「在翼」という危険活動?

皇紀2677年(平成29年)2月19日

 http://diamond.jp/articles/print/117809
 ▲週刊ダイヤモンド:「韓国人に生まれなくて良かった」元駐韓大使が心底思う理由

 武藤正敏元駐韓大使のコラムが韓国の朝鮮日報にも取り上げられ、話題になっています(朝鮮日報該当記事を参照)。表題だけを見れば、いわゆる「対韓ヘイトスピーチ(憎悪扇動)」と間違えられて非難されそうですが、その内容は、韓国駐在時に武藤大使が見た韓国のあられもない姿を鋭く指摘したものであり、むしろ韓国人が気の毒に思えてくるのです。

 大企業に就職できなければほぼ「人生おしまい」であり、その競争は、意地と見栄の張り合いからくる蹴落とし合いに終始し、とても生産性が高まる現象とは思えません。そのような中、三星電子(サムスン)の李在鎔副会長がついに逮捕されました。

 韓国のテレビドラマを拝見しても、ほとんど「財閥の家族とそうでない人びととの交流からくる愛と憎悪の物語」であり、単に富裕層といっても「あちらは財閥」「こちらは新興企業」といった具合の差別も明確です。

 貧しい出自の自分が得たい地位のためについた嘘をつき続けるべく、どんどん泥沼にはまっていく登場人物たちは、狡猾にして狂気に満ちており、これを観て感情移入できる韓国人の精神性を理解しなければ、現在に至るまで続けられてきた対日ヘイト(反日)を理解することは困難でしょう。明らかに私たち日本人の精神性(民族性や国民性に置き換えてもよい)によれば、全く理解できません。

 二十カ国・地域(G20)外相会合に出席するため独国のボンを訪れた岸田文雄外相は十七日、韓国の尹炳世外交長官と会談し、駐韓大使館・領事館前の「慰安婦像(妓生像)」撤去を重ねて要求し、竹島問題でも韓国側を批判しました。

 尹外交長官は、像の撤去が望ましいようなことをいわざるを得ずいいましたが、国に戻って同じことを国民に宣言すれば、確実に石や生卵を投げつけられるでしょう。米国の政権移行期に自分たちの大統領を感情的に職務停止へ追い込んだ彼らの民族性・国民性は、その損失に気づくのを遅らせています。狡猾ではあっても、決して賢くなれないのです。

 そこへ二十二日の「竹島の日」に毎年やってくるソウル特別市市議会議員がいますが、昨日某氏の口からその名を拝聴しても私は、全く覚えていませんでした。二十日から大阪市内と島根県松江市内で、彼はまた暴言と暴行に及ぶのでしょう。

 とりあえず崔在翼(チェ・ジェイク)議員というらしいのですが、これはかつて靖國神社で暴れた台湾の高金素梅立法委員に対するのと同様、売名目的の政治活動屋を相手にし、わざわざ著名人扱いまでして彼らの売名に加担する必要などありません。あの時は「高級蕎麦屋?」と無視を決め込み、誰も相手にしないことで恥をかかせてやればよいと申しました。

 しかしながら狂気じみた騒動を起こして島根県隠岐郡隠岐の島町竹島が絶対に韓国領有ではないことからくる不安を露呈させる彼らを、静かに見届け、周囲の人びとに「彼らは不安だから不法上陸したり、こうして来日しては暴言を吐くのです」と説けばよく、私たちは一年中いつでも国内で「竹島はわが国です」と周知できます。

 警備に当たられる大阪府警察や島根県警察の皆様方に、衷心よりそのご足労に謝意を申し上げ、やはり「対日ヘイト」よりも「対韓ヘイト」を鎮めるという考え方に偏重した政治のあり方を前に、私は改めて別の政策提言を政府に対して始めたいと思います。

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『「在翼」という危険活動?』に1件のコメント

  1. 心配性:

    以前申した通り、私は、司馬遼太郎の『耽羅紀行』を読んで済州島の歴史や文化に興味を持ったものですから、元々「嫌韓」でも、「反在日」でもありませんでした。
    また、中学・高校時代から今日に至るまで一貫して「中国文化」「◯千年の歴史」をこよなく愛しておりますので、中国共産党、或は習近平国家主席個人はともかくとして、生理的な「反中」でもありません。

    その事をお断りした上で、現在、政治から、安婦問題(挺対協問題)から、犯罪的な「ウリジナル」に至るまで、しばしば痛烈な批判をさせていただいております。

    宋 文洲 ‏@sohbunshu · 2月17日
    国際的には日本人と韓国人が区別し難い。服装も仕草も言葉もあまりにも似ている
    外相同士の写真が示すように、背広もネクタイもまるで相談したように

    私は、縄文時代に人口密度がかなり高かったと思われる地域の出身で、偶然にも、私自身、眉毛が太く、鼻も高く、若干トルコ人のような顔をしておりますが、近畿地方に住んだ経験がある私の目から見ても、西日本の人々は、文化も風貌も、滲み出るものが何となく「南国」的だと感じます。

    近畿地方の人々は、中国や韓国や東南アジアの人々にも近いようですが、同時に、九州や沖縄など「南日本」の人々の遺伝的な影響を非常に大きく受けていると思われます。
    実際そのようですが、近畿地方は、歴史的に見て、九州北部や南部とのつながりが深く、人的交流の厚みも東北地方とは比べ物にならないからです。
    『古事記』の神話に出てくる地名も、九州が圧倒的で、一番多いそうですから、九州に対する思い入れの深さを感じます。

    (それが何らかの「政治的動機」によるものかどうかは破断できませんが、)国内外の多くの人々は「近畿地方の人々は外見的にも遺伝的にも特殊」という事にしたいようです。
    実際には他の地域と大差ありませんし、九州や沖縄など南日本の人々との深いつながりは、もっと注目されるべきでしょうね。