これ見よがしの闘争運動か
さて近年、性的少数者とされるLGBT(女性・男性の同性愛者、両性愛者、性同一性障害など)の問題が政治の舞台でも論じられ始めました。
以前にもここで「わざわざ同性愛者であるという権利闘争を仕掛けることは、私たちにも異性愛者であることの証明を求める運動でも始めよということか」というような意味のことを申し、この種の「闘争」の仕掛けが対日ヘイトスピーチ(反日)と結びついて非常に具合が悪いとしましたが、どうしても「同性愛は気持ちが悪い」というご意見しか賜れなくて、皆さんには申し訳ないのですがとてもがっかりしたのを覚えています。
つまり、わざわざ同性愛者に「同性愛者です」と手を上げて権利を主張させる極左闘争系運動(利権・金儲け)の気持ち悪さよりも、同性愛者を見て見ぬふりし(特に問題視せず)むしろ諸般の事情から同性愛を活用して「たしなむ」とまで表現した非宗教原理主義国・日本の歩みを忘れてわざわざ同性愛者を指差して「気持ちが悪い」といわずにいられなくなったわが民族に対する明治維新以降の基督教的価値観の洗脳の気持ち悪さに、気づかずにいること自体の気持ち悪さが酷いのです。
LGBTは、異常性愛などではありません。常に一定数、私たちの中に存在し、またはライオンなどの動物にも見られ、ひょっとすると人口増加の調整役を担っているのかもしれないのですが、八百万の神神が恵みと畏れをこの世にもたらしたように、異性愛者と同性愛者が共存する国を御産みになりました。私はそう考えています。祭祀の国の臣民として、そう思います。
異常性愛とは、異性愛者と同性愛者の中にそれぞれ存在し、強姦や強制猥褻などの罪を犯しますが、異性愛と同性愛そのものが罪であるはずなどありません。
しかし、同性愛者をあぶり出して死罪にしてきたのが西欧や中東などの宗教原理主義国たちなのです。祭祀の国の私たちには、本来関係がなく、基督教的価値観の絨毯爆撃を受けていなければ、天皇陛下をいただくわが国は世界で最も先進的な人権国家になっていたはずであり、今ごろになって欧米諸国から「日本の人権意識は低い」などと注文(いちゃもん)をつけられるいわれなど一切ありません。
毎日新聞社記事に登場した「当事者」の声は、まさに闘争運動化し、政治案件にされた「LGBT支援」うんぬんへの困惑を表しており、私たちが誇りをもって祭祀の保守を掲げて現行の諸課題(占領典範や占領憲法など)を乗り越えれば、異性愛者と同性愛者の「わざわざ必要のない壁」を取り払えるはずです。
彼らへの支援が反日活動化していることへの懸念は、保守派の「米国共和党的保守」のうさん臭さにかき乱されているように思えてなりません。同性愛者にも日本保守派はおり、彼らは行き場を失っていると感じているでしょう。
私たちは、平易に申しますとわが国の「おおらかさ」を取り戻すことで、東京都渋谷区や兵庫県宝塚市、そして大阪府が新たに始めた「これ見よがし」を粉砕できるはずです。あのようなものは、決して本当にLGBTの皆さんのためになっていませんよ、と。
■11.25関西「第六回 救国の提言」■
平成29年11月25日(土曜日) 大阪駅前第二ビル5階で開催決定!
詳細は、後日お知らせします。 皆さんのご参集を心よりお待ち申し上げます。
皇紀2677年(平成29年)10月31日 12:03 PM
日本は、もともと、「同性愛」には寛容な国だったのではないでしょうか?
江戸時代には、「男娼」もいたと思います。
いずれにせよ、日本は「和を以て貴しとなす」お国柄。
「対立煽動」というあらぬ方向へ行かぬことを願います。
スプートニクの前身にあたるメディアが「アイヌは侵略者である日本人と数百年に渡って戦って来た。日本人はアイヌの文化を片っ端から盗んでいった。アイヌはアジア人であったことがない。」などと対立を煽るような報道を行っていた事がありましたが、実は、過去、「基地問題」を巡って、本土と沖縄の対立を煽動するような報道も頻繁に行われて来ました。
そこには「安全保障上」の下心もあろうかと思いますが、何にせよ「煽動」はよくないですね。
以前、NHKのBS番組で、多国籍の旅行者が、トルコから西安までトラックで旅する番組を見たのですが、トルコ人の旅行者とウイグル族の農家の男性が、互いの言葉で会話を楽しんでいました。
まるで、東京と大阪の人が談笑するように。
ここまで近い関係ではないにせよ、本土の日本語と琉球語が同系の言語である事を否定する研究者はいないでしょう。
ご老人たちの土地の言葉は意味不明ですが、「語源はこうだ」と説明されれば納得するものも多いです。
韓国語は、同系統かどうかすらも怪しいので、そうした意思疎通も難しい。
「日本と沖縄は別々の国になるべきだが、日本と韓国の心臓は一つ。永遠に兄弟として歩み続けねばならない。」などと考える政治家は、どうかしています。
日本はもともと「同性愛」には寛容な国だ、という話からずれてしまい申し訳ありません。
皇紀2677年(平成29年)10月31日 1:43 PM
同性愛者であり日本が好きな者です。保守派と言われる人の中で、同性愛は認めないと言う人は確かに多いです。保守派の人には自分が同性愛者である事をあまり話をしていません。国を愛する気持ちには関係ないからです。ただ、勘のいい人にはばれてしまいますが…。
自分としては今は同性愛者である事を悩んだりしましたが、今はネガティブにはとらえていませんし、ホモだからと言って、いじめや激烈な差別にもあった記憶はありません。偏見は確かにありました。例えば狙われている、襲われるかも、など…。
LGBT(この言葉自体に個人的には拒否感があります)は同性愛でも圧倒的な少数派のレズビアンを頭に持ってきていると言う事は、かつてのウーマンリブ運動崩れの連中が、新たな差別を盾にした”飯の種”に利用しているとしか思えないのです。圧倒的な少数派のレズビアンがゲイパレードなどでやたらと目立つような気がするからです。
また男性同性愛=HIVと言うイメージももたれ、感染者は多いのは実情です。HIV感染者を支援する団体も、代表が共産主義思想であったり、しばき隊の下っ端がまぎれていたり、言葉は悪いですが、パヨクや朝鮮系が関わっています。
遠藤先生のおっしゃる通り、見て見ぬ振りをしてくれるのが一番有り難いのです。
LGBTの過激派が、全ての同性愛者の代表という面をして、権利だの差別を主張するのは、止めて欲しいのですが、話し合っても、どうも暖簾に腕押しですし、LGBTが新たな差別利権になるのが、非常にもどかしい気持ちでいます。
長々と失礼しました。
皇紀2677年(平成29年)10月31日 7:24 PM
人権という言葉を掲げて性的少数者の権利を云々叫ぶ運動には違和感があります。むろん差別や迫害などあってはなりませんが、法律で同性婚を認めたり行政が就労支援などを行うことは疑問です。同性愛などのような性癖は社会の中で「あってもいいよ」といった具合におおらかに認められるべきものであって、公的な場でことさらに立法化・行政化することはかえって無用の混乱や騒動を惹起させてしまうのではないでしょうか。日本は同性愛が罰せられるような国ではありませんし、現在のままでも特に問題があるとは思いません。
いずれ日教組が教育現場でもこうした問題を取り上げるのかもしれませんが、判断力が未成熟の子供の価値観に混乱を引き起こしそうなのでやめてほしいです。そうした問題には「弱い者いじめはいけない」といった道徳教育で対処すべきではないでしょうか。
皇紀2677年(平成29年)10月31日 9:14 PM
ここに書かれてる以前の記事も読みました。それ以来それまでは時々だったんですけど毎日読ませていただいてます。はっきりいって遠藤先生が大好きです。保守主義者でここまで毅然と日本保守の人はほかにいません。すごい男前だと思います。今回もよく書いてくださったと思ってます。
そっとしといてくれればいいのに、わざわざ大声あげて運動にするのはサヨクの手口ですよ。違うアプローチができないのかと思いますが、ほかのいろんな問題でも遠藤先生はたいがいほかの保守主義者とは違うアプローチをなさいますよね。それで気づくことがあるし、救われる人もいるはずです。そういうのが本当の優しさで、サヨクの優しさなんて強烈な押しつけのただの迷惑行為です。
ぼくは遠藤先生のような人に本当の政治をしてほしいです。だからどうかお体は大事にしてくださいね。絶対ですよ。
前にイギリスのBBCがフランスのゲイたちが極右政党を支持してることの記事を書いておられましたが、あの時もゲイにもたくさんの愛国者がいることを気づかせるものでしたよね。遠藤先生が公平公正をおっしゃるのは、本物なんだと思いました。日本のマスコミなんてぜんぜん公平公正じゃない。テレ朝の社長の会見で公平公正といったのは、絶対ウソですよ。ああゆうインチキとは違う本物の男性の魅力が遠藤先生にはあります。
どうかこれからもがんばってください。応援してます!!
皇紀2677年(平成29年)11月1日 2:40 AM
新たな利権、金の流れとか?でしょう。 同性愛がどうのこうのとかどうでもいいです。
声高に言うな、密かにやってくれ・権利を寄こせとか言うな!鬱陶しい・兎に角強要は駄目だ・とは思ってます。
何でもかんでも、ギャーギャー五月蠅いですよ。 これだって別に当事者の事考えて無いくせに。あと、こんな事やってたら何でも言うようになる、収拾がつきません。 一連の何とかハラスメント(大っ嫌いです!)みたい。
一部の人達に住み難~い世の中にされてます。もうホント嫌。