国産みの島 淡路市長が…
東京放送(TBS)系「兼高かおる世界の旅」で知られた国際ジャーナリストの兼高かおるさんが五日夜、九十歳で亡くなられました。衷心よりお悔やみを申し上げます。
私は、兵庫県神戸市のご出身だった兼高さんをよく知る方とのご縁で、同淡路市の「兼高かおる旅の資料館」(淡路ワールドパークONOKORO内)を訪れたことがありますが、そこは昭和六十年開催の「くにうみの祭典」の会場施設でした。大変興味深い資料にあふれています。私たち日本国民がまだ昭和三十八年以来の段階的な海外旅行の自由化途上にあり、今ほど世界を知らなかったころからあらゆる国と民族の歴史や伝統を伝えてきたのが兼高さんでした。
日印ハーフゆえか大変な美人で、旧年夏ごろにも変わらずお元気でいらっしゃいましたが、残念なことです。
同園の名称にもある「おのころ(磤馭慮島)」または「おのごろ(淤能碁呂島)」とは、神神が御造りになった最初の島のことであり、それが淡路島の北端(岩屋港)にある絵島ではなかったかといわれています。また一説には、和歌山市加太にある淡嶋神社(雛祭りの発祥)にほど近い友ヶ島の沖ノ島のことともいわれています。
その岩屋港も訪れたくて明石市の明石港と結ぶ連絡船も利用しましたが、淡路島も日本標準時の明石市もとてもよいところです。もっとたくさんの方がたに「伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が大地を御造りなった矛の滴からできたとされる国産みの島」にふれていただきたいと思います。
そんな淡路市の市長がこの有り様です。
門康彦市長が不遜・不敬極まりないのは、創価学会の国土交通相か地元(兵庫九区)選出の西村康稔内閣官房副長官にでもする話を、あろうことか皇太子徳仁親王殿下にしたという点に尽きますが、のちにこの万死に値する行為を「一人ぐらい笑い話になる愚者がいてもいい」だの「会話したことを直訴と大袈裟に書いた」だの「ユーモアのある文章だと読むべき」だのと開き直っていることでしょう。
明石海峡大橋も神姫バスで利用しましたが、確かに通行料さえなくなればもう少しバスの利用料金も下がるかとは思います。そうすれば自家用車での利用も含め、たくさんの人びとが淡路島を訪れやすくはなるでしょう。最も市民の利便性が向上するのは申すまでもありません。淡路島の現状を実地調査して感じたことは、高齢化が極端に進んでおり、人の出入りが活発とは申せないのも確かです。
しかし、これほど頭の悪い市長を選んでしまっては、市として島として発展のしようがありません。岩屋港の施設は老朽化したままですし、津名港もかつて整備されたまま閑散としていました。
市内には、阪神淡路大震災の恐怖を改めて目の当たりにする北淡震災記念公園(六甲・淡路島断層帯の野島断層の大きなズレを保存)もありますし、国際会議場やウエスティンホテルを擁する淡路夢舞台などもあるのですから、不敬行為を自慢するような「愚か者以前」に市政を任せていては、どうしようもありません。
現行典範(占領典範)と現行憲法(占領憲法)を放置して七十年、私たち日本民族はここまで堕ちたかという事件であり、私たち自身もまた、愚か者以前なのかもしれないのです。
皇紀2679年(平成31年)1月14日 9:54 AM
おっしゃる通り門康彦市長は直ちに処刑すべきですね
間もなく新天皇になられるお方に対して政治的責任を負わせるということは、権威と権力の集中を意味し、支那の皇帝とまったく同じにするということです
これは我が国の伝統文化を根元から破壊する行為であり、昔であれば直ちに斬首刑にされてもおかしくないです
結局私達の中の権威が科学教がもたらす物質的価値観陥ってしまってることであり、明治から始まった近代を急ぎすぎたことで、それがもたらす物質的なパワーに飲み込まれて、それまで蓄積してきた日本の伝統文化に基づく精神性を置き去りにしてしまい、150年絶っても私達はそのパワーをコントロールしきれていないから、ろくでもない政治家を量産してしまうんですよ
そのパワーに狂った人間から見ると天皇陛下を間違った物差しでしか見れなくなり、どう利用するかとか物を見るような視点でしか考えられなくなり、だから斬首刑にされてもおかしくない不敬を平気でできてしまうのだと私は思います
その権威の象徴が米国であり、だから対米従属を今でもやめられないんですよ
戦後GHQにそうさせられたというより、そうなる土俵は戦前からできていたというのが私の考えで、米国だけ悪者にすることはできないと思います
だからこそ教育からやり直していかないと、門康彦市長を斬首刑にした所で、第二第三の門康彦市長が表れるだけで根本的な解決になりません
何度も言っている教育の見直しから始めないとどんどんパワーに飲み込まれ、やがて国民の手で皇室を破壊する結果になりかねないと私は考えています