青い日本軍団、スイスへ…

皇紀2670年(平成22年)5月27日

 岡田武史監督の発言が混乱を招いた蹴球FIFA世界杯南ア大会の日本代表は26日、直前合宿地である瑞西(スイス)のザースフェーに入りました。ところが、どの戦況予測もあまり芳しくありません。ただ、瑞国現地では大変な歓待を受けたようです。

 日本が瑞国と合作で昭和63年に製作・公開した映画に『アナザーウェイ―D機関情報―』があります。かの役所広司初主演作品であり、推理小説家の西村京太郎の『D機関情報』を原作に、数々の仁侠映画を手掛けてきた山下耕作監督の意欲作でした。脚色の段階でいくつもの難がありますが、海外ロケーションを伴う日本映画にありがちな「観光映画」のごとくになっていないところが、本作の優れた点でしょう。

 撮影監督を赤塚滋先生(元大阪芸術大学映像学科教授 故人)が担当されたこともあり、私はさまざまな撮影秘話を伺うことができました。もっともご本人が照れ隠しに大笑いされていたのは、実は赤塚先生は途中で体調を崩されて撮影が困難な状態になり、第2班(セカンドユニット)で入っておられた宮島正弘先生(元大阪芸術大学映像学科講師)に交代したという逸話です。

 このとき「あれはほとんど宮ちゃん(宮島先生)の仕事だから」と言われた赤塚先生の、普段は鬼のように厳しいがとても優しかったお顔を忘れ得ません。赤塚先生といえば、川谷拓三を一躍大スターに押し上げた『県警対組織暴力』(深作欣二監督)の仕事などがよく知られています。一方、第2班を担当することがほとんどだった宮島先生の仕事に私が驚嘆させられたのは、『帝都物語』(実相寺昭雄監督 中堀正夫撮影監督)に於ける風景部分の実に美しい画が、どれもこれも先生によって撮影されていたことを知ったときでした。

 さて、本作は大日本帝國海軍の藤村義朗中佐(=関谷中佐:役所広司)とのちの米CIAのアレン・ダレス長官(=ミスターD:『荒野の七人』のロバート・ヴォーン)との日米和平工作が、朝日新聞社の笠信太郎記者(=笠井記者:井川比佐志)と日独防共協定の立役者だったフリードリヒ・ハック氏(=ハンスマン:『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のウド・キア)の仲介によって秘密裏に瑞国にて行なわれていた事実をもとに描いたものです。

 これが極めて早い段階、すなわち米国が特殊爆弾(原子爆弾)を完成させる前に成立していれば、米軍の広島・長崎への原爆投下による大虐殺はありませんでした。瑞国の彼らは、懸命に祖国・日本へ「米国に対日和平の意志あり」と、米国がヤルタでソ連に対日参戦を促し、日ソ不可侵条約破棄がすでに話し合われたことや、のちには米国の特殊爆弾完成の報、大東亜戦争後の米ソ冷戦体制への発展までを予見、打電し、外務省を動かそうとしたそうです。

 しかし、大日本帝國政府はこれを黙殺しました。或いは、最初から米国は日本がこの和平工作に応じないと知っていたかもしれません。国際外交の経験がまだ青いと言わざるを得ない日本人は、ただ乗せられただけかもしれませんでした。それでも日本は、この闘いを始めざるを得なかった以上、民族を守るために終わらせる努力もしなければならなかったのです。そのもうひとつの闘いが、この藤村中佐たちの秘密工作でした。

 ところで、この独国のハック氏は、第一次世界大戦中に支那の青島で大日本帝國軍の捕虜になった経験がありますが、福岡俘虜収容所にて、日本軍の捕虜に対する態度が極めて紳士的だったことから、親日家になったという記録があります。彼が独国人でありながら、ひたすら日本のために奔走し続けた原動力は、そうして醸成されたものなのでしょう。

 私たちが占領統治期を経て以降の教育を受けた中での印象で、自分の国を語り終えていてはいけません。こういうこともあったのだと知ることは大切です。また、子供たちに教えていくことが大切なのです。

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『青い日本軍団、スイスへ…』に2件のコメント

  1. ストリートマン:

    そうですね。人権・人権と叫ぶ前に「人道」を教えることが必要です。さすれば過去の日本の偉人・外国の偉人を堂々と教えることが出来少年・少女にも「夢」を与えられる。

  2. 普通の日本人:

    意図的に知らせない事実を国体護持の為に後世に伝えていかなければいけませんね。