北朝鮮船、上陸して略奪も

皇紀2677年(平成29年)12月3日

北朝鮮船出現に騒然 漁業者不安 松前町、戸締まり呼び掛け:どうしん電子版(北海道新聞)

 【松前、函館】「北朝鮮から来た」という10人が乗ったとみられる木造船が松前町沖で発見されて一夜明けた29日、同町の住民らは沖合にある船を不安げに見つめた。函館海保などの巡視船が船の行き手を阻むように…

(どうしん電子版(北海道新聞))

 地方にあふれる対日ヘイトスピーチ(反日)新聞でさえ、目の前の危機を伝えざるを得ない状況にあります。第一管区海上保安本部(北海道小樽市)によりますと、松前郡松前町沖に漂着した北朝鮮船からは、松前小島から持ち出されたと思われる家電製品などが見つかっており、海保の立ち入り検査がなければ黙って持ち去られるところでした。

 私は二度ほど、北朝鮮から人民が逃げ出しているとここで指摘しましたが、単に漁の末の漂流だったとすれば、北朝鮮沿岸部の漁業権を中共共産党に叩き売ってカネに換えた金正恩体制のせいであり、漁民が沖まで出て漁をするほかなくなっていることが原因です。

 しかし、これが何度となく繰り返されれば、次第に本当に北朝鮮から逃げ出す人民が出てくるに違いありません。とりあえず今のところ漁民たちは、北朝鮮へ帰るといっていますが、そのうち彼らが難民になることも考えておかなければならず、麻生太郎副首相兼財務相が「射殺すべきか」とまで言及した今そこにある危機をいよいよ覚悟すべきです。

 また、青山繁晴参議院議員が指摘したような生物化学兵器と化した人民の流入を計画されれば、わが国の対応は、恐らく追いつきません。厚生労働省が危機対応として確保しきれていない天然痘ワクチンなどをめぐり、既に売値をつり上げられている(ますます厚労省として確保できない)という話も漏れ伝わっていますから、いかにわが国がその危機にさらされていると他国から見られているかが分かります。知らないのは、私たち国民だけでした。

 よって単に北朝鮮漁民の漂流に終わるような印象で、これらの報道に触れていてはいけません。あらゆる疑いをもって、腹をくくっておかなければならないのです。

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『北朝鮮船、上陸して略奪も』に3件のコメント

  1. きよしこ:

    10年ほど前まで北海道の釧路市に住んでいたのですが、港の近辺を歩くと、「密入国や不審船を見掛けたら海上保安庁まで連絡を」という街頭放送が流れていて、たびたび苦笑していたのを思い出しますが、さすがにここまで来ると笑い事では済まされませんね。日本に漂着したのは脱北を試みた漁船のほんの一部あり、ほとんどの船はこの渡航中に転覆しているはずです。なぜか我が国の報道は北朝鮮の体制よりも「射殺も在り得る」という発言ばかりを問題視するのですが、どのような事情があろうと人命の尊さは平等であり、ならばこそ北朝鮮の国民がなぜこの極寒の中で木造船での脱北を試みているのかという強い疑いを持って事実と正面から向き合うべきです。

  2. あき:

    本当に腐りきったメディア関係全部潰さないと、もう取り返しがつかないです。
    必要正確な情報が全く無く!自分達が押し付けたいだけ!!もううんざりどころか、恐怖を感じる、知らないままテロ、内戦侵略でも起きるのでないか?と。  私はもう演習とかしてると思ってますが。
    それと、教科書改訂案?産経新聞の記事らしいですが、びっくりです!気違い糞左翼自称教授とかもう大量に処分したほうがいい!楠木正成、上杉謙信、武田信玄、吉田松陰、高杉晋作など外して、事実無根捏造造語・従軍慰安婦(書くのも嫌だ!)だの、架空・南京虐殺だのを載せるとか?!これで、学者?なの?!言葉が多過ぎるから~とか?!若いうちにやらないでどうする!!
    文科省、担当大臣、内閣、安倍晋三とかに苦情するけど、なぜこんな馬鹿馬鹿しい事をやらせるのか?教授崩れに支那韓が潜り込んでるとか?左翼能野郎の暴走?もういい加減にして欲しい。

  3. 心配性:

    >第一管区海上保安本部(北海道小樽市)によりますと、松前郡松前町沖に漂着した北朝鮮船

    前回も申しましたが、北の「体制崩壊」→「難民流入」となった場合に備え、東北や北陸や北海道の「北日本各県」は「難民受け入れ」の準備を進めた方がよいかも知れませんね。

    「難民船」を福岡だけで収容するのは難しいでしょう。

    かつて、中国東北地方、朝鮮半島北部、ロシア沿地方に跨る「渤海国」の使節団が来日する際、当初船が九州にたどり着かず、東北北部や南部や北陸など北日本にばかり流れ着き、しかも、その度に船を大破させ日本側を困らせたと言われています。

    『日本書紀』には「粛慎討伐」の記述があるようですが、日本海側北部の各地域は、中国東北地方からロシア沿海地方にかけて住んでいた諸民族が、船で乗り込んで来たり、住民との間で摩擦が生じたり、そのため朝廷が「討伐」に乗り出したりと、実際に様々な騒動があったのではないでしょうか。