「めし食えへん」民主主義

皇紀2682年(令和4年)5月4日

福山哲郎氏ら殴られ、立民が緊急声明「民主主義そのものを脅かす愚行」

 立憲民主党は2日、西村智奈美幹事長名で政治的表現の自由に関する緊急声明を出した。「政治活動中の国政選挙候補予定者への暴行は、力によって、言論の自由、表現の自由を封殺し、民主主義そのものを脅かす愚行であり、絶対に許されるものではありません」と強く非難。「立憲民主党は、暴力によって政治的表現の自由を踏みにじるあらゆる行為に対し断固抗議を致します」としている。

(京都新聞社)

 立憲民主党の福山哲郎参議院議員(京都選挙区)が街頭演説中、二十六歳の男性に襲われ、男性秘書が殴られた事件ですが、この怒鳴り込んだ男性は、酒に酔っていたものの「めし食えへん(経済が悪い)やんけ。どうしてくれんねん」などと叫んでいたそうです。

 もし自民党の今夏参議院議員選挙候補予定者が立っていたら、やはり同じように襲われていた可能性があり、つくづく政治家というものは、常に結果責任が問われます。公約に対して結果が伴っていなければ、国民の激しい怒りを買うのです。

 立民は特に、綺麗事を並べ立てては私たち国民を騙してきた政党であり、政権を長期間担い続けてきた自民党も同じような批判に晒されるでしょう。しかし、政権を運営し続けてきた自民党の現実性と、わずか三年間の政権運営で旧民主党(現在の立民と国民民主党)が嘘だらけだったこととは、単純に比較できません。

 この国民の激しい怒りの表出に対し、立民の幹事長が、西村智奈美幹事長が「民主主義そのものを脅かす」とは何ごとですか。

 確かにいかなる理由があっても暴力はいけません。彼は酔っていたので正常な判断がつかず、逆に近づかれた秘書をつい殴ってしまったのでしょうが、それが到底褒められた行為ではないことを前提としても、立民はもう少し謙虚になれませんか?

 こんなことだからもう二度と与党になれない「無駄な集団」でしかないのです。憲政史に於いても、かつての日本共産党ほど「確かな野党」ですらありません。

 同じく立民の奥野総一郎衆議院議員(千葉九区→比例復活)も昨日、衆議院憲法審査会の野党筆頭幹事のくせに、自民党の憲法改正論議に対して「露国より許せないのが今の与党だ」などとBSフジの番組で吐き散らし、謝罪する羽目になりました。

 もうもはや彼らの発言の耐えらない軽さは、私たち国民の嘲笑を誘い、野党への諦観を加速させます。

 私たち国民の多くは、その露国とウクライナ、そして米国や欧州各国の態度を見て、現行憲法(占領憲法では自分たちの命がないと思い知ったのです。朝日新聞社の世論調査でさえ、改憲に五十九%もの回答者が賛成しています。

 国民の想いとは全くかけ離れたことしかいわない野党の連中より、経済が悪くて「満足にごはんが食べられない」という男性の声に耳を傾けるのが民意の反映、つまり俗にいう民主主義ではないのですか?

 民主主義とは、多数の意見をはかって少数意見を切り捨てるシステムでしかありませんが、与党に対して内需回復を真剣に訴えない野党は「ごはんが食べられない」の声が少数のものかどうか、自分たちで調べたらどうですか?

 この際、自民党も真剣に応えるよう求めます。

スポンサードリンク

『「めし食えへん」民主主義』に2件のコメント

  1. sana:

    >めし食えへん<

    このセリフ、
    池田小学校大量殺人事件の犯人が、犯行前に父親に電話をかけて吐いた言葉ですね。
    ちょっとコワイものがあります。

    殴られるまえに、対話で解決する努力をしたのでしょうか。笑

  2. 八百万の神の自由:

    > 「ごはんが食べられない」の声が少数のものかどうか~

     この感覚は、野党もそうですが、保守派にこそ感じて欲しいですね。
     現在の過剰な貧富格差を自己責任論で片付けるのは、“和”や“三方良し”、“民の竈の神話”を持つ日本の保守の採るべき態度ではないですよね。

     そもそも人間は産まれながら、不平等(五体不満足や疾患)が有るんだから、現在のようなフリーハンドの自由競争何ぞを推奨すべきでないし尚且つ、
    西郷隆盛の「地位、金、名誉の要らぬ者は困った者なり。しかしその困った者でなくば国家の大業は成し得ない」 の精神と  
    現在の金儲けに賢い者だけが尊ばれる新自由主義の風潮を、保守派はどう整合性を付けてるんだろう?!

     更にマクロ経済的損失が安全保障に莫大な損失を与えてる事に気付かない鈍さも、寂しい限りですね。