『空母いぶき』の首相役に

皇紀2679年(令和元年)5月26日

 先週末、或る方から「佐藤浩市さんの件、どう思いますか」と尋ねられました。これは、既に皆さんご存じのことでしょうが、佐藤さんが映画『空母いぶき』で首相役を演じた原作マンガが連載中の「ビッグコミック」(小学館)の特集インタヴューに登場し、本当は演じたくなかったとした上で「体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってる」「ストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらった」と述べたことがインターネット上で大炎上した件です。

 結論から申しますと、役者さんなんて大抵こんなものですよ、と。以前から申していますように役者の世界というのは、そもそも「河原乞食」なんぞと呼ばれながらも大衆の人気を集め、人びとの暮らしを潤してきたわけで、一方で劇団や劇場の歴史というのは、表現の規制をめぐって体制と戦ってきた歴史なのです。佐藤さんのいう「抵抗感」「僕らの世代」とは、それをまだ肌で感じられたころからやっている役者さんの感覚ということでしょう。ましてお父様は、あの三國連太郎さんだったわけで。

 映画の世界も、かつての東宝争議(昭和二十一年から二十三年)に代表される山本薩夫監督ら「反体制」派や共産党員の反乱があって、私もそういったことを大学で邦画史として学びました。とにかくこの世界は左翼が多かったのです。それも今は、ただの対日ヘイトスピーチ(日本差別扇動)へと転落して思想ですらなくなりましたが。

 脚本に於ける役作りとしては、非常に強い力を外で振るう人物の設定であればあるほど、内に弱い部分を抱えて秘かに戦っているという並行設定を加えるのが巧いとされ、例えば伊丹十三脚本監督の映画『マルサの女』で山崎努さん扮する「脱税王」権藤を足が悪く杖を突いていて、息子を溺愛するがゆえに彼をグレさせてしまうという設定にしています。これも当時は、体制側の映画とされ、わざわざ障害者の設定にしたことが批判の対象にされたようですが、さすがは伊丹監督だと思える、登場人物に深みを与える設定でした。

 佐藤さんがインタヴューで質問に答えているのは、戦争か否かという難局にぶち当たってしまった首相の苦悩を演じるために「自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思った」ということであり、決して安倍晋三首相を揶揄する目的ではなく、むしろ安倍首相が腸の難病を抱えながらここまで政権を運営し続けていることを参考にした役作りだったと思われます。

 はっきり申し上げてこの問題は、未だ安倍首相を盲目的に応援する人たちの騒ぎ方にあり、そして最大の問題は、そんな彼らをそうまで必死にさせてしまう「反安倍」の人たちの安倍首相に対する誹謗中傷が度を越していることです。

 たとえ首相を相手にしても「安倍、おまえは人間ではない」などと叫び散らすような輩は、大学教授だろうが活動家だろうがもはや政治を語ってすらいません。ただの人格攻撃、いや人権侵害であり、これこそがその他多くの国民を呆れさせ、安倍政権を長期化させた原因です。

 中韓による対日ヘイトが国内のヘイトスピーチ(人種差別言動)の原因であるように、まず原因を取り除かずして結果を改善することはできません。佐藤さんの回答に騒ぐ保守系の人たちを揶揄するのは、その揶揄する人たちによる従前の「えげつない」言動にこそ原因があり、今日の顛末を生んだ、すなわち佐藤さんが厳しく批判されることになったのであって、まさに自分たちがこの騒動の原因なのだと思い知りましょう。さらさら学ぶ気はないのでしょうが。

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『『空母いぶき』の首相役に』に1件のコメント

  1. きよしこ:

    この炎上騒ぎの元を糺すと、どうやら映画の脚本が原作の漫画に大幅な改変が加えられており、漫画ではストレスにより嘔吐する首相の設定をわざわざ下痢(あくまでも潰瘍性大腸炎ではない)に変えたことで様々な憶測を呼んだようです。私は映画も原作漫画も未見ですが、恐らく安倍首相と親しい百田尚樹氏が佐藤さんを(自分は役者でもないのに)三流役者などと罵倒したことが騒ぎの発端でしょう。そこに暇で対日ヘイトスピーチしかすることのない連中が便乗してきたことでますます「延焼」し、却って安倍首相にとってもいい迷惑な騒動になってしまいました。とはいえ自分が監督や製作を務めているならばともかく、いち出演者でしかない立場でわざわざ角の立つような言動は慎むべきではあったのかと思います。少なくともこのインタビューを見て「なら観よう」よりも「もう観ない」と思った人のほうが多かったでしょう。私は佐藤さんと同い年で共にライバルと認め合う真田広之さんの熱心なファンなのですが、海外で奮闘を続ける真田さんも我が国の映画界で唯一無二の存在であり続ける佐藤さんも素晴らしい役者だと思います。映画界の歴史や思想の偏りなどは存じ上げませんが、場所は違えど「体制に安易に迎合しない」という心意気は時代や場所を問わず芸能を面白くする大事な要素であり安倍首相や佐藤さんを置き去りにしたまま騒ぎを大きくし続ける莫迦どもにはそれが理解できないのでしょう。

    まあ、佐藤さんは迷惑をかけた人たちへのお詫びの意味合いも込めて安倍首相と共に『空母いぶき』を鑑賞されたほうがよいでしょう。それで「さんざん揶揄した首相と映画なんてみっともない」と言う輩は右にも左にもいるでしょうが、そんなのは無視するに限ります。本当に総理の体質や仕事を役作りに生かしているなら、それぐらいは簡単なはずです。安倍首相(ならびに昭恵夫人)も相当のミーハーですし、双方にとって悪い話ではないと思うのですが。