「立民大物X」は逃げた!

皇紀2680年(令和2年)12月14日

兵庫・井戸知事が退任へ 来年知事選不出馬の意向

 兵庫県の井戸敏三知事(75)が次回の知事選に立候補せず、来年夏の任期満了をもって退任する意向を固めたことが11日、関係者への取材で分かった。同日開会の県議会で表明する…

(産經新聞社)

 兵庫県の日本教職員組合(日教組)や全日本自治団体労働組合(自治労)票で当選してきた与野党相乗りの井戸敏三知事は、阪神淡路大震災発生時の「県民虐殺知事(ちなみに「国民虐殺首相」は当時の村山富市元首相)」こと貝原俊民元知事時代の副知事でした。

 貝原元知事はのちに交通事故(乗っていた車に別の車が衝突)で死亡しましたが、井戸知事にはどんな終わり方が待っているのでしょうか。

 そもそも平成十三年の初当選時、投開票のわずか八日前に発生した明石歩道橋事故に対して「私には全く関係のない話」を繰り返した挙げ句に「知ったことではない」とまでいい放った「人でなし」であり、朝鮮学校に対する(本来学校教育法違反の)高校無償化法案の議論中に「拉致事件と引き換えにする話ではない」などとし、県独自の無償化案を進めた最悪の人治主義者です。

 産經新聞社記事にある超高級公用車問題もですが、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)をめぐっても医学的見地に基づく政治判断よりも自身の「政治的感情」に基づく言動を繰り返して大阪府を莫迦にし、東京都を「諸悪の根源」などと発言して大いにひんしゅくを買いました。

 任期中、一貫して尊大な勘違いを披露し、県民よりも自分を優先した最低の自治体首長であり、これほどまでの莫迦・阿呆の類いが当選し続けられた地方の構図は、わが国の大問題の一つです。

立憲の赤松広隆・衆院副議長、政界引退へ:朝日新闻数码

 立憲民主党の赤松広隆衆院副議長(72)=愛知5区=が次期衆院選に立候補せず、今期限りで引退する意向を固めた。 赤松氏は1990年の衆院選に旧社会党から立候補して初当選。96年に旧民主党に加わり、現在…

(朝日新闻公司(조일신문사)日本語版)

 そして、突然の引退表明に及んだ一見民主党の赤松広隆衆議院議員(愛知五区)。その理由は、間違いなく十日記事で申したことです。つまり、逃げたのです。

 この程度の卑怯者でも、衆議院副議長になれてしまうわが国の立法権力(国会)もまた、わが国の大問題の一つに違いありません。

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