「英霊来世」と街宣右翼
讀賣テレビ系『たかじんのそこまで言って委員会』は7日、6人組のラップグループ「英霊来世(えいれいらいず)」が民主党を批判した楽曲に対して、コラムニストの勝谷誠彦氏が「俺、耳をふさぐか退場しようと思った。反吐が出そうだったね。あの変な歌は」 「あれ、形を変えた街宣右翼だね」と論評する様子を放送しました。
http://www.youtube.com/watch?v=eet7pKC0C1E
http://www.youtube.com/watch?v=YrkCJfimams
▲YOUTUBE:イマドキの若者 1英霊来世登場 2愛国心とは
私はこの放送を見ることができなかったのですが、或る方から教えていただき、そもそも英霊来世のアルバムCD『矜恃』を支持者の方からかつてお譲りいただいて興味深く拝聴したことを思い出しました。
彼らが「右でも左でもない」と愛国心の発露をことわる理由はよく分かります。一方で、ラップとしての音楽性には問題があるかもしれません。しかし、ラップという表現を用いることが若者におもねっているというより、若者の1人として「日本」をうたいたいという彼らの気持ちが率直に伝わってくるのは事実です。
日本のいわゆる「J・POP」などの楽曲がどれも非常に似通った恋愛をうたうに留まっているのは、或る意味政治的なメッセージ性をもたせることへのタブーであり、わが国の音楽界が世界に通用しない要因の1つではないでしょうか。
勝谷氏は「きちっとした知識の裏付けがされていない」と英霊来世を批判していますが、どの部分がどのように不足だったのか分かりません。それを申せば、普段は保守的なことをおっしゃる勝谷氏らが揃いも揃って「日本の真の独立」などとうたうわりには真正護憲論の存在に対してまったく不勉強であるのはいかがなものか、と。
まるでジョン・レノン氏の有名な楽曲『イマジン』を「左翼のうた」などと決めつけるような安直さが勝谷氏の態度から見て取れます。「日本を守る」という者が皇室について語るなら、私たちは天皇陛下こそが祭祀からくる平和の祈りを全世界へ語りかけられているのだと知らねばなりません。
ですから、わが国を知るということは決して内向的な作業ではなく、たとえ思考の入り口はそうであったとしても、結果としては世界を見るという、大変外向的な作業になるのは必然です。若者の愛国心を「内向きの傾向」としたがる壮年・老年層の意識こそ、極めて内向的ではないでしょうか。
私は以前に、靖国神社の問題は東京裁判史観からの脱却のみならず、まずは薩長史観からの脱却が果たされていないことだと書きましたが、これは真正護憲論を確立した南出喜久治辯護士のご指摘であり、そうすれば、大東亜戦争のことのみをうたったように聞こえる英霊来世の『九段』は、確かに歴史の勉強が足りない結果かもしれません。
ですが、1つの楽曲にどの想いを込めるかはアーティストの創造性にあり、それを勝谷氏のように非難する者が出てくるからこそ、わが国の最近のうたは結局何もうたわないのです。仮にも言論人である勝谷氏が、昭和43年にザ・フォーク・クルセダーズのうたった『イムジン河』が発売中止になった過去を肯定するような態度をとることは、それこそ「右も左もなく」あってはならないと私は思います。
本当のところ、勝谷氏は小沢一郎幹事長率いる民主党の批判が単に気にくわなかったに違いありません。放送ではその後、民主党の「子ども手当」を厳しく批判していますが、決して小沢幹事長に対する批判は何があってもしませんから、それで「街宣右翼」とまでレッテルを貼られた「右でも左でもない」英霊来世の6人はあまりに気の毒ではありませんか。