大阪地震 被害状況

皇紀2678年(平成30年)6月19日

 十八日午前に発生した大阪府北部地震で、亡くなられたすべての方がたに衷心よりお悔やみを申し上げ、被災された皆さんにお見舞いを申し上げます。

 大阪に戻ってみますと、事務所(震度六弱を記録した大阪市北区)の本棚から中身がほとんど飛び出して床に散乱していました。ほかに割れているものもあります。また現在、ガスが止まっています。

 本日は、記事配信をお休みさせていただきますが、今後とも何卒ご支援ください。よろしくお願いします。

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『大阪地震 被害状況』に3件のコメント

  1. 日本女性:

    遠藤様

    日曜日には貴重なお話をありがとうございました。もしかすると予言能力があるのではと思うくらい、地震を口にされた直後に群馬で、翌日には大阪で地震が実際に起きてしまい、不気味です。大都市の直下型地震なので、被害が大きいですね、お見舞い申し上げます。記事の配信は当分お休みになり、落ちつかれたら再開なさってください。

    東京では、きょうの昼のニュースのトップは加計理事長の緊急記者会見の生中継、大阪の地震のニュースを少しやり、その後はWカップの話ばかり。東京だって他人事ではないので、イライラしました。

  2. 心配性@我は蛮夷なり:

    ご無事で何よりでしたが、事務所の方は心配ですね。
    どうぞお気をつけください。

    遠藤さんも東京で報道をご覧になったとは思いますが、関東地方は、連日大阪の地震のニュースで持ち切りだったでしょう。
    折しも房総沖の「ぬるぬる地震」や、首都直下型地震の危険性が心配されていましたから。

    東日本大震災時の経験からですが、やはり、1週間分ぐらいの水と食料は、個人的に確保しておいた方がよいですよ。

    この大変な時に何ではありますが、江戸時代の「南海トラフ大地震」こと「宝永地震」についてもう一度ご紹介しておきます。
    実際にはもう少し被害が大きかったという説もありますが、大体こんな感じだろうと思います。
    江戸時代は、実は、巨大地震や巨大津波や巨大噴火に見舞われまくった、大変な時代でもありました。(政府は強靭化をしっかりやれ。)

    【宝永地震】 1707年(宝永4年)、震度6以上の地域が東海道から四国までと、広範囲に及ぶ。津波が房総半島から九州に押し寄せ、死者約2万人、倒壊家屋6万戸、流出約2万戸。※同年富士山も噴火し、静岡・小田原等降灰による被害甚大。

    それから、サッカー日本代表、勝ったぞー!

  3. 椿:

    こうやって、被災者の方達に対する「お見舞いの言葉」や
    「お悔やみの言葉」をかけられるところに、『人間性』が出ますよね?

    他ブログでは、お悔やみを言うよりも、シナ・朝鮮・売国奴に対する文句ばかりが目立ち、
    保守といわれる人達の人間性も、あまりシナ・朝鮮と変わらないし、様々だなと思いました。

    確かに私が見たところ、震度6にも拘らず、中心部ではほとんど被害は見られませんでした。
    関西の地元局はことのほか 冷静に報道してましたが、
    何かバカ騒ぎして、針小棒大に報道していたのは
    「全国ネットの東京の主要局」ばかりだと言われています。

    本当に心配してるのかしら?と疑いたくもなりました。

    大阪は 過去の阪神淡路の大震災で、神戸ほどではないですが、被害を被ったので、
    少なからず学んでいます。ですので、熊本と同じ震災6の地震にも拘らず、
    中心部は本当に「普通」だったのには驚きました。

    ★大阪北部(高槻市/辻元清美を選出した市)などに被害が多かったのは、
    ひとえに【人災】ではないでしょうか?

    関東や関西だという前に、日本全体が地震地帯なんだから、
    国会議員なら、その辺もっと対策を取っているべきでしょう。

    高槻市の住民も今度こそ、「辻元清美を選挙で落とさなければならない!」と
    思ったのでは?と期待しています。

    ★選挙に行くのは、当選させたい政治家がいるからではなく、
    『当選させてはいけない政治家を落とす為』に、
    選挙に行くことを覚えておいてほしいと思います。