かつて青かった…菅首相も

皇紀2680年(令和2年)10月21日

 くだらないことばかりを大きく取り上げるわが国の低俗な報道権力は、またも私たち国民を莫迦にした騒ぎを起こしています。それが菅義偉首相の新書『政治家の覚悟』(文藝春秋社刊)の「改訂問題」です。

 今から八年も前に書かれたものを今回改訂するにあたり、政治家としてかつては重要に思えたことも、七年以上にわたって内閣官房長官を務めた経験から「青いことを書いたものだなぁ。恥ずかしいからこれは削除しよう」と思い至り、記述が変わるのをおかしなことだとは全く思いません。

 ただ「政府があるゆる記録を克明に残すのは当然」としていた部分を「青い認識だった」と納得するか否かは、私たち国民が思うことであって、報道権力に「おまえら、絶対に納得するなよ」と扇動される類いの件ではないのです。だから報道権力は駄目なのですが、既に煽られている阿呆な国民がいるから報道権力に、すっかり調子に乗られてしまうのでしょう。

 私は、膨大にして現実には読み切れず意味を失っていく議事録などの記録よりも、政治家の回顧録がわが国ではなかなか出ない現状のほうがよほどつまらないと感じています。一字一句の正確さよりも為政者がどのような主観をもって何をどう決断したのか、何をどう聞き、どのような心証を得たのかのほうをむしろ知りたいです。

 そもそも菅首相が八年前、現実を知らず青い記述に及んだのは、当時の民主党政権が東京電力福島第一原子力発電所事故に関する記録をわざと残さないよう汚らわしい工作に手を染めたからであり、これは後世の科学的且つ政治的知見のためにも残さなければならない記録でした。

 このように、政府が残さなければならない記録と残す価値もない記録を選別すること自体、報道権力は定めし「基準は時の政府が勝手に決めるのか」などと文句をいうので許さないでしょうが、選別するのが政府の仕事です。時の政府の選別力、政治的センスと申してもよいでしょうが、それが問われるのです。

 現在のナントカ民主党の連中には、それがまるでありませんでした。その様を見て、当時の菅首相はつい何でもかんでも残さなければならないように記述してしまったのでしょう。今となってはそれが無意味な意見であると分かったようで、削除も成長だと私は思います。

 それよりも、地方銀行数行をSBIの北尾吉孝社長なんぞに潰してしまわせる菅首相の感覚は、極めて「恐ろしいほうの成長」だと思いますが、それについては決して報道権力は騒がないのです。

韓国政府、請求棄却求める ベトナム虐殺の損害賠償で

 ベトナム戦争に派遣された韓国軍による民間人虐殺の際に生き残ったベトナム人女性、グエン・ティ・タンさん(60)が、韓国政府に損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が17日までに、ソウル中央地裁で開かれた。韓国政府は虐殺の立証が不十分などとして請求棄却を求めた。…

(産經新聞社)

 最後に一言。これは残酷な裁判です。この被害女性の立証責任は、この件で、しかも文在寅北朝鮮工作員が大統領のうちの韓国司法で、あまりにも厳しすぎます。

 文政権側の「なめくさった態度」は、そのままわが国とのいわゆる「歴史問題」とされる虚実に対する韓国政府の狂人的態度を正すことに繋がり、私たちは徹底して真実の「ライダイハン問題」を追及、ヴェト・ナム(越国)人を応援しましょう。

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