ロシアが嫌がらせした本音

皇紀2682年(令和4年)10月2日

露の日本領事拘束は「22日午後、3時間後に解放」 外務省が当時の状況説明

外務省は29日の自民党外交部会などの合同会議で、ロシア当局がウラジオストク日本総領事館の領事を一時拘束した問題に関し、当時の状況を説明した。拘束は22日午後で、…

(産經新聞社)

 在ウラジオストク日本国総領事館の日本人職員の身柄を目隠し、手を縛るなどしていきなり拘束した露国の治安機関「連邦保安局」(FSB)に対し、わが国政府は事件発生直後に強く抗議、謝罪を要求しました。

 ミハイル・ガルージン駐日大使も外務省に呼び出されましたが、わが国として「今度やったらお前も同じ目に遭わせる」「日本はこの種の暴挙に甘い対応はしない」とはっきり脅迫すべきです。露国こそが国家ぐるみで違法な対日工作に血道を上げていますから(七月三十日記事を参照)。

 外交官はそのようなことをしないとよく言われますが、嘘をついてはいけません。国際会議と一対一の会話は違います。他国の外交官も極めて厳しい事案では、平気で相手国の全権を脅します。

 そもそも「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」を宣告せずに外交官の身柄を乱暴に拘束したことは、明白な国際法違反です。では、なぜ露国がこのような幼稚極まりない所業をするに堕ちたのでしょうか。

 一義的には、米民主党のジョー・バイデン大統領が次男(ハンター・バイデン氏)のウクライナに於けるとんでもない汚職事件をもみ消そうと、支持率が急落していたウォロディミル・ゼレンスキー大統領を煽って対露方針を転換させたことに始まり、これに怒ったウラジーミル・プーチン大統領に決断させるよう仕向けた「ウクライナ侵略」に対する軽率な対露制裁への報復です。

 しかし、ウラジオストクでFSBがわが国に怒ったのは、やはりあの知床遊覧船沈没事故をめぐる岸田文雄首相の態度でした。

 制裁の最中にあっても日露の協定を順守し、それ以上の協力を示した露国境警備局に対し、岸田首相は一言もお礼を述べていません。

 つい先日も、犠牲者のご遺骨が露国からわが国へ、そしてご家族の元に帰りました。露国としてこれだけの手配をしながら、日本政府からの謝意が全く示されていないのです。

 だから私は、この事故はあまりに痛ましいものですが、起きた事故を対露外交の方針転換に活用しなければ、地政学を知らない外務省では日露関係が泥沼化すると警告しました。

 初めからわが国は対露制裁と距離を置くべきでしたが、この時がそれを修正する好機だったのです。

 日露講和をさんざん邪魔してきたのが米民主党なのですが、共和党のドナルド・トランプ政権を相手に安倍晋三首相(当時)がやるべきだったのは、まさに日露講和でした。

 日米豪印戦略対話(クアッド)で印国までもを日米側に引き寄せた安倍元首相の外交力がもうあと一歩惜しかったのは、同じく中共牽制の戦力に露国を取り込めなかったことです。

 千島列島のうち四島の返還を目指すわが国がこれらを日米安全保障条約の対象外と明言できなかった安倍元首相に対し、愛国者のプーチン大統領が「安倍首相は自主独立派の愛国者ではなく、ただの親米派だったのか」と失望したことが講和交渉失敗の原因でした。

 このままでは、間違いなく露国が千島列島はおろか北海道の領有まで口にします。そのそぶりは既に見せていますが、本来わが国が千島列島全島と南樺太の領有を主張しなければなりません。

 そうした外交交渉の末に妥結点が見いだされるのであって、外務省の及び腰が露政府につけ込まれるのは目に見えています。わが国にはわが国の事情があり、地政学上に於いて中共を地図から消すには露国が必要との認識がなさすぎるのです。

 外交は互いを利用し合うものであり、その意味で「真の友人などいない」とよく言われるのですが、そうした感覚を大東亜戦後の現行憲法(占領憲法)によって奪われたままのわが国に、果たして露国の暴力を抑え込めるでしょうか。

 だから「二正面作戦」に落とし込んで露国との講和を今こそ試みよ、と申してきたのです。

 「自衛隊を北方へ集結させ、本当に日露戦になったら誰が責任を取るのか」などと言っているうちは、国民が大虐殺されても何も動かない政府でしかないのです。

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