批判された「出産こそ…」

皇紀2679年(平成31年)4月7日

「出産こそ親孝行!」所ジョージの“孫ハラ”発言に批判続出

4月3日に『ホンマでっか!? TV』(フジテレビ系)が放送された。ゲスト出演した所ジョージが「孫を作ることが一番の親孝行だ」と発言。これが「古い考え方だ」と批判を浴びる事態となっている。この日は明石家さんまや加藤綾子らレギュラー出演陣に加え、所がスペシャルゲストとして登場…

(まいじつ)

 私は、長らく所ジョージさんが出演されている番組を拝見していないので、この方についてそれほど詳しくないのですが、少なくとも今回批判を浴びた発言の主旨は正しいと思っています。

 まさに私こそ「子供がいない」ほうの部類であり、このような発言に「正直悲しい気持ち」だの「落ち込む」「グサッとくる」だのと批判する側にいるのですが、それでも私はこの発言主旨を正しいと信じて疑いません。

 いわゆる「ノイジー・マイノリティ」という声ばかり大きい少数派、或いは「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)」という差別や偏見を徹底的に排除した表現が、私たちの暮らしを窮屈なものにし始めています。最近では「ポリコレ疲れ」という言葉さえあるほどです。

 その典型のような騒動がこれでしょう。所さんが述べられたのは、あくまで明石家さんまさんに対してであり、一方で一般論なのですが、その一般論とは、私たちの本能が持つ種の保存だったり、生命の継承、或いはそれへの感謝に基づいています。これが祭祀です。

 従って壮大な、脈脈と続いてきた祖先からの生命の営みによってようやく自分が存在しているのであり、それを否定することは祭祀に於いてありえません。だから例えば同性愛を死刑に処した宗教原理主義では人は救われず、祭祀の実践によって人は初めて救われる、と私は申してきたのです。

 同性愛であろうが異性愛であろうが、子供を産めようが産めまいが、祖先からの生命の継承に感謝して生きることを、皇室が目に見える形で私たちに教えています。それを(理性で解するのではなく)本能で体験すれば、やかましい少数派やポリコレなんぞはなくなるのです。

 多くの者が「劣化した本能の一部である理性」であらゆる物事をいじくりまわし、よって自らの言論や表現を委縮させていくという負のスパイラルに陥り、脱出できなくなっています。

 同性愛に配慮して「父母という表現をやめましょう」だの、目の不自由な人(という表現が既にポリコレ加工済み)に配慮して「桜が綺麗といってはいけません」だの、友達のいない子に配慮して「友達と仲良くしようといってはいけません」だの、と誰がどう聞いてもトチ狂っているとしか思えないことを真顔でいう左翼(一皮むけばただの対日ヘイトスピーチ)活動家の類いが多く、それが行政の現場などで実行されているということは、それだけ本能の劣化が激しい(生命にかかわるほどの重症)ということです。

 一方で、何かと「多様性」を主張するこの類いの活動家らほど、所さんの発言のような多様性を一切認めず、徹底的に非難して二度とそのような言論が顔を出さないよう弾圧します。これも、理性や心情だけでモノをいっているからです。

 科学技術の進歩や刑法犯検挙件数の減少など、わが国は確実に良いほうへ向かっているはずなのに、多くの国民が将来に暗然たる思いを抱いて(世論調査結果多数)いる、または保守派が激しく過去を美化するのは、活動家らによって私たちの言論空間が閉塞化され、圧倒的に自由だった過去が輝いて見えるからに違いありません。

 対日ヘイトにはしる活動家や政治家が私たちの自由を奪ったのです。

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『批判された「出産こそ…」』に4件のコメント

  1. きよしこ:

    例えば「出産こそが唯一の親孝行」とか「子供のいない人間に存在価値など無い」とかならともかく今回の発言に悪意などあるはずもなく、生誕の美しさや尊さ(それも何故か日本人に対してだけ)を否定したい輩が意図的に悪意を混ぜ込んで「問題発言」に仕立て上げ、言論の自由を侵す(自分達だけの特権にする)様は明らかに国体破壊工作の成れの果てと呼べます。

    「父や母という言葉を使うな」「桜を綺麗と言うな」などという発想はまさに親の無い子や視覚障害者への差別意識が成せる業であり、少しずつとはいえこのような言論が幅を利かせていることが恐ろしく思います。このような連中は日本人に対する差別発言は「外国語はよく知らないから」「日本人はかつて世界中に迷惑をかけたから」と言って正当化するのでしょうね。

  2. やす:

    よくCS放送などで昔のドラマや映画などを見ていると、始まる前に「この番組には不適切な表現が・・・」の字幕が出ることが非常に多くて、何が不適切なのかという説明を読むと実にくだらないものばかりです
    今回の所ジョージさんの発言の何が問題かについて、生みたくても生めない女性に対する差別発言であるという理屈があるようですが、こういう理屈の根本にあるのは女性の社会進出 男女平等といった間違った価値観があるからだと私は思っていて、女性の方には大変申しわけないのですが、この手の言論弾圧同然の反応は女性側が間違った価値観を受け入れすぎたがために起こっていることだと私は思うんですよね
    生みたくても生めない人に対する差別発言云々以前に、子供を育てることと女性の社会進出と稼ぎといった物質的価値観を天秤にかけ、どっちが損か得かという俗な考えが根本にあるから、結果として「子供を産み育てることは女性にとって損」という理性全開の価値観が蔓延しているのではないかと私は思います
    遠藤さんのご指摘通り祖先からの生命の継承に感謝して生きることが大事であり、物質的価値観を払拭しない限り、理解できないことなので、まず何度も言っている教育からやり直して本能に根ざした教育で特に大人側が変わらない限り子供も良くなりませんし、祖先からの生命の継承に感謝して生きることもできません
    人間は生まれて勝手に育つものではなく、教育あって育つもので、その役割は当然親を中心とした大人の役割です
    ただ生むだけならロボットを量産するだけですし、それなら逆に生まない方がいいくらいだと私は思います
    今月で平成は終わりますが、この31年はこれまで以上に教育の崩壊が進み、理性の肥大化が拡大した時代であったと思います
    元号の話をするようですが、私個人の主観として「平成」という響きは非常に偽善的で最後まで馴染むことができませんでした
    来月から新元号令和が始まりますが、私個人として良い響きだと思いますし、私の中の昭和94年が終わるという考えです
    だから何だという話ですが、令和こそ教育の再生の出発になればと期待しています

  3. miku:

    左翼や人権屋の性根は基本「妬み・嫉み・僻み」ですよね。とにかく物の捉え方がネガティヴなのが特徴。そのせいか香●リカや田●陽子など、みな人相が悪くなり、ブスが多い。不思議と、被害者になるのが大好きな、お隣の国のメンタルそっくり。

  4. toichi:

    このエントリーを読んでいて小椋佳氏の「宇宙の架け橋」の歌詞を思い起こしました。
    https://www.dailymotion.com/video/xolhq0
    確かに、現代人は科学の発達と共に、過去より安全で便利な生活環境を手に入れました。しかし生命の営みという大きな流れの中での自分という立ち位置を見失い、目に見えるもの、観測できるものを優先して現在の価値観のみで理性的に判断し、過去からの「もらいもの」を次々反古にしてしまっているように思えます。
    先の戦争で自らの命を犠牲にして英霊となられた方々は、「お国の為に」「後のことは頼む」と、後の世代に自らの望みを託して逝かれたとききます。それを思うとき、その「もらいもの」を我々が私利私欲の為にのみ使って人生を生きて良いなどとは思えません。
    生物的に子孫を残せるかどうかに関わらず、かけがえのない一人の人間として後の世代に何を残すべきなのか考え行動することが大切だと思っています。