日本は「子供たちの楽園」

皇紀2676年(平成28年)6月8日

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 ▲IRONNA(産經新聞社):子供のしつけに「体罰」は必要か

 北海道七飯町の山林で行方不明になった北斗市の小学二年生、田野岡大和くんが六日ぶりに陸上自衛隊の訓練施設内で無事保護されましたが、大和くんのご両親が「躾(しつけ)のため」として置き去りにしたことを巡り、海外でも「日本で大議論を喚起した」と報じられるなど大きな関心が集まりました。

 某教育評論家が真っ向この躾に異論を唱え、父親の逮捕説まで流布して目下非難されているようですが、ここでは私自身の教育に関する持論を述べません。上記産經新聞社のオピニオンサイトをご参照いただければ十分かと思います。

 私が今回の事件で思い出したのは、私の最も(勝手に)敬愛していた俳優の故・高峰秀子さんの夫で映画監督の松山善三先生が、たしか毎日放送系『森繁對談・日曜日のお客様』(昭和五十七年四月から九月放送)にご夫婦でご出演の際、最後のほうでされた「日本ほど子供を大切にする国はないと海外から見られてきた」というお話でした。

 その話は、明治十年に来日した米国の動物学者、エドワード・S・モースの言葉だったか、明治二十六年に来日したボヘミアの教育者、ヨゼフ・コジェンスキーの言葉だったか忘れてしまいましたが、今や「人権という言葉そのものに血道を上げる」欧米諸国よりも遥かにわが国は「子供たちの楽園」だったというのです。

 松山善三・秀子ご夫妻には子供がいませんでしたが、松山監督はもう少しこの話を俳優で聞き手の森繁久彌さんとなさりたかったご様子でした。

 五月五日記事で申したようにわが国には女性のためのお祀りがあり、女性のための言葉があり、昨今の女権論がわが国でどうにもしっくりこない所以がこのあたりにありそうです。いわゆる「子供の人権」という違和感も同じでしょう。

 日本は明治と昭和の二度、国体は変わらないのに国民の意識がひっくり返っています。それでも躾けられた子供が六日もさまよって生きて帰って来られる日本は、まだまだ子供たちの楽園であり続けられるかもしれないのです。

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『日本は「子供たちの楽園」』に1件のコメント

  1. やす:

    田野岡大和くんが無事保護されて本当によかったですが、結果的に子供より両親を含めた我々大人の方が振り回されたような、なんとも不思議な事件でしたね
    しかし今回の事件と体罰問題を結びつけるのはどうかと思いますし、親父のやったことは躾でも何でもありません
    体罰と言うと暴力的なイメージがありますし、そういう印象操作で体罰そのものを否定されてきたと思うのですが、体罰と暴力はまったく違います
    体罰なんかしなくても、しっかりと分かるまで説明すればいいじゃないかという意見が大半だと思いますが、私は言葉だけでは限界があると思ってますし、言葉万能だと考えるのは単なる逃げじゃないでしょうか
    体罰が悪いんじゃなくて、体罰する勇気も根性もないだけの話なんですよ
    体罰はする方にもそれなりの覚悟とリスクが伴います
    だから本気で躾けようという気持ちがなければ体罰なんてできません
    そういう気持ちなしの体罰は単なる暴力であり、この辺を勘違いしている人が多いのではないでしょうか
    私も子供の頃体罰を受けたことはありますが、同じ体罰でも感情的にやられた時は、腹が立ちましたが、そうじゃない時は、逆に反省したもんです
    そういうのは子供心にも分かりました
    教師も親も、体罰云々といういより、そうした本気度を試されているのではないでしょうか
    中途半端だから、今回のような事件が起こったと私は考えます