【追悼】石原慎太郎先生へ

皇紀2682年(令和4年)2月2日

※ 本日の内容は、極めて私的なものであることをご理解ください。

 とても奇妙な話をするようだが、旧暦の新年(二月一日)を迎えるに当たって私の夢になぜか石原慎太郎氏が出てこられた。中身の詳細はもう忘れてしまったのだが、何やら穏やかな夢だったように記憶している。

 目を覚ましてしばらくして、午後になってから石原氏の訃報が飛び込んできた。私はそれを、現実のものとも夢うつつとも解せず、ひどくぼんやりと聞き流したのだった。

 次第にそれが本物の報道だと判ると、先刻の夢は何だったのだろうか、と。

 私にとっての石原氏は、現行憲法(占領憲法)が昭和二十七年四月二十八日の桑港講和条約発効と同時に効力を失ったものであることを、南出喜久治弁護士の「新無効論」に学んで世に訴える同志、いや、むろん大先輩なのだが、この点に於いては同志と呼ばせていただきたい。

 東京都議会で私たちが占領憲法無効請願をやった時も、議会側は当時の土屋敬之都議会議員らに託されて「大いにやってくれ」とおっしゃったのが石原都知事だったし、沖縄県石垣市尖閣諸島の購入を都として目指した折、米国で石原都知事が演説した内容は、まさに尖閣と占領憲法の無効だった。

 ところが、報道権力は占領憲法のくだりを切った。尖閣だけを報じて或る種扇情的に石原批判をやったのだ。そのほうが自主憲法論に触れずに済みやりやすいからだ。

 この安っぽさこそが今の報道権力の正体だろう。石原氏は、靖國神社参拝などをめぐって、常にそうした報道記者たちに噛みついてこられた。「支那が怒るからか?」「莫迦なこというな」「どこの人間なんだ、貴様!」と発言して国会議員時代も都知事時代も辞職に追い込まれたことが一度もない政治家は、石原慎太郎をおいて他に類例が極めて少なかろう。

 動画「石原都知事アホな記者にブチキレ-靖国参拝

 私たち国民は、そんな政治家をとうとう失ってしまったのだ。

 石原氏を嫌う人びとも多かろう。社民党の副党首だか何だかが訃報に触れてなお故人を罵倒したというから、それこそ「一体どこの国の人間なんだ」と私は問いたいが、保守派の中にも「所詮はポピュリストだった」と批評する方がたがおられる。

 恐らくそれは、かの三島由紀夫氏との対談など過去の発言を漁った印象だろうと思う。

 しかし、これにはね、私なりの解釈がある。三島氏は、健康的で体格もよく、万能に見えてとてもハンサムだった石原氏に嫉妬し、石原氏は三島氏の類稀なる文学の才能に嫉妬したと思う。そんなことは文壇に限らず、芸術家の世界では当たり前にあるだろう。

 これが石原氏の三島氏に対するいわゆる「逆張り」を生み、しかしながらその魅力をもって政治家となり、そして三島氏は肉体改造の末、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で占領憲法下のわが国を憂いて自決した。

 石原氏が皇室を軽んじたとされるのもこうした頃の小さな発言で、結局は自説を曲げることなく皇室祭祀を重んじたのに間違いはない。それがわが国、わが民族の精神的支柱であることをよくご存じだった。

 もし、石原氏が作家のままだったら、或いは三島氏が割腹の美学に奔らず政治家になっていたら、今頃わが国はどうだったろうと思うが、決してそうはならない。それがこのお二人の宿命だったと思う。

 私たちは、とうに三島氏を失ったが、石原氏を得ていた。

 それでも「戦後民主主義」と称される「占領統治後」を払拭できなかったのだが、だからこそ石原氏は次世代の政治家を探していたのだろう。橋下徹氏の突破力に期待したのもそうした焦りからだ。

 宿題は残ったが、三島由紀夫と石原慎太郎が遺した「民族の問題提起」は、私たちが力を合わせて解いていかねばなるまい。

 だから夢枕に立たれたのだろうか。末筆にて、衷心よりお悔やみ申し上げます。

スポンサードリンク

『【追悼】石原慎太郎先生へ』に3件のコメント

  1. 湊昭光:

    有難うございます。   この文を見て素直に出た言葉です。

  2. ナポレオン・ソロ:

    すいませんまたもや、勝手に投稿されてしまい書き直しますたので、前にコメント削除下さい
    ソロです。
    >>巨星堕つ、私の石原慎太郎評
    享年89歳だったとか、傘寿迄生きておられたのだから、普通は「あぁ昭和が終わって行くなぁ」位で済ませる所だが、この方の喪失感は殊更に大きい、それは今の自民党に、本当に分かり易い国を思う言動が出来る政治家が屈指出来る程度しかいないし、その中核に相応しい人材は彼をおいていないかもしれないからだろう。
    政治評論家の中には「ポピュリズム政治家」とか評しているアホがいるが、政治は民衆の愛児があって初めて民主主義だろう、民衆の気持ちになって政治をする原点は、逆に「何がポピュラーで分かり易いの?」かでなければ、民衆の心には響かない、何をしたのか訳が分からないが、なんとなく上手く行っているでは「知らしめず、由らしめよ」の江戸期の封建政治のままだろう。

    彼は本当の日本文明とは何かを知っていた人間だし、三島由紀夫もそうだったから、肝胆相照らす仲だったが「日本を取り戻す」点で考え方に差があったのが激論になった原因だと思う、国を思う心は同じだが方法論に乖離があれば、結局、双方が「我が道を行く」結果と成り易い。

    私は自民党の政治家としての石原慎太郎よりも東京都知事としての彼を評価している、就中、都市でインフラとして、巨大な下水集合管を東京の地下に引いた事には正直魂消た、之は、膨大な下水浄化システムの一本化に直結するだけでなく、地盤の強靭化で巨大地震対策でもあるからだし、この巨大な穴を掘削した川重の巨大な穴掘り機が、また一つ進化する契機になった。

    其れだけでなく、工事の総費用の見積もりは青函トンネルやドーバー海峡の掘削機の使用実績から出したものだが、技術革新で工期が大幅に短縮されて当初予算が大幅に浮いた、是で、尖閣諸島を都が買う資金になり、さらに東京オリンピックを開催する資金にもなったのだ。

    シナ韓国からこれ程嫌われた政治顔いないだろうが、敵に嫌われる野は、強い味方の筈、シナ韓国に好かれる政治家こそ単なる売国政治家だろうし最近見分けがはっきり付く様になっている。 左無きの政治評論家に教えてもらわずとも分かるwww

    私は彼の知事ぶりはその先見の明、果断な決断力、をれでいて無私の清廉な人柄といい、歴史に残るものだと思う、唯、惜しむらくは、息子を後継者に出来なかった事だろう、若いころ彼の著述になる「スパルタ教育」を読んだが、その結果があの4人の息子をかよって、若干残念である。

  3. アンチレッド:

    いつも貴重な情報発信ありがとうございます。
    >南出喜久治弁護士の「新無効論」に学んで世に訴える同志
    >「戦後民主主義」と称される「占領統治後」
    平成デフレ以降、このデタラメな民主主義は酷くなる一方です。
    つい3ヵ月ほど前に「民意による選択」で誕生したはずの岸田政権の保守派による評価はもはや「倒閣」ですから。
    民主主義の名のもとに行われている選挙にどれほどの意義があるのでしょうか?
    とはいえ、三島由紀夫が望んだ自衛隊による決起(クーデター)は常識で考えればありえないこと。
    曲がりなりにも内閣は天皇陛下の御信任を得ているわけで、それを倒すとなると賊軍になってしまいます。

    しかし、自衛隊決起の大義名分となりうる唯一の理由として「日本国民(臣民)を守るため」があると思います。
    俗に「命の次に大事なもの」といわれるカネを財務省、日銀に支配され、意図的に30年もデフレにおかれ、そしてついに一番大事な命にまで、武漢ウイルス感染対策の名のもとに政府主導で推進されているワクチン接種という「独仏駐車による一十五六四(隠語)」。
    ワクチン接種開始以来およそ10ヵ月で、地下鉄サリン事件(毒物散布)の死者14人の100倍となる1400人の関連死者を出しています。
    そしてこれに関して、新型コ口ナワクチン特例承認取消等請求の弁護団には南出喜久治弁護士がおられます。
    以上、個人的には大義名分はあると思っています。
    ただ現在、自衛隊にその動機と決意、およびその根拠となる日本国民の総意はないでしょう。

    今後もし、自衛隊の決起があるとすれば、そして成功するとすれば、それば米軍主導の「世界同時多発軍事クーデター」になるしかないだろうと思います。
    奇想天外な話ですが、国際金融資本(戦争利権)に支配された政府によって第三次世界大戦が引き起こされるぐらいなら、「世界同時多発軍事クーデター」で世界を変える方が平和的です。
    ちなみに軍事クーデターではありませんが、現在カナダでワクチン義務反対の5万台にもなるトラックデモが行われており、「革命」という表現も見受けられる事態になっていて、米国などにも波及する気配があるようです。

    自衛隊がクーデターで政権を取った後どうするのか?
    それは日本にとって「悪しき軍事政権」ともいえるGHQによる戦後政策の上書き(復元)。
    パソコンのシステムがおかしくなった時に、正常に機能していた時点のシステムに復元するのと同様のことをやればいいのです。
    そして現在に合わせて更新(大日本帝国憲法の改正)。
    この使命を終えたら自衛隊軍事政権は民主的に選ばれた政府に政権を移す。
    以上、個人的な夢物語を書かせていただきました。