利権大企業と河野太郎節
オランダ(蘭国)のアムステルダム・エルミタージュ美術館が六月二十六日、ダサいことこの上ない「H・ART美術館」に改名しました。露国のサンクト・ペテルブルクにある世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館の別館だったのですが、ウクライナ側に加担する一方的、且つ政治的理由による莫迦げた改名騒ぎです。
あらゆる多様性(ダイバーシティ)を認める国柄を誇ると言われてきた蘭国でさえ、いや、そうであるからこその所業でしょう。欧州における侵略の歴史を振り返れば「露国にもはや耐えられない」とはどの口が言うものか、本当に莫迦莫迦しい。
すべては米民主党バイデン政権とウクライナのゼレンスキー政権自身が招いたことだと全世界にいよいよバレた時、この「ダサ・ダサい美術館」はどうするつもりでしょうか。
さて、莫迦げていることにかけては、わが国の岸田政権も他国を笑えません。武漢ウイルス(新型コロナウイルス)向けとされた正体不明の液体を「副作用はない」「副作用があっても大丈夫」「全責任は私にある」などと大風呂敷を拡げた河野太郎デジタル相は、マイナンバーカードについても「とにかく安全」と説明して回っています。
しかし、誤交付につぐ誤交付で、事実上システムが破綻しているのです。それを指摘すれば逆ギレという河野氏に、一国の首相が務まるわけなどありません。もう「次の首相」などと言うのはやめましょう。
不祥事連発の原因は、まず私の感覚として霞が関がデジタルに弱いためです。まして地方自治体はなおさらで、そもそも東京大学法学部出の省庁職員たちがデジタルで文書を作成する能力すらまともにありません。これには正直、大してデジタル知識が豊富ではない私が「そんなことも知らないの?」と驚かされました。
第二の原因は、無知な行政権力から発注を受ける富士通やNECなどの大企業が、信じられないほどシステム構築の能力も管理能力もないことです。
これは極めて深刻で、どうやら政府発注事業でメシを喰い始めた挙げ句、自ら何かを掘り起こし、創り上げる能力を失っているようなのです。これでは到底、世界の中で闘えません。
いつから日本企業はこんなことになってしまったのか、と思いますが、早い話がよく「税金チューチュー」と揶揄される「安泰事業」を取りにいくばかりで、その甘い汁を吸っていれば何もしなくてよいというような企業風土が出来上がっているのです。
そして、不祥事の責任を下請けになすりつけるやり方は、だからそもそも大企業自身が何もしていないことの証左であり、委託先の委託先が事故を起こしたという話にあふれかえり始めました。それが日本企業ではなかったという事例も多発しています。
それでどうして「安全です」と言い切れるのか、河野氏の無責任ぶりは、もう私たち国民の信用を一ミリも得ていません。
マイナカードは、特別永住者が使用してきたいわゆる「通名」では登録できないことから、制度施行に反対する者を「対日ヘイトスピーカー(日本憎悪差別主義者)」と見なす言論がありますが、確かにそれもある一方、わが国の「特別永住者を認めたような」行政権力のいい加減さと、経済産業省や総務省らにもたれかかるしか能がなくなった産業の著しい劣化を露呈させています。
河野氏の態度を見るにつけ、導入当初の目標を見失った制度自体に疑問を呈さざるをえません。当面は、健康保険証の廃止見直しを諦めずに言い続けます。
皇紀2683年(令和5年)7月2日 8:58 AM
常日頃からつくづく思うのが、財布の中に無数に存在する会員証やら診察券やらの類を一元化してほしいということです。たまに受診する病院などの診察券を探す度に「いつまでこんなバカなことしなきゃいけないんだ」と我が国のデジタル化の遅れに頭が痛くなります。結局のところトップがいい加減だからデジタル化も何もかも中途半端にしか進められないのだと思います。
先日とある有識者が「現役世代なくして将来世代なし」と仰っていましたが、今の我が国はさしずめ「団塊世代なくして将来世代なし」といったところでしょうか。つまり、「俺たちの快適な老後のためにお前たちは休みなく低賃金で働け。結婚や子育てなんか知ったことか」ということです。この手の連中が政界や財界を牛耳り、報道権力まで支配しているのですから国家の衰退は必然でしょう。
そこに切り込むのがよりにもよって「一切の責任を負わない」ことでお馴染みの河野大臣なのですから救いがありません。彼にとっての責任とは「手柄」のことであり、成功すれば自分の手柄、失敗すれば役人もしくは国民のせいという思考だけは一貫しています。今回の一件で河野大臣が「次期首相レース」から脱落するのであれば、高い授業料と割り切ってしまうしかないのかもしれません。