知る権利の講師が望月記者

皇紀2680年(令和2年)1月23日

「記者会見は国民の知る権利のためにある」 東京新聞・望月記者が松江で講演

 官房長官の記者会見での厳しい追及や官邸側からの質問妨害で注目を集め、映画化もされた東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者による講演会が18日、松江市の労働会館であり、約300人が耳を傾けた。社民党県連が「新春の集い」での講演を依頼

(侮日新聞社)

 またぞろ擁護する人たちがコメント欄を荒らすかもしれませんが、私は他社の記者から聞いている話も含めて自らが思うところを述べます。中日新聞社・東京新聞の望月衣塑子記者が「知る権利」について講演するのは、極めて不適切だと思うのです。

 侮日新聞社配信記事でいきなり書かれている「官房長官の記者会見での厳しい追及や官邸側からの質問妨害」について他社の記者は、自分たちの目の前で「意味不明な演説」が延延と繰り返された結果として「整理」されただけだといっています。

 望月記者の「特定政治活動社民党系が講演を依頼)」のせいで記者たちの質問時間がいたずらに浪費され、官邸側はそれをやめさせることで時間を確保しなければ、他社の記者が質問できません。

 すなわち、望月記者こそが「知る権利」なるものを常態的に妨害してきたようなものだというのが、おおよそ他社の記者の主張であり、私も彼女の発言内容を具体的に提示されて同様に思います。

 確かに安倍政権の私たち国民への対応がまずいことは幾度となくあり、疑惑を自ら拡大させてきた傾向はありますが、記者の質問時間は、記者の「思い込み」を語る演説の時間ではありません。

 望月記者のような思想傾向のある危険人物は、とかく現行憲法(占領憲法)の「権利」を何にでも当てて(そのうち「高校生のグレたツンデレ中共工作員」だか何だかではないが「呼吸する権利」をわめきそうなまでに)声高に主張しますが、国家三権に存するのは「国民に説明する義務」なのです。

 それを私たちの「権利」に置き換えることで、かえって義務の履行を追及する手が緩んではいまいか、と。こういうのを典型的な勘違いというのです。その上に安倍政権がむしろ胡坐をかいている現状を、特定思想に根差した政治活動家まがいの記者ではなく私たち国民が指摘しなくてはなりません。

 にもかかわらず、こんな記者の講演を国民が聞きに行ってどうしますか。望月記者にしてみれば、最初からこのような「いいたい放題の場」がお似合いなのでしょうが、かくして老婆になっても「元記者」として講演生活でカネを稼げるのですから結構なご身分です。こんな者の話を聞く価値は一切ない。

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『知る権利の講師が望月記者』に2件のコメント

  1. きよしこ:

    望月某の愚かさ卑劣さは元より普段から同じ場に居合わせながら咎めないどころか応援すらする同業他社もどの口で知る権利などと述べるのでしょうか?そんな卑劣漢(婆?)の自慰紛いの講演を聴きに行く物好きが300人もいるなんて目眩がしそうです。「恥を知れ」とはまさに望月某のためにある言葉でしょう。

  2. 新宿区民:

    報道しない自由を恒常的に駆使しているマスコミが、知る権利を主張するとは、これ如何に。