思想・言論の貧弱な人たち
皆さんもご存知の通りこの手の「市民団体」は、決して私たちが思い浮かべるいわゆる「普通の国民」ではありません。公安用語である「極左暴力集団」に準ずる危険思想活動家の組織です。
別の公安用語に「右派系市民団体」というものがありますが、これは公安がよく調べていて、保守派の市民活動と右翼団体にほとんど繋がりがなく、極左のほうとは様相が全く違うことをよく表しています。
保守系の市民団体は、むしろ左傾化しきったわが国に不満を持つ「普通の国民」が自分の都合に合わせて参加できる活動です。日当が出たりすることで、参加の強制まであるという極左のほうとはずいぶんな違いがあります。
対日ヘイトスピーチ(日本憎悪差別)を目的とする危険思想の集団は、見事なまでの高齢化で、手書きの見にくい横断幕に呪いの言葉を並べ、何やら「国民の声」を装って裁判を起こすのが得意です。極左系弁護士の「訴訟ビジネス」と直結しているからでしょう。
統一教会(世界平和統一家庭連合)のような悪辣極まりないカルトに利用され、講演したり共に写真に納まってみたりすることがいけないなら、日本共産党、立憲民主党やれいわ新選組の議員たちが田中正道氏なる上記危険思想集団の代表格と懇意で、写真を撮りまくっていることこそ問題です。
安倍晋三元首相の国葬儀が九月二十七日、日本武道館で執り行われることが閣議決定された日、表にいたのはこうした危険思想集団の構成員たちで、首の皮一枚で存続している社民党の福島瑞穂参議院議員もいました。糾弾すべき「関係」ではないのですか?
これを指弾しないなら、自民党の議員が誰と会っていようと何もいえません。
極左政治家と極左活動家は、法律が読めないのか、国葬儀に「法的根拠がない」とわめき続けています。十六日記事で説明した通り、内閣府設置法をよく読んでください。
さらに「政権の評価を固定される」「弔いを強制される」ともわめいている人たちは、その程度の薄弱な意思、思想や言論なら、もはや自らその自由を放棄してはいかがでしょうか。
私は何度も申しますが、安倍元首相の経済政策(アベノミクス)は、最初から失敗だったと批判してきたのを今さら変更などしませんし、日露交渉も日中外交も最後はうまくいかなかったという認識を変えるつもりはありません。それでも国葬儀には賛成します。
岸田内閣として明言している通り、現行憲法(占領憲法)では、天皇陛下の勅令を賜って国葬儀が執り行われることがなくなりましたから、初代の伊藤博文元首相が満洲国で暗殺され、国民全員が喪に服した国葬儀とは、もう全く別物です。
安倍政権に対する評価も、喪に服するか否かも、仕事を休むか否かも、私たち国民の自由なのです。国葬儀による一切の強制も、それどころか「お願い」すらもありません。
あるとすれば、数多駆けつけるであろう諸外国要人の警護による東京都内の交通規制です。あと、危険思想集団が武道館前に集まる可能性があり、それが都民の通行を妨害するでしょう。警視庁・警察庁各位に敬意を表するとともに、皆さんには当日、近づかないことをお勧めします。
税金で云云という話も、憲政史上最長政権を「民主主義」によって達成したはずの元首相が暗殺された顛末であることを考えれば、さもしいとしか申しようがありません。
「有志のカネでやれ」といい放てる感覚が既に人の心を失っています。余程「民意」に自信がなく、すなわち自分の思想にも自信がないのです。
そのような報道権力に国葬儀の是非まで国論を二分されては、わが国はいよいよ、故人となった為政者が気に食わなくなった途端、その墓を暴いてご遺体を損壊するかの国に堕ちるでしょう。そうした感覚でしか国葬儀が語られなくなった今、わが国は「ここまで卑しくなったのか」と。
日本を取り戻す……その意味を本当に考え、私たち一人一人が実行していくしかないのです。
皇紀2682年(令和4年)7月23日 12:19 PM
『日本を取り戻す』、、、独立国家として当然の憲法、考え方、行動を取り戻すだけですが、まだまだ道のりは遠いですね。安倍総理を失った代償は大きいです。
すでに、反日的な人々・国防動員法で動く人々が日本に多数帰化し参政権をもち、日本の国土とくに国防上重要な場所が売られ、市民団体が事あるごとに声を上げ、選挙でれいわのような政党がじわじわ勢力を伸ばすようにまでなってしまっています。
何から手を付ければいいのでしょうか。まずはスパイ防止法の制定でしょうか。