コレやったら岸田内閣終了

皇紀2683年(令和5年)1月18日

日本向けビザ発給、一部容認 商用など対象―中国:時事ドットコム

【北京時事】中国政府が日本で停止しているビザ発給を、商用などを対象に一部認めていることが分かった。日中関係筋が16日、明らかにした。中国政府は10日、新型コロナウイルス対策で中国からの渡航者に対する検疫を強化している日韓への報復措置として、両国向けビザ発給業務の一時停止を発表していた…

(時事通信社)

 「なぁんだ、この根性なしめ」と申したいところです。結局中共にとって思いつきの日韓への嫌がらせは、自分の首を絞めてしまいました。

 根性どころか性根が腐って七十年以上も経つわが国政府が撤回を要求するまでもなく、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)の感染爆発で後退した景気を回復させようと外資誘致を進める中、特に日本からの商用の入国を止めてしまえば、困るのは中共のほうです。

 だからこそ即座に「ではこちらも一切の発給を停止する。さらに入国時、中共人のみ有無を言わさず全員二週間隔離!」と言ってしまえばよかったのに、あたふたした時点でわが国もみっともないことこの上ありませんでした。

 今回の顛末は、ただただ中共が「やはりリスクの大きな国だ」と世界各国に改めて思わせたでしょう。誘致したい外資は、ますます中共を避けます。まして、一日に一万人以上が死亡し、人民の六割以上もが「感染した」とされる中共は、それ自体が危険な存在でしかありません。

岸田首相、周辺に「尹大統領とは話が通じる」

 日本の岸田文雄首相が周辺に「韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領とは話が通じる」と話していると読売新聞が15日、報道した。北朝鮮の核・ミサイル挑発や韓日間の歴史問題を解いていくためのパートナーとして、尹大統領は信頼できると評価しているということ…

(朝鮮日報日本語版)

 さて、私たち国民にとって本当に危険な存在は、むしろ岸田内閣そのものです。

 極めて危険な中共に屈するのを基本姿勢とし、安倍内閣で外相を歴任した岸田文雄首相に唯一期待された韓国の対日ヘイトスピーチ(日本憎悪差別扇動)に対する厳しい態度は、今まさに崩れようとしています。

 先の韓国大統領選挙で、文在寅前大統領と同類の北韓(北朝鮮)工作員である李在明現国会議員(共に民主党)を落選させるべく尹錫悦大統領であれば日米が対韓姿勢を緩和する用意があることを指摘しましたが、それはいざ尹大統領が日米韓関係の再構築に全力を挙げてのことです。

 既に十四日記事で申しましたが、わが国が「悪い」のを前提に「日本企業に寄付を求める」ようでは、尹政権の関係改善に向けた努力がまるで足りません。何の解決策にもなっていないのです。

 日韓基本条約締結時の日韓請求権協定で全て解決し、韓半島(朝鮮半島)に遺した莫大な資産の返還放棄と巨額に過ぎた資金提供をもって「二度とお詫びせず、以後ビタ一文出さない」というのがわが国政府の大原則にほかなりません。

 これを歪めた歴代政権の責任を安倍晋三元首相がいわゆる「戦後七十年談話」でひっくり返してみせたのですが、それを岸田首相がさらにひっくり返して元に戻してはならないのです。

 韓国政府は、さらなる対日要求が日韓基本条約の破棄を意味し、すなわち日韓国交断絶になることを思い知らねば、いや、わが国政府がそれを思い知らさねばなりません。

 それこそ韓国にとってとんでもない国家的危機を招きます。韓国を存続させることすら難しくなるでしょう。私たちとて日米韓関係の崩壊を決して望んでいません。

 頭の悪い予算の組み方しかできない岸田内閣にいよいよ地獄への引導が渡されようとしている今、もはやこの解決策に乗れば百%完全に即地獄行きです。

 自民党の保守系議員が本気で対峙できるか否かにかかっています。国民には「韓国にカネを払って謝れば、その分も増税と値上げですよ」とでも言って反対世論を喚起すればよいのです。

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『コレやったら岸田内閣終了』に1件のコメント

  1. きよしこ:

    さすがに韓国に対する更なる謝罪と賠償はないものと考えます。いくら何でもリスクしかありません。保守派はもちろんのことリベラル派も深刻な「韓国疲れ」を感じています。例の慰安婦合意をあっさりと文在寅政権が反故にして見せた瞬間から多くの日本人が「もう韓国とは関わらない」と心に決めたのです。それ以降コロナが蔓延して韓国が我が国に対してアプローチという名の嫌がらせができなくなって以降、「別に韓国いらないじゃん」と気づいてしまったのです。目下日本人にとって最大の関心ごとは「さっさと中国人の入国を拒絶しろ」の一点に尽きます。未だにPCR検査だの陰性証明だの何の役にも立たない「なんちゃって水際対策」に不満爆発ですが、対韓国に関してはわりと楽観的に構えています。それでも過ちを犯すようなら、もう知ったことではありません。