内庁、首相に要請

 まずその前に、宮内庁の羽毛田信吾長官(旧厚生省元事務次官)が先月5日、首相官邸で野田佳彦首相に「女性宮家の創設は喫緊の課題である」と訴えていたことが報じられました。

 何度も申してきましたが、大日本帝國憲法の改正条項に違反して創り出された占領憲法(日本国憲法)は、講和条約としては有効でありながら、よって桑港(サン・フランシスコ)講和条約発効後も「憲法」とするものでなく、同時に占領憲法の下に置かれた占領典範(現在の皇室典範)も当然無効です。

 わが国を占領統治した連合国軍最高司令官の目的は、大東亜戦争開戦の責任を天皇陛下に問うことなど出来ないという厳然たる真実を前にして、しかしながら皇室を弱体化させるべく、第1に皇室典範ごと国権の最高法規を置き直し、第2に11の宮家を臣籍降下(皇統離脱)させ、第3に今上陛下(当時皇太子殿下)御生誕の日に彼らが「戦争犯罪人」と決めつけた者を絞首刑に処しました。

 先帝陛下は、とにかく皇土を焼け野原にされた現状からたちあがるべく講和調印を目指した吉田茂首相(当時)の決断を御受けになり、占領憲法と占領典範の公布について御親臨を賜ったのですが、これは戦前も占領統治期も、天皇陛下は祭祀を司られる世界唯一の御存在でおわしても単なる国家の最高権力者ではあらせられませんから、何の不思議もありません。

 よって「天皇陛下が御認めになった(?)占領憲法」の無効を主張することが「陛下の御意に反する」という主張は、莫迦莫迦しいほど全く意味をなさないのです。現下の国会がどうしようもない議論に終始している責任が招集された陛下にあらせられるわけなどないことや、まして陛下に戦争責任がないのと同じ論理だと気づいて下さい。

 さて、そこで占領典範が11宮家なき状態を正常と既に規定して創作されたものであり、皇族の「先細り」を狙った連合国軍最高司令官によってこそ認められたものであることにお気づき願いたいのです。

 当然占領典範のままでは皇位の継承に不安が生じるならば、なぜ誰も正統の皇室典範を復原しようと考えないのでしょうか。まして法理原則に従えば間違いなく復原確認が済んでいなければならないものを、占領典範の改正しかないと考えること自体、まさしく「国民主権」らしく「臣籍降下」という言葉すら使わなくなった現状をよく表しています。

 正統の皇室典範に関する改正・増補は、決して帝國議会で論じるものではありません。これもまた占領統治期に廃止された皇族会議で御決めになることであり、厳格に祭祀を司られる天皇陛下の地位が護られていました。

 それを「国民様」が論じて「いじくりまわそう」と規定したのが、占領憲法と占領典範なのです。もう天皇陛下を、皇族を、皇室を御護りすることは出来ません。だからこそ私は急ぐように大日本帝國憲法の有効確認を帝國議会の代行機関である国会にさせねばならないと訴えてきたのです。6日には、南出喜久治辯護士や吉水神社の佐藤一彦宮司らの大きなお力をお借りして、自民党の西田昌司議員のご同意を賜り、参議院への請願が初めて実現しました。

 目下の徳仁親王妃雅子殿下に対する誹謗中傷も、私があれほど「書くな」と申してもコメント欄に残していかれるのは皆様、なぜですか? これこそまさしく「国民様」による「皇族いじり」であり、どこで見てきたものか、誰が決めつけたものか分からない週刊誌やインターネット情報を元に、一部の臣民が臣民としての立場を捨てています。

 私が小和田家と外務省、その腹心が配置された宮内庁をこそ批判すべきだと申して自身もそうしてきたのは、臣民の立場で雅子殿下を私物化する小和田家こそ、妃殿下の御実家という認識を越えた「国民様の権化」だからです。川嶋家が文仁親王妃紀子殿下を引きずり回した話など、一切聞いたことがありません。

 何度もそう断わっていますが、それでも雅子殿下を中傷する声が寄せられるということは、よほど「国民様」の占領統治が効いているということであり、もうわが国は自立再生能力を失ったのでしょうか。私は決してそう思いません。思わないからこそ、わが国の生きながらえる道を信じて今後も政治活動を続けるのです。

 皇位の継承を巡って有象無象が口を開き、筆を進め、カネや選挙の票を稼ぐ現在は完全な異常事態に他なりません。野田内閣が皇室典範の改正を議論し始めて、一体誰が満足するのでしょうか。そもそも羽毛田長官の立場をわきまえない発言も絶対に許せません。皆様だって異議を唱えられるでしょう。それと同じことを皆様ご自身が失礼ながらなさっているのです。

 本当にもうやめて下さい。國體(国体)を護る気がないのなら、日本から出て行きなさい。たとえ自らの血が日本民族であっても。

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『宮内庁と内閣が皇族いじり』に5件のコメント

  1. matu:

    明治時代の皇室典範 大日本帝国憲法 成立の過程において

    明治14年7月 岩倉具視『大綱領』(井上毅起草)より
             「帝位継承法は祖宗以来の遺範あり、別に皇室の憲則に之を載せ、          帝国の憲法には記載を要せざること」
    明治22年2月 憲法発布・皇室典範制定『皇室典範義解』より
             「皇室典範は皇室自ら其の家法を條定する者なり、故に公式に依り          之を臣民に公布する者に非す、・・・皇室の家法は祖宗に承け子孫に         伝ふ、既に君主の任意に政策する所に非す、又臣民の敢て干渉する         所に非さるなり・・』

    私が勝手にこれらを解説させていただけるのなら、、
    「皇室の家法は、今までの長い歴史をたどればその規範があり、あえてそれを帝国憲法に載せる必要もない。皇室自らがその規範に則ってご子孫に継承されれば良いことであって、すでに、その時の君主が任意に定めることもできなし、当然臣下が干渉できることでもない」
    我が国には、長い歴史・祖先の叡智が培った法が存在しており、その「法」を文章化しようとしたものが(帝国)憲法である。
    占領憲法占領典範は、どちらもニセ憲法ニセ典範であり無効である。偽札は気付かなければ横行してしまうが、ニセはニセである。無効と気付けば、
    「本来の形=帝国憲法・明治典範」に戻るしかないのだ。無理にでもニセ札を使いたい者は犯罪者であろう。

  2. 松井節子:

    ご皇室に対する毀損について、よくぞ書いてくださいました。

    ありがとうございました。

  3. 篠の目:

    >6日には、南出喜久治辯護士や吉水神社の佐藤一彦宮司らの大きなお力をお借りして、自民党の西田昌司議員のご同意を賜り、参議院への請願が初めて実現しました。

    まず、現在の皇室典範自体の存立意義を問い、内閣や官僚に好き勝手させない法的動きを具体化されたわけですね。ここにいたるご努力に深く敬意を表します。

    しかし、曲がりなりにも70年近く存在した憲法ですから、理解を広げていくには強烈な反対勢力があったし、さらにあるのでしょう。

    私のように、自分とは次元の異なる存在が制度上もともとあることを何の抵抗もなく受け入れられる庶民は、たとえばデビ夫人の署名活動に瞬間的に眉を顰めますが、変に「国民主権」を口移しにされた世代、さらにネットで情報強者になったつもりの人は、「小和田家」への反感を「雅子妃」へのバッシングに短絡させがちのようですね。いや、そこまではあっても東宮家にご意見とは・・・同じ日本人なのかなあ。

    2ちゃんねるなどをみると「高い税金を使っているんだからちゃんと公務をしろ」という意見さえ散見され、昭和天皇や今上陛下がどのようなお気持ちで「ご公務」をなさってきたのか想像もつかないのか・・・と悲しくなります。もう「ダメだこりゃ」の心境です。

    なお、他所のブログコメント欄で失礼ですが、matu様に申し上げます。

    あなたのその言い換えはそもそも適切でしょうか? 

    なかんずく「臣民」を「臣下」としてしまえば、階級闘争史観大好きな連中の格好の標的になりそうで、私はよくしないところです。江戸時代を経た明治の御代であるから通じた感覚を私個人は認めますが、言葉で正当だからといってひたすら主張しても無理があります。「上下」ではなく、「厳然たる区別」があるのだと思います。今はそのようにしか教えられないし、江戸時代も実はそうだったのでは?

    今にあっては、まずもって天皇陛下は、わが国古来の神々の祭司として代々国民のために祈祷してくださっている有難い存在であること、世界近代化の日本生き残りに際して神格化という庶民の誤りをも甘受して、明治からこのかたとてもきついお役目を果たしてくださったこと、その高貴なご人格ゆえにアメリカの支配は全面的にはならなかったこと(たとえばマッカーサー語録)、そして神でない以上は人であり、跡継ぎ問題は、自分や近所の事情に照らしても、そのおうちのご判断におまかせすることであって他人があれこれ言うことではない、という「常識」に基づく理解が得られるのではないでしょうか。

    私は上述のように考えます。

    お気持ちはわかりますが、本居宣長は「意は似せやすく、姿は似せ難し」と言いました。自説にそぐわないひとを「犯罪者」と罵るのは私ははばかります。

    もっときびしく言うと、あなたはどこかの団体に所属している強みで、ものを言っていませんか? 似せやすい「意」を集めるのはポピュリズムの悪癖だと思います。

    より細やかな理解と表現をなさるよう、僭越ながら申し上げます。

  4. matu:

    篠の目様
    長いご指導をありがとうございます。
    >他所のブログコメント欄で失礼ですが、・・。
    確かに私もそう思います。でも、折角の御意見ですので簡単にお返事させていただきます。(管理人様皆様、失礼いたします)

    「臣下」という言葉が良くないと言われるなら、「陛下」も良くないことになってしまします。上下という言葉は、上流下流という川の流れを思えば一体のもの。私は、階級闘争史観?に配慮しなければならない必要を感じません。
    「天皇陛下」 については、私は陛下のお言葉や御振る舞いによってそのお立場を判断する(貴方のような)者の位置には立ちません。もう一度先の私のコメントを読んで頂けたらと思います。だからといって、貴方の方法を否定はいたしません。
    >あなたはどこかの団体に所属している強みで・・・
    私個人の信念に基づいて表明しております。変な推測を基に論を進めるのは好ましくありませんでしょう。

    私の言い方がお気に召さないようですが、人が違えば表現方法も違うのは当然のことです。感想として言わせていただければ、現下の我が国に対する危機感の違いあるいは、何か行動しなければならないと思うかさして思わないかの違いなのでしょうか。。私個人のことよりも、明治の憲法典範についての御考えをお聞きしたかったです。

  5. 遠藤 健太郎:

     matu様がおっしゃるように「上流下流という川の流れを思えば一体のもの」ですが、篠の目様は決して「陛下の御言葉や御振る舞いによってその御立場を判断する」方ではないようにお見受けします。

     自民党の西田昌司参議院議員が28日の憲法審査会で指摘されたように、占領憲法が曲がりなりにも60年以上放ったらかしになってきたことによる日本民族の意識、すなわち民主党の江田五月議員が言い放った「改憲と言われると身構える」といったような個人の心情の絶対視と戦うことは、現時点まででも本当に容易ではありませんでした。篠の目様から労いのお言葉を頂戴し、まずはお礼申し上げます。

     南出喜久治辯護士に至られては、私より当然もっと長年にわたって訴えてこられたので、例えば占領憲法有効論者との戦いに、もはやうんざりされているようです。それでついお言葉がきつくなることもおありのようですが、是非ともご理解願いたいのは、真に私たちの憲法である大日本帝國憲法の有効を確認することは極めて喫緊の課題であり、その焦燥感が私にも、或いはmatu様にもあるのでしょう。matu様がよく書き込んで下さっていることは、私にとって励みであります。

     どうか冷静にご議論下さい。なお、篠の目様が実は書き込みの扱いを私にご一任下さっていたことを付記しておきます。その上で、非表示扱いに該当する類いの書き込みでは全くないと判断したのは私です。ここでは、俗に「公衆便所の落書き」のようなものでない限り、たとえ私の主張に反対するものでもご意見として全て扱ってきたことは、過去のコメント欄をご覧になってもお分かりいただけるでしょう。

     皆様がわが國體の護持、つまり祭祀の実践に於いて心を一にされることを、私は強く希望するものです。