秘書官更迭はスガへの反撃
まず、荒井勝喜首相秘書官の発言内容についてですが、個人の意見として特に問題はないと思います。異性愛者が同性愛者を「気持ち悪い」と思うのも、同性愛者が異性愛者を「気持ち悪い」と思うのも、個人の自由です。
これを殊更非難の対象にする類いの「人類分断」を煽るような多様性(ダイバーシティ)の主張には、綺麗事莫迦(ポリティカル・コレクトネス)が感じられ、ほとほとうんざりさせられます。
ただ、荒井前秘書官は、わざわざ口に出して言うことではなかったでしょう。同性愛者の権利がどうのこうのという声が「やかましい」のと同様ですが今回の場合は、非公式発言(オフレコ)をわざと表に出した報道権力がわざわざ口に出したようなものです。
面白がって差別を扇動した報道権力こそ文字通りの差別主義者たちにほかなりません。
私はかねてより、宗教原理主義ではない祭祀の国・日本こそが同性愛も静かに認めてきた「人権先進国」だと申してきました。欧米では、同性愛者という理由だけで人びとを処刑した「黒歴史」がある一方、わが国では、古来より男色の文化があり、のちに「衆道をたしなむ」という言葉さえ生んだほどです。
それでも同性婚には反対してきました。その理由は、婚姻制度の大前提が「生殖(子孫繁栄)の可能性がある関係性の法的保護」にあるからで、単に人と人が「愛し合っている」という関係性だけでは、法的保護の根拠になりえません。
もし、そこまで政府が法的保護しなければならないとなれば、同性婚のみならず近親婚まで認めることになり、生物学的大問題が発生してしまいます。
同性婚を認めることによる「社会的混乱」とは、決して異性愛者までもが同性愛者になると仮定するような、それこそありえないことを叫んで「家族の形が壊れる」だの「少子化が加速する」だのといったことではなく、特別永住者もそうですが法的保護の異常な拡大による行政上不公正の多発と、生命倫理を激しく棄損してしまうことにあるのです。
さて、以前から申してきた議論の前提は、とりあえずこれくらいにしておきましょう。
次に、なぜ荒井氏が更迭されたのかということです。現下の世界にはびこる綺麗事莫迦に合わせざるをえないという事情もありますが、何よりもここで表題の通り、今回の更迭劇が岸田文雄首相による菅義偉前首相への反撃であることを申しておきます。
岸田首相にとって荒井氏は、福田康夫内閣で内閣府特命(消費者行政推進)担当相になった十年以上前からの知己ですが、経済産業省(旧通商産業省)出向の荒井氏が先輩に当たる今井尚哉内閣官房参与に使われて、岸田倒閣へ動いているのを知ったからです。
岸田翔太郎首相秘書官が「あれもこれも外部へ漏らした」という話まで出始めていましたが、そのほとんどは荒井氏の仕業であり、例えばウクライナ訪問や武漢ウイルス(新型コロナウイルス)の指定感染症(五類感染症相当)指定の話も、荒井氏が勝手に報道権力へ漏らしました。
それを二十七日記事で指摘したようなことにされたものですから、岸田首相がとうとう荒井氏を叩き出す方法を探っていたのです。報道権力こそが差別主義なのは事実ですが、今回の発言が漏れたのは、岸田官邸の方針でした。
もう一つ申しますと更迭の最大理由は、実のところ今回の発言ではありません。荒井氏の人相の悪い息子が早稲田大学の卒業式当日、タクシーの乗車を巡って二十代の会社員と喧嘩になり、連行された警視庁戸塚警察署(新宿区西早稲田)の警察官に向かって「俺の親父は総理秘書官だぞ! お前ら所轄のお巡りは高卒だろ!」などと信じがたい蔑視発言に及んだことが多方面の怒りを買ったからです。
恐らくこの時点で菅前首相も荒井氏との関係を切ったでしょう。問題なのは、だから岸田首相が更迭したのか、折角更迭したのに関係を先に切られていたのか、そこが現時点でまだ判明しておらず申し訳ないのですが、とにかく岸田内閣から菅前首相の息がかかった隠密が一人消えたのは確かです。
岸田首相に求められているのは、経産省を切って財務省を喜ばせるのではなく、財務省も斬り落としてしまうことにあります。さもなければ倒閣されるがままになるのです。
皇紀2683年(令和5年)2月6日 6:15 PM
コラボ問題は 民間の反日の在日と反日の帰化人が 反日の帰化人官僚・公務員が連携して 日本人を食いものにしている悪事の一例。東京都はコラボ問題 大阪市は上海電力と橋下徹と大阪市職員。一例にすぎぬ。九牛の一毛。日本全国で。
皇紀2683年(令和5年)2月6日 10:32 PM
いくらオフレコとはいえ、思っていることを何でもかんでも明け透けに口にする危機意識の低さを考え得れば、例えバカ息子の件がなくとも更迭は不可避だったでしょう。即座に首を撥ねたのは政権運営どうこうよりも「ろくでなしは容赦なく切るぞ」という、岸田降ろしを目論む面々への見せしめというか牽制の意味合いが強いものと推測されます。背筋の凍った者も決して少なくはないでしょう。
それを差し引いても、厳しく批判しづらい属性であることに便乗した性的少数者への異常極まる過保護ぶりには心底辟易させられます。「どうしても同性愛者が受け付けない」「同性婚などとんでもない」という一つの思想や本能にさえも弾圧の魔の手を延ばすような連中には、たとえば本人の意に反してアウティングの被害に遭い自ら命を絶った一橋大の学生のような存在など目もくれないのでしょう。自分たちの政治目的の達成には何の役にも立たないのですから。幸い私と交流のある性的少数者は素敵で尊敬できる方々ばかりですが、オフレコ破りという完全なマナー違反を正当化するような報道権力と結託して我が国の家族制度や静かな同性愛文化を破壊するような性的少数者ははっきりと唾棄すべき存在だと断言できます。