「住吉丸」には2つある
※ 本日、記事配信に手違いがあり、申し訳ございませんでした。
昭和二十年の本日午前八時十五分、米民主党政権が広島市に原子爆弾を投下しました。これは、戦争以外の犯罪であり、金輪際二度とあってはならないことです。一瞬にして焼き殺され、助かっても放射線障害(原爆病)によって殺された先人たちの御霊に、ただただ頭を垂れるしかありません。
この日の四日前、大日本帝國海軍が飛行予科練習生(予科練生)として集めた十代の子供たちを乗せた民間の木造船「住吉丸」が、徳島から兵庫県淡路島というわずかな航行にも米軍の機銃掃射に遭ったという産經新聞社記事を読み、二つのことを思い出しました。
まず、この機銃掃射は、わが国各地で民間人に対して行なわれ、多くの人びとが殺されています。主として「空爆(空襲)がなかった」とされている京都市内でも、機銃掃射は盛んに行われました。
そして、住吉丸と言えばもう一つ。昭和三十六年七月に起きた北韓(北朝鮮)工作員の日本潜入事件に用いられた漁船の名前が全く同じでした。
当時は、単なる漁民の漂着程度に考えられましたが、この時潜入した桂明順なる北韓人を逮捕した山形県警察の取り調べに、当初平然と身分を偽ったりしたため、間違いなく何らかの対日工作指令に基づく潜入だったと思われます。
ことほど左様に現在も、日韓両国で北韓の工作員が暗躍しており、それが時に中共の依頼によるものだったりもしているのです。
二度と戦争を起こしてはならない、という私たちの想いを踏みにじる中共や北韓の好戦的態度を、決して許してはなりません。
毎年八月、大東亜戦争を語る時に持ち出される「平和論」は、わが国の過去を諫めながら現在と未来を的確に論じているものが少ないように思います。中共や北韓のしていることは一切伏せ、いたずらに日米の太平洋防衛を非難の対象にするのは、全くおかしな話です。
先人たちが命を賭して遺してくれたわが国で、私たちがもう一度よく考えねばならないと思います。