日航機123便撃墜事件?

皇紀2684年(令和6年)8月13日

日航機墜落事故から39年…元JAL客室乗務員が、今も「事故ではなく事件」と言い切るワケ「レコーダー開示訴訟では裁判長が突然交代するなど、不可解な点だらけです」

1985年8月12日午後6時56分すぎ、乗客、乗員合わせて524名を乗せた日本航空123便(羽田発~大阪行)が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、520名もの命が奪われた。事故調査委員会はボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)の破壊と事故原因を結論づけたが、これに長年、異を唱え続けるのが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏だ。「墜落は事故ではなく事件」と言い切る彼女を直撃した。…

(集英社オンライン)

 昨日、日本航空機123便墜落事故から三十九年が経ったわけですが、或る映画製作者から私が聞いたのは、かつて確か東宝だったと思いますが、この事故の真相を追及する映画の企画を持ち込んだところ「絶対に配給(映画館で上映)できない。それこそ死人が出る」と断られたそうです。

 それ以来、私が中学生になって初めての夏休みに起きたこの事故の真相が気になって、いろいろと調べていくうちに、どんどん謎が深まっていきました。私と同い年の川上慶子さん(当時)が事故の翌日、救出されたこと(生存者はわずか四名で全員女性)もあって、当時から心的外傷のように私の記憶に深く刻まれたこの事故は、一体何だったのでしょうか。

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 米国のオリバー・ストーン監督が映画『JFK』を製作し、平成四年にわが国で公開され、これを劇場で鑑賞した時、既に私の頭の中では「日航機123便の映画も作ったらいいのに」との考えが浮かんでいました。今や安倍晋三元首相暗殺事件の真相も「追及すべきだ」と思います。

 公開された音声記録装置(ボイスレコーダー)の記録の一部は、異常な音と共に高濱雅己機長の「何か爆発したぞ」から始まり、必死に羽田空港へ帰ることを目指しながら対地接近警報装置(GPWS)のけたたましい警報音の向こうに「頭(機首)上げろ」「パワー(エンジン出力を上げろ)」の叫びと「もう駄目だ……」のかすかなつぶやき、そしてとんでもない衝撃音で終わりました。

 私が最初に疑問に感じたのは、同機体が大阪(伊丹)空港で起こしていた尻もち事故の修理不完全を遠因とする後部圧力隔壁(機内の気圧を安定させる装置)の破損から、垂直尾翼(日航機で言えば鶴丸が描かれた部分)の三分の二が吹き飛んだことによる事故、とした運輸安全委員会の結論のそれであり、果たして後部圧力隔壁が破損して垂直尾翼がそれほど吹き飛ぶものか、もし仮にそうだとしても、ならば機内が急減圧しなかったのはなぜなのか、という点です。

 修理不完全をあっさり認めた米ザ・ボーイング社も不可解でしたが、事故原因を探るべく垂直尾翼の破片が相模湾内(最初の爆発地点)に沈んでいるのですから、それをすべて回収すべきなのに、当時の運輸省(現国土交通省)は「その必要なし」という信じられない杜撰な対応をしています。

 未だ「陰謀論」とされている「日航機123便撃墜事件」は、米軍機が民間機を仮想敵機とみなして行われる訓練で誤射したとか、やはり自衛隊機が誤射したとか、これはありえないでしょうが中には北韓(北朝鮮)に攻撃されていた、といった憶測を呼んできました。

 いや、自衛隊もこの期間(八月十二日)は「お盆休み」で訓練は行われていないとか、在日米軍はわが国に訓練実施の報告義務がないからやっていたのではとか、さまざまな見解をこれまで目にしてきましたが、元日航客室乗務員の青山透子氏がかき集めた証言と記録が正しければ、とても陰謀論では片づけられません。

 急減圧が起きなかったのは、後部圧力隔壁が致命的破損をしていなかったからです。垂直尾翼が吹き飛んだこと自体が墜落の原因だったに違いありません。ではなぜ吹き飛んだ?

 安倍元首相暗殺事件も、或いは米国のドナルド・トランプ前大統領暗殺未遂事件も、今や真相に対して「陰謀論」と言っておけば何でも片づく、と「真犯人たち」は思っていまいか、と。

 確かなことは、私がここで何度も指弾してきた日米のいわゆる「プラザ合意(異常な円高と日本経済崩壊の始まり)」は、本件の翌月(九月二十二日)であり、当時の中曽根政権が隠したがった何かと隠蔽に加担した米軍の関係は、それこそ強烈な指弾に値する可能性があります。

 忘れてならないのは、こうした日米の思惑の渦に巻き込まれ、脳神経学者として著名だった塚原仲晃博士ら五百二十名もの犠牲者(今なお単独機事故で世界最悪)を出したことです。

 これ以上は綴りきれませんが、実は私が前身のブログで何度も取り上げ、特集までした事故、事件ですので、折に触れて追及したいと思います。

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『日航機123便撃墜事件?』に1件のコメント

  1. ナポレオン・ソロ:

    240813―2 日航機「撃墜」事件の真実を城ソロ明らかにせよ。
    お早う御座います ソロです。 
    今を去る39年前の朝に、勤めていた会社の社長が、会社に着くなり「おい川口がのっていたやろ」と蒼い顔して怒鳴ったのが、事の発端でした、川口さんと言うのは、私の勤めていた会社の親会社の世界2位の所有船腹量を誇る大手海運会社の神戸支店長だ田、ン人で、船乗り乍、親会社の重役迄出世を果たして天下って来た社長には、近しい後輩だった。

     件の川口さんは、大阪に夕刻着く123便に載って、次の週の頭から神戸で仕事庫熟そうと思っていたのdしょうが、彼g墜落する前絵に書いた機内から発見されて、マスコミが真っ先に報道しましたので一躍時の人になりましたね

    私の様なペ-ペ-が神戸支店長を知っている訳が無いので、社長の一言でこの事件が身近で起こって居ると気付かされましたね。その社長も、もぅ20年程前にガンで亡くなったとの話を聞いていますが、やや粗野に見えるが実は男気の有るエンジニアらしく精緻な感覚も行動力も兼ね備えた立派な人でした。

    彼とは、私が労働組合長をやって居た時に、副社長だったのですが、横浜と神戸の会社を合併する話が 持ち上がって、給与面の格差を是正するのに、横浜・神戸の社長が「神戸は赤字だから」と、定期昇給のみと言い出したが、経理担当者から後から、「あれは嘘や、ホンマは1千万の黒字やで」と耳打ちしてくれたので、単細胞な私は怒り心頭に発しましたね。

    其れから地労委に上程して、労働委員会が中に入って、三者協議になったのが、9月末だったので、組合員から「おい、未だか?」なんて声が懸かって、副組合長や書記は、もぅ限界やなと、見えましたが、家庭を持つとやっぱり弱いんやなと独身の私は思いましたねww。

    そうこうしている裡に、日航機墜落事故の処理は着々と進んで、件の川口さんの長男と、当時の親会社の社長さんが、揃って我社迄挨拶に来られた事は、鮮明に覚えていますね、社長さんのお名前が、仏教関係者であった事も記憶してます。

    然し、あれから3 年も経つのですね。関係した人達の殆どは、もぅこの世に居ません、正に「光陰矢の如し」ですね。30代前半だった私も70歳ですしねww

     今になって、あの墜落事故は横田の米軍基地から飛び立った米¥軍の戦闘機に因る、劇津だったとの放すが出て来ていますが、狩人本当だったとしても、犠牲になった530人近いひとっびとは帰って来ません。劇ツウィ指示したのが誰だったのかの如何に依れば、トンデモない、黒幕が遭暴かれる可能性があるんですがね。今の岸田じゃ無理ですね。