民主主義という言葉の濫用

皇紀2682年(令和4年)7月16日

 十一日記事の最後に申した日本映画監督協会の新しい理事長が、松竹出身の本木克英監督に決まりました。実は、崔洋一監督が末期癌の治療中で、理事長交代が決まっていたため、「もうそろそろか」とわざわざ一言申し添えた次第です。

 しかし、邦画史の汚点を残したことに変わりはありません。とりわけ「民主主義」を主張する輩に限って、人の話を聞かないから困ります。だから「民(個人)が主人の主義」といわれてしまうのです。

安倍元首相への弔問希望殺到 対応追われる外務省

参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相への弔問を希望する各国からの連絡が殺到し、外務省が対応に追われている。政府は各国要人らが参列できる大規模な葬…

(産經新聞社)

 さて、これが安倍晋三元首相の国葬儀が執り行われる理由です。

 かつて私は、欧州各国の新聞が「独国のアンゲラ・メルケル首相と日本の安倍晋三首相が『リベラル最後の砦』」と評した事実を指摘しました。安倍元首相について、わが国の極左勢力と中韓だけが「極右政治家」などと間違った指摘を続けていたのです。

 安倍元首相の政策の多くが、実はリベラル派のそれそのものでした。第一次内閣のころに「日本右翼勢力」と警戒された経験を踏まえ、また英国の欧州連合(EU)離脱や米国のドナルド・トランプ大統領の登場も影響したでしょう。それらの政策が保守派の離反を招いたほどです。

 極左報道権力のせいで「日本人だけが知らない安倍晋三」という実像があり、世界各国の政府機関がわが国の首相官邸より先に半旗を掲げ、追悼のイヴェントや功績を称える決議案を議会に提出する動きがあることを、あまり理解できていないように見えます。

 重ねて申しますが私は、よく話を聞いてくださった安倍元首相に感謝しつつ、一方で消費税率の引き上げ以降特に、批判に転じて疎遠になった事実があり、愛憎相半ばといったようなところです。それでも国葬儀には賛成します。

 その安倍元首相に対し以前、街頭で「アベ、おまえは人間じゃない」などと憎悪を扇動する罪を犯した法政大学の山口二郎教授は、国葬儀について「内閣府設置法を見ても、国葬は所掌事項に書かれていない。(中略)ならば何でもありになる」とツイートしました。

 しかし、内閣府設置法第二章第四条第三項の三十三に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」とあり、国葬儀の閣議決定に法的根拠は存在します。

 このようなことも分からないでよく大学教授が務まるものです。何を教えているのでしょうか。自身の対日ヘイトスピーチ(日本憎悪差別)を学生に植えつけているだけなら、今すぐ辞めていただきたい。

 さらに「立命館大学民主主義研究会」を名乗るツイッター・アカウントで、安倍元首相の暗殺犯を称えるビラが掲載され、学内でバラ撒かれた事実が判明しました。

 現在は削除され、学内に掲示されたものを大学側が剥がしたというそのビラを確認しましたが、撃たれた直後の安倍元首相の衝撃的写真に、過激な文言が打ち込まれていました。孔子学院なんぞを学内に置くから、これほど浅はかな学生を生み出す(寄せ集める)のです。

 ほかにも「民主主義」を掲げるツイッター・アカウントのほとんどが過激な「反アベ」を未だツイートし続けており、政策への批判と個人への憎悪が混然一体となって事実に反することまで書かれています。これを卑劣な誹謗中傷というのです。

 私たちは、反省しなければいけません。事実無根の誹謗中傷で、一体何人の人を殺せば気が済むでしょうか。

 政治家は、常に批判の対象ですし、今後も私は委縮などせず続けますが、民意をおかしなほうへ先導する極左・対日ヘイトの所業と、統一教会(世界平和統一家庭連合)の極悪非道な洗脳と何が違いますか? 何も違わないのです。

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『民主主義という言葉の濫用』に1件のコメント

  1. ノンポリではいられない!:

    対日ヘイト、統一教会(世界平和統一家庭連合)、オウム真理教、創価学会は本質的に同じ、人を洗脳し操ろうとする。