自民党員・議員の選択いかに

皇紀2684年(令和6年)9月13日

アルベルト・フジモリ氏 写真特集

 ペルー大統領(1990年7月~2000年11月)として、第1期ガルシア政権(1985~90年)下で崩壊したペルー経済を再建し…

(時事通信社)

 南米ペルー(秘国)のアルベルト・ケンヤ・フジモリ・イノモト元大統領(ラ・モリーナ国立農科大学元総長、元教授)が十一日、亡くなられました。衷心よりお悔やみ申し上げます。

 秘国は、決して親日ではなく、かつて「郷に入っては郷に従え」の日本人移民に対し、そのあまりの同化ぶりにかえって排斥運動が起きたほどで、フジモリ元大統領の道のりもまた、平坦ではありませんでした。ゆえに氏の大統領就任で、日秘関係が大きく進展したことは、歴史的快挙だったと申せましょう。

 そのような中、平成八年十二月に起きたのが在秘日本大使公邸人質事件でした。現行憲法(占領憲法)に浸りきったわが国の秘国に対する要求は、ただただ「平和的解決を」であり、このせいでフジモリ大統領(当時)が対応に苦慮させられたのは間違いありません。

 何かと不安定な発展途上国の秘国で、トゥパク・アマルのような極左暴力組織がいつまでものさばることを恐れたフジモリ大統領は、半ばわが国側の要求を無視する形で突入計画を策定し、実行に移しました。そのおかげで日本人の人質は、全員無事に(青木盛久大使ら数名の負傷者を出したが)生還できたのです。

 しかし、三名の秘国人犠牲者を出してしまいました。トゥパク・アマルの占拠犯は全員死亡。これがのちに、フジモリ大統領と特殊部隊への批判に繋がり、突入を決断した国際的評価とは裏腹に、氏がわが国へ亡命せざるをえないところまで追いつめられてしまいます。

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 事件発生当時のわが国は、橋本龍太郎首相でした。今でも覚えているのは、外務省職員に橋本首相自ら木村屋總本店のあんパンを差し入れたことを、報道権力各社が「あんパン総理」などと揶揄したことです。

 これは、実は秘国との暗号化通信のため、橋本首相が外務省へ赴くのを隠す目的(カモフラージュ)でした。この当時から報道権力各社に真摯な取材能力などなかったことを、この顛末が物語っています。

 さて、自民党総裁選挙が昨日、告示されました。届け出された立候補者は、以下の通りです。

 高市早苗経済安全保障担当相 〇
 小林鷹之前経済安全保障担当相 △
 林芳正内閣官房長官 ×××
 小泉進次郎元環境相 ×××
 上川陽子外相 ××
 加藤勝信元内閣官房長官 △
 河野太郎デジタル相 ×××
 石破茂元内閣府特命(地方創生)担当相 ×××
 茂木敏充党幹事長 ×××

 残念ながら、報道権力各社がこれまでの報道で「全くその名を挙げなかった」がために推薦人集めに失敗した(立候補辞退と勘違いされた)青山繫晴参議院議員は、届け出ることができませんでした。これもまた、報道被害でしょう。

 上記立候補者名の横に、個人的評価を付記しておきましたが、自民党員各位に於かれましては、わが国を取り巻く現状と、ここ数年のうちに想定される世界情勢(米国大統領選挙など)、そして私たち全国民の将来をよくよくお考えになって、賢明な選択をなさるよう強く希望します。

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『自民党員・議員の選択いかに』に2件のコメント

  1. 波那:

    フジモリ大統領の日本大使館突入作戦は記事を読んだだけでも興奮しました。強硬突破を決断された大統領には日本で日本人として育ってらしたら、こんな方にはならないわと感銘しました。凶暴なテロリスト相手に平和的解決とか言ってるだけでは何が起こるか分からないのに。テロリストを刺激しないようにされていた人質も立派でした。
     南米って以外に親日国が少ないですね。前に世界地図で親日か親中かを色分けして行く動画があって南米ではアルゼンチンだけだったような…。貧しい国が多くて中国の支援に釣られてしまうのはしょうがないです。嬉しかったので、アルゼンチンは日本の旧友で日露戦争の時にはオブザーバーとして日本の戦艦に同乗、大戦が終わって敗戦した日本にアルゼンチンが船に食料積んで来てくれた事を書き、まだ日本支持してくれて嬉しいですと御礼を言いました。

  2. sana:

    日本大使公邸人質事件

    当時の大使・青木盛久さんは、
    毛利藩(萩藩)藩医・青木(周弼)家に養子に入った周蔵(明治期に外務大臣)の曽孫にあたる
    とされていますが、他の養子の人の子どもで、周弼とも周蔵とも血縁関係はありません。
    旧青木家は、高杉晋作旧宅と同じ、菊屋横丁にあります。

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