大阪市…切られた姉妹都市
大阪市の吉村洋文市長の判断を「子供じみている」と批判することは簡単ですが、姉妹都市提携の相手が「事実と異なる」と激しく嫌がっていることを平然とした上に無視までしたなら、相手側はやはり「もう姉妹関係にない」といわざるをえません。
吉村市長の判断を批判するなら、この事態を招いて急死したエドウィン・リー(李孟賢)前市長とロンドン・ブリード現市長こそ批判されるべきであり、事実関係から見て都市提携を切ったのは、吉村市長ではなくブリード市長のほうです。
米サン・フランシスコ(桑港)市にとって、いかに在米中共人の数とカネが効いているか、特に米西海岸各州の現状からもこれではっきりします。日本の一都市との提携で得られる利益をはるかに凌駕しているのです。そして桑港市側は、そうした損得勘定だけで提携都市を裏切りました。吉村市長の判断は、相手の出方を十分に待った上でのことであり、決して間違っていません。
さて、昨日記事に、さらに件のコメントを頂戴したのですが、私が現在の日米関係をどう論じてきたか、もう一度改めろということでしょうか。何度でも申すべきかもしれませんが、これはさすがにくどいほど提示してきたはずです。
太平洋防衛を日米が担わなければ、再度世界大戦勃発の可能性が高まります。そのための日米安全保障条約ですが、現状は現行憲法(占領憲法)を有効とする「護憲政治」のせいで、在日米軍基地はあっても在米日軍基地がありません。それを指摘しない「日米関係を重視する保守論壇」は、単に対米従属でしかないのです。
実は、昨日記事の最後の一文は、当初「もうここも終わりにしようかと思っています」でした。喜ぶ方も多いでしょうが、それはともかく、これではあまりにも救いのない締めくくり方だと思ったので、せめて占領憲法なんぞ「自分たちの憲法ではない」ということを立法に証明させるまで続けるような意味のことを申しました。
それは、容易ではないと揶揄されるかもしれません。新自由主義の賭博経済に疑問を呈し始めた一部欧州の兆しを見つつも、私たち日本人が相も変わらず賭博経済を賛美し、受容するというなら、憲法も国防も教育も、日教組も関西生コン支部もこのまま維持されるでしょう。そのような虚しい話を、とても私は受け入れられません。
それでも「日本を守りたい」がために甘受せよというなら、やはり何度何を申しても何も伝わらないようなので、別の方の書き込みを拝読しても情報も要らないようですし、やはりもうここを終わりにしようか、と。
十年以上にわたり、ほぼ毎日配信できるよう毎日書いていたわけではないのですが努力してまいりました。しかしながらもうどうしたものか、と。明らかに軽薄にして無知蒙昧、低次元な書き込みならともかく、よく読んでくださっているように思う方からのあの「大変な間違った認識」という書き込みには、無視できないものがありました。
日米関係一つをとっても、太平洋防衛が中共の共産党人民解放軍によってかき乱され、州と自治体や民間次元の交流にまで悪影響を及ぼし始めています。私たち日本人が、漫然と「間違った世界」と心中することはないのです。あってはなりません。私はそう思うからこそ、皆さんと共に考える空間を作ってきたはずなのです。
皇紀2678年(平成30年)10月3日 10:19 AM
モーリー・ロバートソンさんなどが、やがて日本は混血だらけになり、純粋な日本人はいなくなるだろうということをしばしば仰るのですが、世界的にみても人口の多い日本、俄かには想像しにくいところもあります。
しかし、「慰安婦問題」一つとっても、アメリカにおける「移民パワー」は、政治的にも侮れないものがあるのだなぁ、という気はします。
最近「ダイバーシティ」が喧伝されていますが、外国からやって来て利己的な商売に明け暮れたり、地域の人々の心身の健康を害したり、環境を派手に破壊して生命や安全を脅かしたり、景観を著しく損ねたり、それでいて「それが何か?」と開き直っている人々もいるようですが、それは「多文化共生」でも「多様性」でもありません。
「三方良し」の精神は、今でも大切だと思うのです。
なぜ近江商人は江戸時代のメガコンペを勝ち抜けたのか?「よそ者意識」の基本原則
https://zuuonline.com/archives/59384
皇紀2678年(平成30年)10月3日 4:45 PM
以前にも申したと思いますが、こちらのブログは記事の文責や管理などを遠藤先生が一手に担っているわけであって、継続するも辞めるも、また再開するも先生の自由です。ただでさえ今年だけでも何度か大きく体調を崩されているわけですから、決して御無理をなさらないでください。ろくに仕事も続けられない私から見ればこれほど内容の濃い記事を年末年始や祝祭日も関係なく絶えず更新し続けること自体がもはや「神業」です。しかし先日の記事で先生が仰ったように物事には全て終わりがあり、当然このブログも例外ではありません。
こんな形でのお別れであれば大変寂しいことですし、おそらくスポーツの大会ならメダルを貰えるくらい熱心な読者だと自負する人間からすると、果たしてそれは今なのかという気持ちもありますが、たかが占領憲法の一条文を変えること自体が国を挙げての騒ぎになる我が国で「真性護憲」を訴えるのはあらゆる嘲笑や罵声に耐える覚悟と体力が必要なのですから、気の遠くなるような時間をかけて闘い続けなければならないのです。
私は全てのコメントを呼んでいるわけではないのですが、やはり中には管理する人が見れば「やってらんねぇよ」と思いたくなるような(私の拙いコメントも含めて)ものもあるでしょう。それはたくさんの読者を持ち、常に正論を説き続けるブログには避けられないことでしょうが、自分の主張を曲げない範囲で「見なかったことにする」「存在しなかったことにする」ことも必要かと思います。しばらく更新を休止したり完全に辞めてしまうことになっても不平不満を申し上げることは一切しません。私の「もっと知りたい、学び、教わりたい(きちんと理解できるかどうかは別にして)」という意欲よりも先生の健康や情熱のほうが遥かに国益に資するものであります。一部の幼さや傲慢のために自らの信念を安売りする必要はありません。
ふと頭をよぎったのは夭逝された三宅博先生のことです。直接面識はありませんが、こんな時三宅先生なら何と仰るでしょう。「無理はするなよ」とか「ここが踏ん張り所だぞ」と激励してくださるのでしょうか?ただ私も遠藤先生も三宅先生から見れば「未来ある若者」であり、我が国の将来を託されたわけでもあります。ここで自暴自棄になって「日本終了~」などと投げやりになってはいけません。冷静さを取り戻すために必要ならばずっと続けてきたブログを止めることも一つの手ではあります。どんな判断をされても罰が当たるなんてことはありません。ただ、欲を言えばもし本当に辞めてしまうならその前に一度でも遠藤先生に直接お会いしたかったなぁ、と思います。
今日の分も含め、ただ長いだけで何が言いたいのかよく分からないコメントにまでお付き合いくださりありがとうございました。これからもずっと応援し続けます。「応援してくれるな」と仰れば潔くやめますが(笑)。
皇紀2678年(平成30年)10月3日 10:51 PM
同じようにブログを読んでいても、理解の範囲も深さも人それぞれです。
私なども、毎日何年も読ませていただいておりますが、まだまだ理解が足りません。
毎日配信することは並大抵のことではないと思います。回数を減らしてでも
どうか続けて下さいますようお願い致します。
憲法でもないものを憲法と認め、「改正」?(改悪でしかないだろう)しようというのが
保守といわれる人たちの大勢です。
経済にしても、他の政策にしても納得できないどころか
日本をぶち壊してばかりのようで何のための政府かと、誰のための政府かと思う事が多く、
むしろ何も決まらない方がいいとさえ思います。
増税にしろ、株高にしろ、移民促進や種子法廃止、、
国民一般のためでないことは明らかでしょう。
しかし安倍政権に安堵して危険性をみないで応援する人、多いです。。
自分に何かできるのか、と思ってしまいます。。
遠藤さんブログで確かに考える空間を作っていただいています。
感謝申し上げます。
ありがとうございます!!
皇紀2678年(平成30年)10月4日 11:57 PM
こちらに投稿するのは久しぶりです。ごぶさたしています。
まずはじめに、読者と共に考える空間を「無償で」「長年に渡って」提供しつづけてこられたことに深く感謝申し上げます。
その上で考えてきたことを書かせてください。
ブログブームが起きたのはたしか15年くらい前だったと記憶していますが、その後保守系ブログを熱心に更新されていた方々は今ではその方面で評論活動をされていたり、選挙に出馬したり、実際に議員になっていたり、学者として世に出たりと、かなりの変化が起きています。
また、ブログを数年で止めたひともいますし、高齢だと鬼籍に入られた方々もおられます。
現在ではツイッターで意見表明される無党派も増えましたし、noteのようなコンテンツを利用される専門職のかたもいます。
私もそちらを拝見する機会は増えました。
ご経験のある方々は皆様よくご存知だと思うのですが、政治とは直接関係しない本業を持ちつつ在野で政治や保守に関する活動を続けることは、本当にしんどいものです。
それを知ってか知らずか、テーマとは関係のない自説の開陳にのみいたくご執心なコメントを拝見するにつけ(実際、こういう人にはよその保守系の会合や講演会などで再三お目にかかってきました。いまだに困惑しています)、ご自分でブログを開設してそちらで好きなように記載されればよいのに…と心の底から感じるようになりました。
正直なところ、こちらから足が遠のいたのはそれも理由のひとつではあります。
また、遠藤さんの自負されている啓蒙活動とは異なりますが、私も「別の場所で」「自分の能力を穏やかに発揮できる範囲で」続けてきた者です。
考えこむことのほうが多い性質ですが、それでも現地に足を運び、休日を使い、身銭をきって動いてもみましたが、若いと評されることに無力感すらおぼえる始末です。
もう中年で、一般的には決して若いと言われる年ではないはずなのですが。
終わりがあれば、始まりもあります。
休みながら続けることも、別の場所で続けることもできます。
ネット上で政治家に激しい言葉を投げつけることをただの娯楽にしたがる心無い臆病者こそが、保守を毀損してきたのではないかと思います。
最近、あらためてそんなふうに考えています。
遠藤さんも疲れているのであれば、体調がすぐれないのであれば、とにかくゆっくり休んでくださいね。
※以上は不都合ならば非公開でお願いいたします